第四話 冥獣

文字数 4,722文字

「止まれ」
 急な制止を訝しむ希海は、やがてその理由を理解した。

 草木の茂みから十名ほどの目出し帽が出現し、希海達を取り囲んだのである。二人の正面に立つ男だけが目出し帽と被らず、素顔を晒している。男は坊主頭で左側頭部には長い剃り込みが入っており、肌は岩のように粗く、鉤鼻の下には無精髭が蓄えられていた。

 男が薄ら笑いで右手を挙げると、残りの全員が二人にライフルを向ける。
「メイタイと聞きゃああの白髪の女が出てくるかと思ったら、ノコノコと歩いてきたのはただのガキじゃねえかよ。ええ?」
 坊主頭の男が顔を愉悦に歪ませ大声を出す。
「これじゃどっちが守られてんのかわかんねぇな? まァ目つきの悪いガキ、お前はこんだけのAKで公開処刑だ。こんな小綺麗な場所で死ねるなら運がいいと思えよ。あと女、お前の方は隣のヤツの処刑を見せた後に眠らせる。殺さねえからせいぜい近くで人が撃ち殺されるのを目に焼き付けとけな」

 青年はというと、ナイフと銃を持った両手をゆっくりと下げるが表情一つさえ変えずにいる。
「何か言い残すことはあるか」
 坊主頭は青年のその動作を意に介さず、今度は落ち着いて、しかし死刑を宣告する時の威厳の籠った声色で訊く。
 頭上の太陽は輝きを保ったまま、少し傾いていた。

 ──この人なら何かしてくれるかもしれない。今の絶体絶命の状況を打破する何かを。
 希海は思った。恐怖の中に潜む根拠のないその期待は、青年の持っていたナイフの刃の『美しさ』あるいは青年の悲しげな目から来るものだったのかもしれない。

「はァやァく、遺言だよ、遺言」
「足元に気をつけろ」

 青年の『最期の言葉』は、男にとって予期していたようなものでは到底なかった。何の絶望も恐怖もなく、合点のいかない最期の言葉。十名に囲まれ、銃を向けられ、その銃口から発射された銃弾で体を貫かれる運命が決まっている者の言葉としてはあまりにも意味が通らなすぎる。 

「は?」
 
 二人を除く庭園の男達全員の足元から、人ひとり分ほどの大きさの氷塊のような物質が目にも止まらぬ速さでせり上がり、そのまま彼らの喉元を貫いた。

 氷塊の尖った矛先に刺された者達の体はその勢いで上に飛び上がり、足は地面を離れていく。脱力し手足がぶらぶらと宙を漂う体が首の一点で張り付けにされる様は、百舌が枝に立てた速贄を思わせる。しかし希海が眼前の出来事を理解する頃には、ほとんどの贄は生きてはいなかった。
 
 坊主の男は口を開けたまま立ち尽くしていた。青年は男の前まで歩いて、男の胸に強烈な蹴りを喰らわせる。
 壁際に吹き飛ぶ男の体。その場に座り込んで怯える男に青年は銃を向けた。
「お前らはどこの組織だ?」
「てめぇに言う訳ねえよ……! 言ったら殺される!」
 男が青年の向けた銃口を見ながら大声で言った。

 青年はしばらくの沈黙の後、銃の弾倉を交換し、また男に向けた。
「RIP弾だ。人体に着弾すると弾頭が分裂して細胞組織をめちゃくちゃに破壊する。撃たれた部位は血管が損傷し大量の出血を伴って使い物にならなくなるだろうな。どこから最初に撃たれるのが良い? 選ばせてやるよ」
「おい、よせ…………あ、あのさ! 俺には子供がいる! 子供のために稼ぎがいい仕事をしなくちゃいけなかったんだ! だから…………」
「おいおい、ご希望が無いなら俺が決めるぜ。まずは左脚からだ」
 そう言うと青年は、男の左脚に向けて引き金を引く。

 ──辺りに響く男の悲痛な叫び声。男の足に潜り込んだ銃弾は、筋肉や神経を引きちぎりながら男の奥深くに突き進む。やがて銃創の下では血の池が広がり始めた。男は銃弾一発で立ち上がることが不可能になったのだ。

