第7話 バレンタインのデート

文字数 2,764文字

「和沙。バレンタインデーにどっか出かけないか?」

『恋人ごっこ』を始めてから月日はたち、時は二月の半ばになっていた。
 恋人たちの一大イベント、バレンタインデーがやってくる。
 その前日の13日、自分のアパートにいるときに、孝弘から電話がかかってきた。

「ああ、いいよ」

 それに簡単に応えている自分がいる。
『恋人』と『友人』の境が、曖昧になっている、と思う。
 今の付き合いは、友人のそれではない。
 しかし、キスもしていないし、抱き合うこともしない。
 いつまでこの恋人ごっこは続くのだろうか。
  
 最近、少しこの関係が怖いと思う。
 この『恋人ごっこ』が終わってしまえば、俺たちは恋人か、他人か、どっちかになる。
 そして――俺の答えは、まだ出ていなかった。

 孝弘はバレンタインデーの14日に、レンタカーを借りて俺のアパートに乗り着けた。
 
「カッコいいスポーツカーとかは借りられなかった」
 
 頭を掻きながら照れて俺にそういう。ヤツが運転しているのは、銀色のファミリーカーだ。
 
「レンタカーなんて金かかっただろ? どこ行こうっていうんだよ」

 いぶかしんで孝弘の借りてきた車に乗り込む。
 すると孝弘は間髪いれずに「海に」といった。


 
 真冬の海は寒々しくて、観光客なんてだれもいない。
 空は晴天だったが、冷たい海風が頬に痛いくらいだ。
 寒空に海鳥が舞って、寒そうに獲物をさがしている。
 ここは夜の駅のホームよりも寒かった。
 俺の猫毛の茶髪も、孝弘の真っ黒な短髪も、びゅうっと吹きさらす風になびいた。
 
「さむ。だれもいないな」

 当たり前だろう。
 こんな寒い場所にくる物好きは、俺たちくらいだろう。
 首を縮めて肩をすくめた。

「そうだな。だから、」

 孝弘は間を持たせてから俺の手を取って、そっと優しく包み込んだ。

「誰もいないから、和沙と手がつなげる」

 ヤツの目は真剣で、俺を真摯に見つめていた。
 硬直している俺にヤツは畳み込んで言う。

「だれもいなければいいんだろ?」 
「……」
 
 映画の帰りに駅のホームで言った言葉を思い出す。
 人目があるから今は嫌だ、と俺がいったら、孝弘は人目がなければいいのか、と聞き返した。

 返事が出来ない俺の手を取る。
 どきん、と心臓の血が頭に昇る。
 初めてキスされそうになったときに感じた怒りとは全く別の感情が俺を襲った。
 ドキドキして、手が震えそうになる。
 息が苦しくて、不規則な呼吸を繰り返す。

「これも恋人ごっこ」

 孝弘は『恋人ごっこ』という言葉にかこつけて、俺のこころへと近づいてくる。

「嫌じゃないだろう?」

 こくこくと頷くことしかできない。
 俺の反応を見て、ヤツは俺の手を持ちかえて、俺の目を見て手の甲へとキスをした。
 じん、と頭がしびれる。眩暈にも似た、感覚。

 ここからは駄目だ、もう駄目だ。
 嫌じゃなかったから。
 孝弘へと引きずり込まれてしまう。

 何が駄目なんだ?
 だって、男同士なんだ。
 家庭も持てない、子供も持てない。
 人前で手なんて繋げないから、こんな誰もいない海に来なくちゃいけない。
 そんな人目に隠れるように生活するなんて。

「今、嫌じゃなければいい」

 孝弘はもう一度俺の手の甲にキスをすると、手をつないで歩き出す
 あつい熱を持つ手に包まれた俺の手のおかげで、心まで温かくなっていく。
 孝弘はどこまでもやさしかった。
 
「俺、将来はカフェをやりたいって夢があるんだ」

 ヤツが夢を語る。

「知ってる。俺もそうだから」
「もっというと、和沙と一緒に店が開けたらって思う。共同経営者ってやつだ。そうすれば開店資金も折半できるし、なによりもずっと一緒にいられる」

 よく考えるとすごいことを孝弘は言った。
 共同経営者、それはずっとずっと一緒にいるということ。

 それにも俺は答えることができない。
 いいかげん、態度をはっきりした方がいいんじゃないかと思う。
 でも、キスも嫌じゃないことが、たちが悪い。

 しばらく海を歩いて未来のカフェの夢を語った。
 内装は大学構内のカフェのように北欧チックにするのもいいな、とか。
 白木のテーブルに椅子をそろえて、少し洒落たカップで客をもてなす。
 家族とか、子供とか、さっき考えた漠然とした未来とは全く違う未来。
 それもいいんじゃないか、と思える。



 帰りも孝弘は俺を車でアパートに送ってくれた。
 俺が車を降りるためにシートベルトを取ると、孝弘もシートベルトを外した。
 どうしたのかと思ってヤツを見ると、そっと俺の頬に手を伸ばしてくる。
 キスされる―― そう思った。
 少し後ろに逃げた身体を、孝弘は俺の後頭部に手を入れて俺を引き寄せる。
 暖かくて、柔らかい感触が、唇を覆った。
 触れるだけのキス。
 ヤツの右手が俺の腰にまわる。
 服越しにも感じる、孝弘の熱。
 頭がぼうっとしてくる。

 ドキドキして心地よくて、幸せで。
 孝弘は触れるだけのキスを一度だけ、ゆっくりと唇をあわせるようにした。
 背筋から頭の芯までじん、としびれる感じ。
 なんだ、これ。この気持ちは。前と全然違うじゃないか。
 前は孝弘とキスなんて嫌でたまらなかったけど、今は違う。
 恋人ごっこを初めて、ヤツが急に俺に優しくなったからだ。
 でも。
 俺はぐいっと孝弘の身体を引き離した。

「……俺、もう帰るから」
「待てよ」
 
 熱っぽい瞳で引き止める孝弘に、俺は赤くなっているであろう頬をごしごしとこすった。
 顔が熱くてたまらない。
 でも、だ。
 俺にも捨てられないものがあるんだ。
 俺の世界は、家族は、これからの未来は。

 俺は孝弘の顔を見られずに、一言いった。

「ごめん……」

 孝弘は納得がいかない様子で、俺を見る。

「なんでだよ。だって、お前、いまのキスで感じてたじゃないか」

 怒りまじりにきつく言われる。
 そう、俺は感じてた。こころが甘くうずいていた。

「捨てられないものが多すぎるんだ」
「それがお前の答えか?」
「……ああ」

 断腸の思いで俺は孝弘にいった。

「恋人ごっこは終わりだ」

 ごめん、孝弘。ごめん、本当に。
 お前が俺にすごく優しくしてくれて、気を遣ってくれたことは分かっていた。
 そして、俺も孝弘がきっと好きになってた。
 だってキスされても嫌じゃないし、感じてたんだから。
 でも、孝弘とこのまま進めば、失うものが多すぎる。
 
「……そうか。分かったよ。でも和沙、これだけは覚えておいてくれ。お前には恋人ごっこでも、俺は真剣だったよ。真剣にお前が好きで、俺を好きになって欲しかった」
 
 悲しそうな顔でヤツは俺をみた。そして、正面を向いて、車を運転するためにまたシートベルトを着ける。
 俺はいたたまれなくなって、急いで車から降りた。

 エンジン音を響かせて走り去る車を見送る。
 ヤツは泣いているだろうか。
 なぜか、振ったはずの俺の頬にも涙が伝っていた。
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