123.《 円安の日 》 2024/5/1

文字数 3,462文字



2024年4月末時点での為替レートは1ドル=160円まで下落し、政府介入によって世界規模の賭場が開帳した模様である、円を巡る思惑が交錯し世の中が騒々しい毎日だ。
円安に起因する食品の度重なる値上げ、そして電力・ガス料金の補助終了などなど、一般庶民にとって先行き暗いニュースばかりで毎日ウンザリもしている。

実際、食料を輸入に頼る日本にとって、円安は食の安全保障にもかかわる大きな問題になってきた、食糧自給政策をなおざりにしてきたつけが廻って来たようだ。
2024年のゴールデンウィークはそんなこともあって海外旅行がいくぶん不活発らしい、アメリカ旅行に日本からカップ麺などを持参するという涙ぐましい話も聞く。

海外旅行と言えば、ハワイにスポーツ遠征と称して毎年出掛けるようになったのは2001年、51歳の時からだった。
アマチュアながら本気トライアスリートとして毎年2~3回のレースに全生活を賭していたが身体がとうとう音を上げたのが2001年だった。
心と身体をごまかすかのように、ファンスポーツに転向した・・・その着地点がホノルルマラソンであり、ホノルルトライアスロンだった。
そこから2021年ホノルルマラソンまで 20年間20数回ハワイを訪れている。
最終2021年の円ドル為替をチェックしてみたところ、1ドル=106円だったが、コロナパンデミックのためハワイの物価は高騰しており、ドルの使い勝手が悪くなったという印象が強かった。

2021年から2024年を比較しても49%の円安、ハワイの物価は全米一であることを考えれば、庶民にとってハワイ旅行は再び夢になるのだろうか?
「憧れのハワイ航路」、「トリスを飲んでハワイに行こう」などに象徴されてきた「いつかは行きたいハワイ」にまた戻ってしまうのだろうか?

2001年から2021年まで20年間の年別円ドル為替(平均値)をざっと調べてみる:
年代順に 1ドル=108、125、115、108、110、116、117、103、93、87、79、79、97、105、121、108、112、110、109、106、(円)となっている。
2024年4月末時点での比較で、最大200%(2011年)から最小でも26%(2002年)の円安になっていて現在のハワイ旅行がいかに厳しいかを裏付けている。

ぼくが2021年でハワイスポーツ遠征を終了したのは、日本人男性平均健康寿命72歳に達したことを契機にしただけのことなのだが、その後の費用高騰を目の当たりにし、予期したわけでないがタイミングの良い潮時だったと、手放しで喜んでいいのか複雑な心境が続いている状態だ。

円安と言っているが、これは円の力が弱くなった円弱であり、日本の国力が低下したことに他ならない。
その原因として、働き方改革と偽証したヒューマンコスト削減政策、富裕層先行と詐称した富裕層対応アベノミクスなどが思い出されるが、済んでしまったことは今更どうしようもない。
一方では、インバウンドと称する海外観光客が空前の人数に達しどこの観光地も日本人が少ない、彼ら皆が日本の物価安を褒めたたえているニュースも流れてくる・・・・インバウンドでしっかりと稼いでくださいと宣った現首相の眼鏡が空々しい。

物価高にあえぐ日本人庶民と日本文化を謳歌する海外観光客の皮肉な対比を、武士は食わねど高楊枝と無視することもできない、なんとも納得がいかない。
  
円ドル為替問題を考えていて、またまた昔話を思い出してしまった、今回は1976年のことである。

1976年はアメリカ建国二百年ということで、bicentennial バイセンテニアルの行事が全米各地で催された。
当時勤務していた日本オリベッティ広報部にTBSラジオ広告企画が提案される・・・海外研修旅行付ラジオCM企画、CMを出してくれれば、海外旅行がついていますというわけだ。
「TBS MARKETING TOUR」はアメリカ全土においてセミナーを受講し、かつ各地の二百年祭の行事にも参加できます・・・という豪華なものだった。

通常この種の広告企画はオーナー企業をターゲットにし、代表者または近親者が参加することが多いが、たまたまラジオCMを戦略にしていた日本オリベッティ(ミッドナイト・プレス・クラブ提供など)にもお誘いが来た、そして入社3年目のぼくが指名されたのだった。

