2022.1.16~2022.1.31
文字数 2,348文字
障子を引き開けると、冷気に指先を刺され、思わず手を引っ込めた。半端に開いた向こう側は一面の雪景色。北国の取材には付きものだが、外出はキャンセルだ。まあ、遊んで過ごせるわけではないのだが。しかし老舗の旅館なんて滅多にない環境だ。机に原稿を広げ、独り文豪を気取ってみる。
(2022.1.16)
朝四つ暮三つとせがんだ猿たちは、目先の利益にとらわれる愚か者で知られていた。しかし近年、朝食の重要性が明らかとなり、栄養学的な観点から評価が変わりつつある。一方で社会学者らは団体交渉権を教えようと動いており、いずれにしても四字熟語の歴史を塗り替える結果が期待される。
(2022.1.17)
男は鉢いっぱいに盛った鰹節に醤油を垂らす。多すぎず少なすぎず、分量は経験と感覚だ。これを丼の白米にまぶして、一気にかき込む。無邪気に咀嚼する姿を見て、幾つもの企業を傘下に持つ財閥の総帥と誰が思うだろう。それはふるさとの味だった。そして貧しい少年時代のごちそうだった。
(2022.1.18)
「あんまりじろじろ見ないでよ」
クラスメイトは頬を赤らめるが、ぼくは無視して鉛筆を動かす。高学年になると、異性を意識して戸惑う瞬間がある。この子もモデルとして眺めていたら、結構な美人だと気づいてしまった。気まずいのはお互い様。
「きれいに描いてよ」
「うるさい。動くな」
(2022.1.19)
生前に部下をいじめ抜いた上司は死後、地獄に落ちる。それは報いを受けるためではなく、再就職とでも言えばよかろうか。他人を苦しめても何とも思わない人間は獄卒の資格があるとされ、優先的に雇用されるのだ。それなりの地位を与えれば十分な働きをするので、閻魔さまも重宝している。
(2022.1.20)
真冬の曇天を背負い込んだ海にサーファーたちが浮かんでいる。いい波は来ないらしく、沖合いを睨んだまま、カラフルなボードの先を迷わせている。それはまるで、飛び立ち方を忘れたかもめのよう。雨が水面を叩き始めたころ、冷たい風が轟き、逆巻く波が雲を呑んだ――それは彼らの遥か彼方。
(2022.1.21)
知恵を搾って生み出したものより、思いつきの手慰みのほうが評価されてしまうのを見ると、才能や努力とは何なのだろうと思う。天の果てより――あるいは地の底より――もたらされるのを待つしかないのなら、創作者として生きる自信を失くしてしまいそうだ。それがもう驕りなのかもしれないが。
(2022.1.22)
試験が始まった。私は迷いなく解答欄を埋めていく。回答を知っているから楽勝だ。裏ルートを通じて入手し、完璧に暗記した。
しかし結果は不合格。取引の相手を問い質す。
「どういうことだ!」
「分からないのか?」
「だから訊いてるんだ!」
「不正をしたからだ。詳しくは署で聞こう」
(2022.1.23)
ひょんなことから金髪碧眼美女と付き合うことになったけど、ぼくの言語力はといえば読み書きも覚束ないレベル。相手は日本語ペラペラなので会話に支障はないが、やっぱり母国の言葉で気持ちを伝えたい。必死になって勉強したものの、頭に入ったのはたった二つ。
“ありがとう”
“愛してる”
(2022.1.24)
エンドロールが始まった。映画館のあちこちから鼻をすする音が聞こえてくる。私も涙の余韻に浸りながら、観て良かったと心から思った。しかも隣には意中の彼が。初デートは大成功だ――。
と、彼が立ち上がった。
「出ようか」
「は?」
エンドロールはまだ続いている。
私は一瞬で醒めた。
(2022.1.25)
上司と一緒の外回り。食事時も評価されているみたいで気が休まらない。視線の圧に顔を上げると、目が合ってしまった。まずい……。
「それ、食わないのか」
「えっ」
指差す先には、ウインナー(タコさん)。おずおずと弁当箱を差し出すと、タコさんは一瞬で消えた。
なんだ、このときめき。
(2022.1.26)
牢に繋がれたロボットは、世界初の殺人罪で裁かれた機械だ。使用者に放電して死に至らしめたのである。設計者の責任が問われるも電源が入っていない状態での犯行だったため、ロボットの罪が確定した。今も人間が近づくと電圧の上昇が確認されるので、管理には細心の注意が払われている。
(2022.1.27)
肖像画を目にした依頼人の顔は、みるみる赤く染まっていった。それは羞恥であり、憤怒であった。キャンバスに塗られた油絵具は、下劣で汚穢に満ちた依頼人の素顔を炙り出していた。殺されても仕方ないと思いながら、私は最後まで筆を止めなかった。ひとえに、良く描けていたからである。
(2022.1.28)
「ちょっと!」
乱暴に叩き起こされ、回らない頭で事態を把握しようとする。隣には軽蔑した表情のパートナー、はだけた布団、そして下半身の違和感――結論、私は盛大に粗相をしていた。昨晩は体調が優れず求めに応じられなかったというのに……。平謝りしながら風呂場に向かう足の裏が寒い。
(2022.1.29)
貯水池のほとりには、草木の青いにおいが立ち込めている。時雨は去ったばかりだ。柔らかな土を足元に感じながら、さざ波の渡る水面を眺める。水面は近い。その裏側に冷たい世界が淀んでいるのが透けて見える。まるで袂を寛げるかのように。そこには死の気配がある。淑やかな死の気配が。
(2022.1.30)
