第二十三話 セーフティのかかった銃

文字数 2,414文字

 本部へ帰還する途中、二人はさっき車でたどった交差点に立ち寄った。

 そこは二人、そして小野寺がフロントガラス越しに伊田と出会った場所。車の逃走経路は交通がぐちゃぐちゃになり、ここから新宿中央公園までは大規模な交通規制が敷かれた。その範囲の広さからか、ここにはまだ誰の姿も無い。

 小野寺から本部への応答は無いとのことで、彼はほぼ確実に死んでいるだろうと六は反対したが、どうしても知りたいという希海の強い希望によって、二人は救護班と共に、ここに小野寺の安否を確認しに来たのだった。
 二人を乗せた冥対の車が現場で停まると希海は車外へ駆け出し、六と職員は後に続いた。

 惨たらしく焼け焦げた小野寺の体に、脈の有無を測る必要は無かった。破けて残った服と肉が区別できないほど黒いその体を中心として、周囲のアスファルトにはまるで飛び散った血しぶきのように焦げが広がっている。
 分かってはいた。裏切られて絶望の底に突き落とされるのが怖くて、期待はしていなかった。それなのに、目の前に広がるこの凄惨な光景は希海の口から言葉を奪い、そして地面に立つ足の力をも奪い去った。
「彼の遺体はここの調査が終わった後に回収します。軽い傷とは言え宵河さんも負傷しているのですから、できるだけ早く車に戻って下さい」
 憔悴しきった希海に言っても聞かないだろうと思った職員は、希海の少し後ろで小野寺を見つめる六の方にそう伝え、下がって調査を続けた。

「言っただろ、ここに戻っても傷が増えるだけだと」
 六が希海の背中に言葉を投げかける。
「小野寺さんを殺したのは…………私達と同じくらいの年の子だった。その子も誰かに殺された。この先何回こういう事を繰り返すんだろ、私達」



 その時、二人は死体だと思われた小野寺の体から、微かな声を聞いた。

「……………………ぁ…………」

 二人共最初は幻聴かと思ったが、互いに顔を見合わせ、そうではないことに気づく。
「生きてる…………まだ生きてる! 職員の人呼ばなきゃ!」
 希海は遠くで話し合っていたり、写真を撮ったりしている職員のうちの誰かに向かって大声で知らせようとしたが、小野寺が紡ぐ言葉の続きにはっとして耳を傾ける。
「……………………り…………え」
「…………え?」
 希海はよく聞こえず、小野寺の口元に耳を近づける。まだ熱を持っているその体からは、毛髪や肉が焼けた嫌な臭いがした。
「りえ…………小野寺さんの子どもの名前だ」
 そう言った六の声色はどこか冷たく、希海には何故か、最初に会った頃の六がそこに居るような気がする。
「病院に行けばりえちゃんと会えますよ……! 今職員の人を呼んで来ますから!」
 そう言って希海が職員達の居る方に向くと、六は空気を切り裂くような声で言った。
「待て。周りに生きてることを知らせるな」
 
 なんで? 希海は六の言葉に耳を疑った。言っていることの意味が分からない。
 風前の灯である目の前の命は、一刻も早く手当てをしなければ簡単に消えてしまうのだ。それなのに、「生きてることを知らせるな」? 
 
「は…………? 小野寺さんを殺す気!?」
「そうだ。小野寺さんはここで俺が殺す」
 六はそう言ってナイフを取り出した。全く理解が追いつかない。
「なんで…………」
「ここで助かっても、この傷じゃ死ぬまで意識は回復しないだろう。今は残った少しの斥冥力を使いながら生き永らえてるだけだ。人間は斥冥力が底を尽いて戻らなければ、昏睡状態から回復することは無い」
「そんなのまだ分からないでしょ!? 附属病院で治療を受ければ……」
「小野寺さんの娘は重い病気を患っていて、奥さんはすでに亡くなってる。この人は給料をほぼ全部治療費に充ててるんだ。動けなくなった自分までどうにかする余裕なんて親子に無いだろうし、娘に心配をかけないために、こうなったらちゃんと死にきりたいと普段から言っていた」

 六が半分死体となった小野寺に、ゆっくりと近寄る。
「何言ってるのか全然わかんないよ!! それで人が死んで良い訳無い! それに残された人たちの気持ちはどうすんの? 心配かけないために死にきりたいって……死んだ方が娘さんはよっぽど悲しいのに…………!」
「小さい子どもをおいたまま死にたいなんて、普段は良い人なのに親としては最悪だよな…………でも、これは小野寺さん本人の話だ。今選択を迫られているのは小野寺さん自身で、この人は自分の人生を終わらせる方を選んだ」
「やめてよ、六……六…………!」
 淡々とした口調で、六が続ける。
「お前は言ったよな? 好きなように生きろって。なら幸せのために好きなように死なせてやっても良いだろ。今この人にとって幸せへの唯一の梯子は全て終わらせることだ。俺にはその梯子を蹴落とすことは出来ない」

 希海は落ちていた小野寺の拳銃を咄嗟に拾い、小野寺の首にナイフを突き立てる六に銃口を向ける。
「何のつもりだよ」
「そのナイフを捨てて! 人が死んで良い理由なんてどこにも無い」
「羽宮希海は人類の脅威にもなり得る特例中の特例だ。お前が冥対の職員に意図して危害を加えた場合、その場で殺しても良い決まりになっている。それでも俺を撃つ覚悟はあるか? あとその銃、セーフティがかかったままだぞ。親指のとこのレバーだ」
「…………っ!」
 撃つことができなかった。何ひとつ言い返すこともできなかった。希海はいくら反論したとしても銃を撃てない時点で、銃を撃つ覚悟が無い時点で、六を説得する資格が無い気がしたからだ。希海は依然として銃を構えていたが、その手は震えていた。

「心配ありません、小野寺さん。俺がちゃんと娘さんに伝えます……ゆっくり休んでください」

「────一体何やってるんですか、二人とも…………!」
 聞き覚えのある女性の声に希海達が振り向くと、驚いたような、怒ったような表情で立ち尽くしていたのは、抑制プログラムを初めて受けた日に出会った白川天音だった。
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