3週間の旅行は、TBSのスポンサー招待企画なので参加者の個人負担は生じないが、自由時間の多い日程だったので、ある程度のお小遣いは必須だった。
参加者がオーナーや重役であり、海外旅行に慣れていたので、自由時間を多めにしたのだろうと旅が始まってから納得したものだ。
メンバーの中で最年少26歳、役職なしということでそれなりに気を遣う旅だったが、後にも先にもアメリカ本土に旅したのはこの時だけの貴重なものになった。

最初1週間はスタンフォード大学研究所で特別集中講座を受け、その後はバイセンテニアルに沸き立つアメリカ各都市で研修・観光した。
二百年目の記念日当日(7月14日)にはフィラデルフィアでフォード大統領のパレードを見たが、人が多くて大統領を拝顔することはなかった。
おまけとして 夏のオリンピックが開催されていたモントリオールにまで足を伸ばし、開会式に入場する日本選手団をスタジアムの外から見送った。

古い旅を思い出したキーワードは「円安」、1976年の旅に際し懐に入れたお小遣いは500ドルだったことを思い出した、1ドル=360円だとすれば18万円になるが、一方妻から15万円用立てしてもらった記憶もあるのでどうも計算が合わない・・・・またもや加齢による耄碌なのかと、いつもの強迫概念に苛まれる。
よく調べてみると1ドル=360円体制は1971年にすでに終わり1976年時点では変動為替相場に移行していた、基本的な思い違いをしていたことが分かった、ただしこれもボケの一種と言えるけれども。

ちなみに1976年7月の為替相場は1ドル=294円、15万円が500ドルという記憶と一致した、まずはメデタシメデタシ。

バイセンテニアル旅行に戻ってみよう・・・
15万円という大金(給料3か月分ほど)ではあるが500ドルのポケットマネーで3週間のアメリカン自由時間を過ごすのは楽なことではなかったことはよく覚えている。
海外慣れし、英語も堪能で、何より裕福な参加者たちはさっさとレストランを予約して外出していく。
ぼくはと言えばホテルの近くの、いまでいうテイクアウトショップで食事を調達することが多かった、当時クレジットカードのことなどは知る由もなかった。
同行していた主催者(TBS)が気を廻して夕食に誘ってくれた・・・「もしよかったら、ぼくらとご一緒しませんか」、ご馳走になった、親切が身に染みた。
それでも一人でニュージャージーのモーテル(お祭り騒ぎでニューヨークには宿泊スペースはなかった)からタクシーでブロードウェイまで往復し「マイフェアレディ」を観て、立ち食いステーキを体験した貴重な思い出が残っている。

1ドル=300円の旅では妻にも長男(1歳)にも大したお土産は持ち帰れなかった。
その代わり出発前に、たくさんの賞金・賞品を稼いで家族に渡しておいた(???)
バイセンテニアル旅行の話になるとどうしてもこちらのエピソードもついてくる。

出発数日前の日曜日、「クイズタイムショック」に出演し今週のトップ賞でチャンピオンチャレンジに勝ち上がったが、惜しくも敗退した、というエピソードだ。
トップ賞金とスポンサー各社からのトップ賞商品をどっさりもらい、とても持ち切れないのでタクシーで運んだ記憶がある。
余談になるが、もしもチャンピオンに勝っていたら新チャンピオンとして翌週出演しなければならない。数日後に3週間の旅行に出かけるため不戦敗をどう弁解すればよかったのかと今でもドキドキしてしまう・・・もしも勝っタラ、勝っていレバ、・・・「タラレバ」のお話ではあるが。

1ドル=158円の円安が、50年の時を超えた様々な思い出を運んできた。
1ドル=300円の時代があったことを鮮明に思い出させてくれた。
1ドル=300円でも海外旅行を楽しむことはできる、と開き直ることも可能だ。
そうすると、1ドル=158円なんてそれほど悩み、憂う大事ではないのかも。

どんな時代であっても、与えられた状況の中で前に進む、諦めることなく、逃げることなく、人知を尽くす。

またも、当たり前の結論しか出ない 今日である。
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