第13話 人生の終わりは自分で決めたい。

文字数 1,019文字

 最近の私の頭をかすめる、ボンヤリとした悩みごと。それは、
 
「ヘタに長生きしちゃったらどうしよう?」

ということなんです。
 
 心身ともに健やかで、頭もシャッキリとし、自分のことは自分で完結でき、情熱が冷めず、親しい人々に囲まれ、年金をもらわなくても経済的にやっていける……そんな状態ならばいくらでも長生きしたいもんです。
 でも……体が思い通りに動かず、頭もよく働かず、金もなく、そのうえ友人や家族など「自分を知ってくれている人々」がどんどんいなくなっていく……

 あああああああ耐えられない!絶対!!

 最悪、「ま~だ生きてるよあの人」なんて、若い人から知らないところで言われてたら……
 若い人の足枷になってまで、生きていたくないよ!!!

 自分の人生の終わりを、自分で決めさせてはいただけないでしょうか? 
 
 極端な話ですが、いわゆる安楽死制度を導入してもらい、ある程度の年齢になったら「自分はいつ・どうやって最期を迎えるか」を決めることができればなぁなんて思います。
 もちろん計画通りにはことが進まない可能性もあります。予期せず、計画よりも早く逝ってしまうというアクシデントもありえます。それはそれでいい。計画内容を前倒しすればいいだけですからね。
 とにかく一応の「終着点」が決まっていれば、それに向かって準備もできるし。いわゆる「終活」にも力が入るってもんです(笑)
 終わりがあらかじめ分かっているほうが見通しが立って、よっぽど計画的に、生きやすくなるのでは?

 そこまでできなくても、「遺言作成の義務化」ぐらいはしてもいいのかなとも考えちゃいます。周りの人たちへの負担をできるだけ軽くするためにも、ね。
 
 病気になっても、助かる見込みがなければ無駄な延命治療はしない。
 重度の痴呆症になったら、抹消登録(安楽死)していただく。
 不幸にも私の遺骸を最初に見つけた方、あなたに私の全財産を託します。負債はありません。枕元の現金で、ご面倒ですが後始末をお願い致します。(←孤独死したら)
 葬儀はいらない。直葬で頼みます。
 
 私はこんなとこかな?

 「超・高齢化社会」といわれる我が国。この私の「極端な話」が現実のものとなるならば、介護や社会保障費などの諸問題が溢れているこの時代、そんなに悪い話ではないと思うんです。

 だから、そろそろ考えた方がいいと思います。
 
 「人間の死に方」について、目を背けずに。
 
 真面目に本気で。でも、肩ひじ張らずに……
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