第5話(成幸独り暮らし・浜松に)

文字数 1,385文字

小学3年生のそのピストル男の乱入事件から何日か経った頃のことだった。
ささやかな晩ご飯を食べ終わると栄吉は成幸にこう言った。

 「シゲ、静岡県の浜松ってえところに父さんの知り合いが住んどるんだが、しばらくそこへ行くことになってなあ」
「へえ、そうなの・・・」
 成幸はもう何が出ても驚かない。
 ちらりと父親の顔を見ると読みかけの漫画の本に目を落とした。
 貸本屋から借りてきた「鞍馬天狗」この薄っぺらい別冊付録が無性に面白かった。

 父親の考えていることはだいたいわかる。金と女のことだ、その察しはついている。
 好きなようにしてちょうだい。そんな気持ちだった。
 
 翌日成幸は父親の栄吉に連れられて浜松に行った。
 栄吉の戦友の家だった。
 案に違わず、
 「金を工面してくるでよ、うちの坊主をしばらくでええから、そうだな、まあざっと一週間ほど預かってくれんかナ」
 事前にそういう話になっていたらしい。
 どうやって金を工面するのかわかりはしないが、栄吉には当面の金がいる。
 興行師の仕事はまずは要るのは金。銀行はもとより知人、友人、金貸し、ありとあらゆる伝手を求めて金を借りること。
 金。そこからすべてはスタートする。

 成幸は生まれて初めて独り暮らしを始めることになった。
 小学3年生も秋ごろだ。

 その父親の戦友の家の納屋を借りて布団を敷きそこに住まわされた。
 学校などにはもちろん行かない。しばらくの間という話だった。
 食事の時だけその母屋に行って戦友夫妻と顔を合わせて食べる。
 だが成幸は子どもながら何か窮屈で気づまりで仕方がない。

 一週間過ぎたが父親は帰って来ない。困った、と思う。
 オヤジはいったい何しているんだ。早く帰ってきてくれないと困る。
 成幸は平然と他人の親切に甘えていられるタイプではない。
 子どもながらにこの戦友夫妻に次第に気兼ねしている。
 その夫婦の態度もどこか成幸にも冷たくなってきている。
 
 とうとう成幸は夫婦に遠慮して食事はご飯だけでいいですと申し出た。
 そしてドンブリにご飯だけを入れてもらって納屋でご飯を食べるようになった。
 ごはんだけを手でつかんで食べた。それはさすがに淋しかった。
 しかしそのうちいい方法を考えた。
 納屋にはなぜか割りばしと醤油が置いてあったのだ。
 成幸は考える。
 割りばしを昼間のうちにトタン屋根の上に干しておいてひび割れさせる。
 そのひび割れた割りばしに醤油を染み込ませて、
 それをしゃぶりながらどんぶり飯をかきこんだ。
 空腹を紛らわすための成幸の生活の知恵だった。

 成幸の心の中は寂しかった。
 まだ小学3年生。
 いなくなった母さんのことを思い出そうとしてみるが、
 どうしたものかあまり母さんの思い出が成幸にはなかった。
 「母さんにはよくしかられたな・・・」
 ご飯の用意はしてくれていたけれど、叱られたり、たしなめられたり
 返事をしてもらえなかっり、そんな思い出しかない。
 納屋で割りばしをなめているうちに成幸の目からポロリと涙が落ちた。
 いいようのない寂しさ悲しさに成幸は声をあげて泣いた。
 
「おかずはキューリのまるかじり ツクシのおひたし・・・」
舟木の自作曲「ロックンロール故郷」の歌詞にもあるように
この歌は子ども心に残る寂しい思い出のうた。
親のどん底生活時代の思い出歌なのだろう。

父親の栄吉が帰ってきたのは3週間後だった。

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