「頼む……何も知らないんだ……子供が居るのも本当だ……頼む」
「うん、次は右腕」
 また銃声が鳴った。銃創をかばっていた男の右腕は地面に力なく脱力した。
 希海は下を向いたまま、耳を塞いでいた。

 四肢を全て撃ち抜いたところで、男は叫びのあまり嗄れた声を出す。
「野崎ってやつだよ……管理派の男だ。あのガキを生きて攫ってきたら5億やるってな。それ以上は本当に何も知らねえ」
「そうか。上に報告しておく」
 そう言って青年は男の頭を撃った。壁のガラスに肉塊が飛んで張り付いた。
 
 青年は耳から首元まで伸びるイヤホン型の無線越しに言う。
「宵河です。 ……ええ、はい。 ……このまま駐車場に向かいます。回収お願いします」
「ほら、行くぞ」

 ──もう嫌だ。

 死体の陰惨な臭いがする。数分の間、一体何人の人間が私の目の前で死んだだろうか。希海はそんなことを思い巡らせ、庭園の外を眺める。目下の2階フロアには、希海達を最初に襲撃した目出し帽数名の死体が転がっていた。

「……ゔっ…………っ!」
 耐え切れずに前屈みになった希海の喉から、カフェで食べたドーナツや朝食のスープの具が床に飛び散る。
 鳴り響く頭痛の中、希海は青年を非難の目つきで睨んだ。こんなに大勢の人を殺しておいて、平然とした顔つきのこいつが憎い。人をいたぶるようなやり方で殺したこいつが憎い。自分がどういう理由で彼に守られているのか知らないが、希海は一秒でも青年の隣に居たくなかった。彼の隣にいるだけで殺戮を擁護しているような気がしたから。

「本部に附属病院がある。そこの病室に着くまで我慢しろ」
「……人がこんなに死んで、君何も思わないの……?」
「慣れてる」
「そう。でも私はそんなの慣れてない。大体…………」
「待て、静かにしろ」

 青年は何かを感じ、怒る希海を遮った。予感は希海の背に、悪寒となって走る。

 希海の頭痛が一瞬強まった。

 二人は、庭園がほのかな赤い光で満たされていることに気づいた。もう日が暮れたのだろうか。いや、ここに来たのは昼の一時過ぎだった筈だ。この色は明らかにおかしい。
 空を見上げてみる。
 
 ────一面、紅に染まっている。

 気味が悪いほどの紅。まるで水に血を垂らしたかのような空に、希海はあっけにとられていた。

 次の瞬間、天井越しの空に大きな『目』が出現した。その『目』はショッピングモールの全敷地ほど大きく、希海達を見下ろしている。それは明らかに人の目と表現する他なく、真珠のように光を反射する黒い瞳の周りには、血管が走っていた。ただその血管の数があまりに多くあまりに巨大で複雑に絡み合っていたので、地下鉄の路線を彷彿とさせる。
 ガラス張りの天井から見える景色は、その目で全て埋まってしまった。瞳はぎょろぎょろと辺りを見回している。

「なんなの……あれ?」
 希海が呆然として呟く。
「よりにもよって、現場に俺一人のときに厄介なのが来やがった。『冥獣』だ」
 青年がそう言うと、上空の目に亀裂が入った。そして亀裂の内側から、一対の人の拳が覗く。その両手は張り裂けた瞳を掴み、傷口を力いっぱい広げた。辺り一帯を劈く、金属のワイヤを引きちぎるような轟音が聞こえる。

 瞳の中から姿を現したのは、体長が十メートルを悠に超える一匹の巨大な獣。

 

は人型の悪魔とでも言うべきだろうか。
 
 体は即身仏のようにやせ細り、アバラは皮膚を突き破り、その複数本があちこちに頭を向けた状態で露呈している。皮膚は人間よりも暗い色で、流行り病に冒されたような土色に薄っすらと藍色がにじんでいた。
 長毛で髭を蓄えた人間の頭をしているが我々と同じような眼は無く、代わりに蠅の複眼のような夥しい数の目が顔中に『増殖』している。顎の亀裂はこちらから見るとまるで鍾乳洞のようであり、数本の鍾乳石が歯であることに二人が気づくのには時間がかかった。
 ワイヤを引きちぎるような轟音は、この悪魔が現世に産み落とされる様を祝福する聖歌であった。