マルガリータの次はホワイト・レディ、まるで女を渡り歩いているような気になる。唇だけは経験豊かだ。蠱惑的なくびれを指でなぞり、ひと息に呷れば、白い貴婦人はきつい一発をお見舞いする。酒に関してはとても一途になれそうにない。女に関しては?一途になる前に逃げられちまうのさ。
(2022.1.31)
(2022.1.16)
朝四つ暮三つとせがんだ猿たちは、目先の利益にとらわれる愚か者で知られていた。しかし近年、朝食の重要性が明らかとなり、栄養学的な観点から評価が変わりつつある。一方で社会学者らは団体交渉権を教えようと動いており、いずれにしても四字熟語の歴史を塗り替える結果が期待される。
(2022.1.17)
男は鉢いっぱいに盛った鰹節に醤油を垂らす。多すぎず少なすぎず、分量は経験と感覚だ。これを丼の白米にまぶして、一気にかき込む。無邪気に咀嚼する姿を見て、幾つもの企業を傘下に持つ財閥の総帥と誰が思うだろう。それはふるさとの味だった。そして貧しい少年時代のごちそうだった。
(2022.1.18)
「あんまりじろじろ見ないでよ」
クラスメイトは頬を赤らめるが、ぼくは無視して鉛筆を動かす。高学年になると、異性を意識して戸惑う瞬間がある。この子もモデルとして眺めていたら、結構な美人だと気づいてしまった。気まずいのはお互い様。
「きれいに描いてよ」
「うるさい。動くな」
(2022.1.19)
生前に部下をいじめ抜いた上司は死後、地獄に落ちる。それは報いを受けるためではなく、再就職とでも言えばよかろうか。他人を苦しめても何とも思わない人間は獄卒の資格があるとされ、優先的に雇用されるのだ。それなりの地位を与えれば十分な働きをするので、閻魔さまも重宝している。
(2022.1.20)
真冬の曇天を背負い込んだ海にサーファーたちが浮かんでいる。いい波は来ないらしく、沖合いを睨んだまま、カラフルなボードの先を迷わせている。それはまるで、飛び立ち方を忘れたかもめのよう。雨が水面を叩き始めたころ、冷たい風が轟き、逆巻く波が雲を呑んだ――それは彼らの遥か彼方。
(2022.1.21)
知恵を搾って生み出したものより、思いつきの手慰みのほうが評価されてしまうのを見ると、才能や努力とは何なのだろうと思う。天の果てより――あるいは地の底より――もたらされるのを待つしかないのなら、創作者として生きる自信を失くしてしまいそうだ。それがもう驕りなのかもしれないが。
(2022.1.22)
試験が始まった。私は迷いなく解答欄を埋めていく。回答を知っているから楽勝だ。裏ルートを通じて入手し、完璧に暗記した。
しかし結果は不合格。取引の相手を問い質す。
「どういうことだ!」
「分からないのか?」
「だから訊いてるんだ!」
「不正をしたからだ。詳しくは署で聞こう」
(2022.1.23)
ひょんなことから金髪碧眼美女と付き合うことになったけど、ぼくの言語力はといえば読み書きも覚束ないレベル。相手は日本語ペラペラなので会話に支障はないが、やっぱり母国の言葉で気持ちを伝えたい。必死になって勉強したものの、頭に入ったのはたった二つ。
“ありがとう”
“愛してる”
(2022.1.24)
エンドロールが始まった。映画館のあちこちから鼻をすする音が聞こえてくる。私も涙の余韻に浸りながら、観て良かったと心から思った。しかも隣には意中の彼が。初デートは大成功だ――。
と、彼が立ち上がった。
「出ようか」
「は?」
エンドロールはまだ続いている。
私は一瞬で醒めた。
(2022.1.25)
上司と一緒の外回り。食事時も評価されているみたいで気が休まらない。視線の圧に顔を上げると、目が合ってしまった。まずい……。
「それ、食わないのか」
「えっ」
指差す先には、ウインナー(タコさん)。おずおずと弁当箱を差し出すと、タコさんは一瞬で消えた。
なんだ、このときめき。
(2022.1.26)
牢に繋がれたロボットは、世界初の殺人罪で裁かれた機械だ。使用者に放電して死に至らしめたのである。設計者の責任が問われるも電源が入っていない状態での犯行だったため、ロボットの罪が確定した。今も人間が近づくと電圧の上昇が確認されるので、管理には細心の注意が払われている。
(2022.1.27)
肖像画を目にした依頼人の顔は、みるみる赤く染まっていった。それは羞恥であり、憤怒であった。キャンバスに塗られた油絵具は、下劣で汚穢に満ちた依頼人の素顔を炙り出していた。殺されても仕方ないと思いながら、私は最後まで筆を止めなかった。ひとえに、良く描けていたからである。
(2022.1.28)
「ちょっと!」
乱暴に叩き起こされ、回らない頭で事態を把握しようとする。隣には軽蔑した表情のパートナー、はだけた布団、そして下半身の違和感――結論、私は盛大に粗相をしていた。昨晩は体調が優れず求めに応じられなかったというのに……。平謝りしながら風呂場に向かう足の裏が寒い。
(2022.1.29)
貯水池のほとりには、草木の青いにおいが立ち込めている。時雨は去ったばかりだ。柔らかな土を足元に感じながら、さざ波の渡る水面を眺める。水面は近い。その裏側に冷たい世界が淀んでいるのが透けて見える。まるで袂を寛げるかのように。そこには死の気配がある。淑やかな死の気配が。
(2022.1.30)
マルガリータの次はホワイト・レディ、まるで女を渡り歩いているような気になる。唇だけは経験豊かだ。蠱惑的なくびれを指でなぞり、ひと息に呷れば、白い貴婦人はきつい一発をお見舞いする。酒に関してはとても一途になれそうにない。女に関しては?一途になる前に逃げられちまうのさ。
(2022.1.31)