4.《 水際上陸の日 》  2022/2/9

文字数 3,038文字



僕が計画した必死のホノルルマラソンツアーは、再三のJAL運航変更のためスケジュールが二転三転したものの、マラソン完走の強い想いで変更手続きの煩雑さやキャンセル料にも耐えていたところに、出発まであと10日という時点でまたもや日本政府が繰り出した世界からの鎖国政策の影響(外国人入国禁止と帰国日本人隔離)を被ってしまった今回のホノルル往復ではあったが、迎えたクライマックスの帰還入国から隔離までの一部始終、めったにない機会であるので、現場で起きた出来事をあるがままにお伝えしたい。

2021年12月19日 16:30
予定より5分遅れでJAL便が羽田に着陸、予想通り機内にてお待ちくださいとのこと
・・乗客も予想通りということで静かなまま。

16:55
機外に出る、ここからオミクロン対応の日本的官僚仕事の粋を感じることになる、
時間にすると1時間余りであはあるがその間、羽田空港内をグルグルと歩かされ途中のチェックポイントで書類やアプリをチェックされる、機内持ち込み荷物を抱えて若い連中の後を黙々とついていく、遅れるわけにはいかないのはホノルルマラソン完走者の意地である、
小さな子供連れ、足腰の弱い人には苦行にしか過ぎない、あるご婦人は途中から車椅子に移っていた、お世話する係の人もご苦労様。
そのくらい羽田の国際線ターミナルは大勢の係員で溢れていた、問診する若者の多くは外国人学生のように思われた、日本人学生はこの手のアルバイトはしないだろうな。メインイベントの抗原検査を終え、14日間隔離中の管理ツールアプリ(4種類)のチェックを兼ねた設定ヘルプ担当の若者は書類を見て「同じ海老名ですね」と親しく話しかけてくれた、彼もアジア系だった。

18:05
空港引き回しツアーがここで終了し検査結果待機に入る、今日は入国のピーク(年内)とのこと、僕は当初からあきらめていたがクリスマス・年末年始を自宅隔離中とはいえ家族と過ごすターニングポイントだろう(10日間政府施設隔離でも12月29日に退所できるから)。
正確な人数は知る術もないが羽田国際線148・149ゲートをまたいだ広々としたスペースには
荷物を手元に置いた大勢の入国者たちが、声を潜めて検査結果を待っている。
間欠的に場内アナウンスで読み上げられる「検査結果が出た人の番号」に耳を澄ましている、
僕は加齢による難聴もあるのでなおさら緊張しながら待つ、本を読んだりスマホを操作するのも控えた。
検査番号は手元書類にある検体番号に基づくが、必ずしもシリアルで呼ばれることもなく、
僕の番号より後の番号が次々と読み上げられていくなか、聞き洩らしたのではと不安がよぎる。ちなみに僕の検体番号は3750、これをもって4000人近くの入国があったと想像することはできる。
ホノルルを発つ前から羽田のこのような混乱状況をSNSなどで見聞きしていたので、覚悟はできていたし逆に興味津々楽しみにしていた。 数時間待たされた結果飲み食いに苦労した体験談を聞いて、あんパンとジュースを手荷物に忍ばせていた。
だが、148ゲートから待合スペースの149ゲートに移動する入り口で、一人一人におにぎり2個と飲物1本が配給されている。手渡しでこそなかったが(感染対策上)日本の「おもてなし精神」、係員のご苦労をここでも痛感して、心がちょっぴり温まった。

20:35
待つこと2時間半、自分の検体番号がアナウンスされる、指定のカウンターに進むと検査結果が宣誓書に張り付けられる、
この宣誓書は厚労省大臣あてのもので14日間の隔離中の管理規則に従うというもの。
検体3750は陰性、陰性シールを張ってもらった流れでバス移送の列に並ばされる、グループで行先が違うようだ、僕は①グループの48番、バス乗車人数単位(約20人)で係員(全員若い女性、学生アルバイトか、ここにも外国人学生らしい人が多かった)に引率されて検疫(今更だけど)、入国審査、税関を通ってようやく晴れて日本入国、空港の外に出る、初めて噂の寒波を垣間実感する。国際観光のバスがこの時間(21:30)10数台待機していた。

21:35
20人ほどのグループを乗せたバスが行き先も告げずに動き出す、ミステリーツアーのようだと内心揶揄していたが、乗客の一人が「どこに行くんですか?ホテルですか?」などと声をあげても運転手、添乗員(ここに至って二人ともオッちゃんになっていた)は黙して返答なし、
どこかのSNSで政府施設隔離は「リアル・イカゲーム」だと称していたのが蘇ってきた、
そういえば、羽田チェックポイントツアーのひとつで「宿泊先確認」があって国籍、家族構成、食物アレルギー、宗教食の有無などを聞き取り調査された。
日本人、無職、高齢者、一人旅、エコノミー席、食物偏向なし・・・は、銀座のホテルにはならないだろうくらいは予測できた。
しからばと、マップアプリでバスの動きを監視すると、羽田から高速を北上し埼玉に入り最後は和光市に到達、そういえばどこかの研修所がロックダウン武漢帰還者の隔離施設になっていたニュースを思い出す、ここは和光税務大学の敷地内の研修所、霞寮。 
到着は22:30。

23:00
研修所入り口で、健康状態を確認された後、WIFI機器(管理アプリ接続用)、備品一式(石鹸、歯ブラシ、歯磨きペースト、消毒シート、タオル など)、隔離中の注意事項シート、夕食弁当をいただいて部屋に入る。

12月20日 1:30
 WIFI 設定、研修所内でのチャットアプリインストール、夕食(空腹だったが疲れすぎたのかほとんど食べられなかった)、荷物を整理する。
羽田に着陸してから9時間、ホノルルを出発してから19時間、体内ハワイ時刻では朝6:30、
結局徹夜してしまった。

長い今日だったが「今日である」ことを実感すること難くない今日だった。



《 補足  さらば 霞寮 》

2021年12月22日、三日間の強制隔離最終日はそれまでの2日間と違ってい忙しく、ちょっぴり緊張の一日となった。
朝7:00 PCR検査キットがドアの前に配布される、ちなみにドアノブにぶら下げられていた毎食事も、途中からドアの前に配膳台(お風呂の椅子?)が用意されたので、ドアを強く開けてお弁当がぶっ飛んでしまうことも無くなった。
検査の結果は午後に判明する、陰性の場合は17:00に隔離場所を退所し、到着地・羽田へ向かう手筈になっている。陽性の場合は・・・その時はその時だ。
お昼のメンチカツ弁当をいただいた後は荷物をもう一度パックして、寝具を片付け、部屋の掃除をしてじっと検査結果連絡を待つ。
窓から見える和光の空を眺める(ベランダに出ることは禁止)こと暫し、連絡がない。羽田での検査結果を思い出し「大丈夫」と言い聞かせる。
16:00 ドアの外から看護師さんの肉声で「陰性でした」とお知らせがある、いつでも出かけられますけど・・・
17:00 防護服に身を包んだスタッフ3~4名が各部屋からの退所をサポートしてくれる、荷物をバスのトランクまで運んでくれる、まるでホテルのベルボーイのように、恐縮してしまった。
霞寮の前にはリムジンバスがずらりと並んでいた、来たときはバラバラだが戻る時は一緒なのだろう7~8台見かけた。
迎えに来てくれる娘と連絡を取りながらバスはラッシュアワーの高速を進む、羽田での待ち合わせは誤差5分、駐車代金が無料になった。
自宅では、厳しくも暖かい隔離生活の体制が出来上がっていた。


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