 悪魔は『目』から体全てを晒し、天井のガラスを突き破って希海達の目の前に落下した。
 希海は恐怖のあまり、声も出せずに佇んでしまう。
「……まずいな。あれは俺一人じゃどうにもできない。俺がこいつを足止めするから、お前は立体駐車場に逃げろ」 
「……君はどうすんの?」
「後でタイミングを見て合流する。俺なんかはいいからお前は……」
 眼前の獣が張り裂けんばかりの鳴き声を上げた。
 人間の叫びのような、猛獣の雄たけびのような、サイレンのような……そんな鳴き声に、二人の会話はかき消された。

 獣が骨の浮き出たその腕を希海に向かって振り下ろした瞬間、希海を中心として半球状に氷塊が現れ、希海を獣の鋭い爪から守った。
 希海が青年の方を見ると、さっきまでナイフを持っていた彼の右腕には腕と同じくらいの大きさの、先の尖った氷塊がとりついていた。

 どうやら氷塊は青年が生成し、操っているものらしい。数分前に男達を貫いた尖った氷塊も恐らく青年の意思で生み出したものだろう。しかし氷ほど冷たくない上に、一面には幾何学的な直線が何本も入っている。
 この奇妙な氷塊は、何か心当たりがあるような気がする。
 
 希海を覆っていた塊が砕け、ガラスの破片のように足元に散乱する。獣は少しの間たじろいだが態勢を立て直し、今度は青年に腕を振り下ろした。
「俺の言うことを聞け! 通路はあっちだ!」
 叫びながら右腕の氷剣で獣と剣戟を交わす青年を背に、希海は駐車場にひた走った。
 


 もう少しで庭園の出口だ……
 希海が息を切らせ、通路の入り口に差し掛かったその時、入り口のすぐ上の壁に目に捉えられぬ速度で人間大の『何か』が衝突した。

 衝突の爆音、立ち込める煙。あと数十センチ位置がずれていれば希海にぶつかり、希海の四肢は繋がっていなかっただろう。それほどの勢いだった。忽ち入り口は崩れ、通路は瓦礫で塞がれてしまった。
 無我夢中で疾走していた希海は立ち止まり、嫌な予感がして壁際の『何か』を見る。
 
 煙の中から姿を現した『何か』は、青年だった。

 青年が獣に何メートルも吹き飛ばされ、壁に叩きつけられたのだ。少しして青年は、むせて喀血した後むくりと立ち上がった。氷剣を纏った右腕の骨は折れ、手は力なくぶらぶら揺れている。
 獣は青年と戦っていた場所で前屈みになったかと思うと、跳躍し二人の後ろで着地した。
 
 獣の奇怪な複眼が希海を捉える。
 もう打つ手は無いように思えた。
 回収地点の駐車場への唯一の道は塞がれ、退路には獣。逃がしてくれる筈は無かった。
 青年の腕は使い物になりそうにもなく、苦しそうな顔で腕をかばいながら獣を睨んでいる。

 ああ、この人が表情を変えたの、今初めて見たな……。よく見ると顔は意外と悪くない……か? てか、せめて秋の文化祭だけは楽しんでから死にたかったな……希海はそう考えた。

 希海がゆっくりと目を閉じかけたその時、獣が希海に顔を近づけ、まじまじと見つめた。数百数千の目がぎょろぎょろと蠢いたのち、それら全てが希海の顔に向く。
 少しして、獣はおもむろに退き下がり、破壊された天井からモールの外へ出ていった。出ていったかと思うと、上空に滞留する『目』の中へ入り、姿を消した。その後すぐに『目』は空に溶けるように消失した。

「こ、これ、助かったの?」
「さあ…………。あいつお前を見て帰ってったが、お前の能力か?」
「は? 何、能力?」
「まあ詳細は本部で報告してくれ」 
 青年が右の掌でグーとパーを繰り返し作り、手が動く事を確かめる。

 ────あれ? その腕、さっき折れてなかったっけ。
 希海は青年に訊こうかと少し悩んだが、質問攻めにはさっきのように叱責が返って来るだけだろう。それ以上何も言わない事にした。

 閑散とした庭園の床に墜落したモニターには、こんな文言が表示されていた。
 


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