第9話

文字数 3,701文字


   子供から離れてしまった「母親」を、子供の元に戻す---これこそが今求められることではないだろうか。そのためには、まずは母親自身が、社会的・経済的不安から解放され、安心感を得ることが必要だ。そして更に、子育てを通じて自らも成長できること、社会からの承認欲求を満たせることが重要ではないだろうか。(産科的要因や心理的要因へのアプローチも考えられるが、ここでは割愛する)
   ただし今現在、共働きで奮闘している母親たちに対し、仕事を辞めて専業主婦になることを勧めるつもりはない。社会・経済状況が高度経済成長期とは大きく変わっていることを踏まえなければ、ただの絵に描いた餅になる。いったん現状を受け入れた上で、そこから少しでも改善を図っていくことが求められる。
   その手がかりを考える上でのヒントなる事例を、以下に2つ紹介したい。

① 社会的不安を軽減し、承認欲求を満たす---関西の町に見る、受容と共感
   私はこれまで、子供たちが小学校に上がるまでの期間を、アメリカの田舎、日本の地方都市、中核都市、関西の町で過ごしてきた。夫の転勤や自身の妊娠・出産に伴う転居であったが、中でも関西の町の環境が、母親、そして子供へのまなざしの温かさという観点から特筆すべきものがあるので紹介したい。

   中核都市から引っ越してきたばかりの頃、散歩中、子供が疲れてぐずるので、強い口調で諭していると、高齢女性が近づいてきた(既視感を覚えるが)。以前の経験から、怒鳴られることを覚悟して身構えたのだが、全く違う反応が返ってきた。その高齢女性は「引っ越してきたばかりやったら、町に慣れとらんから、お母さんも子供も大変やろ。」と言って、穏やかにほほえんで、共感で応じてくれたのだ。まさに、人生の苦楽を何でも受け止めることのできる、経験豊かな高齢者としての「おばあちゃん」像そのものであった。
   これ以外にも、この町で、同じような体験に幾度となく遭遇している。子供が夫と公園で自転車の練習をしていて転んでしまい、私のところに来て泣いているときには、近くにいたおばあちゃんが「痛かったなあ。ほんなら缶ジュース買ったげるよって、どれが欲しいか教えて。」とほほえみながら話しかけてきて、本当に缶ジュースを買ってくれた。おばあちゃんに聞いてみると、いつも子供たちに買ってあげているから何も気にしなくていい、とのことであった。子供が路上で転び、足を擦りむいて痛がっているときにも、後ろから来たおばちゃんが「良かったら、これ使って。」と、絆創膏をくれたこともあった。ワーワー泣き叫ぶ子供を抱っこしてあやしていたときにも、近くにいたおばちゃんが、「今は大変やろけど、そんなんすぐ終わるで。楽しみにしとき。」と話しかけてきてくれた。
   他者に対する受容と共感---ここでは子育てをしていて疎外感を感じることはない。見知らぬ通りすがりのおばあちゃんやおばちゃんに支えられ、受け止めてもらえることで、安心感を得て子育てができる。人生の大先輩たちから「大丈夫やで。」と、日々エールを送ってもらっているように感じることができる。
   
   この町に来た当初驚かされたのは、高度経済成長期を彷彿とするような風景が点在していることだ。他の地域では殆ど見ることのなくなった、酒屋さん、魚屋さん、八百屋さん、米屋さん、肉屋さん、パン屋さん、薬屋さんといった、個人経営の小規模な商店が多数存在する。そして、近くの神社では、季節ごとに十日戎、夏越し大祓、といった祭りが催され、多数の屋台が出て賑わう。それ以外にも、教会や幼稚園などでバザーが積極的に行われており、地域の住民も参加可能だ。そして、古いものを否定して新しくするのではなく、古いことを慈しむかのように、町の至る所でボランティアのおじいちゃんおばあちゃんたちが清掃活動に従事している。この町では、障害者も自立している。足が不自由でも、電動車椅子に乗って1人で出かけているし、目が不自由でも、店員さんの力を借りながら1人でコンビニで買い物をしている。
この町では、そこで暮らす全ての人々が、誰かの作った何かの基準をもとに優劣をつけられたり排除されたりするのではなく、お互いを尊重し受け止め合いながら暮らしているように見えるのだ。穏やかな形ではあるが、社会的不安は軽減され、承認欲求も満たされる。
私は、同じ町に暮らす見知らぬ人々から、繰り返し温かい支えを受け続け、今では困っているおばあちゃんの力になりたいと思うようになった。これまでは、大変そうだと気づいても、気恥ずかしかったり、別に赤の他人だし、などと考えていたが、今は自分が出来るほんの少しばかりのことをやってみることにしている。私は、自分がされたようにおばあちゃんに伝えたいのだ、「あなたは町のみんなに見守られている。大丈夫ですよ。」と。
自分の権利ばかり主張しすぎず、自分とは異なる他者を受け入れ共感する。低成長時代にあっても心豊かに暮らす知恵を、おばあちゃんに教えられた気がした。


② 経済的不安を軽減する---学校外教育費の削減を考える
   私は常日頃思うのだ。「子育てにはお金がかかる」と言うが、やみくもにかけ過ぎているだけではないか、と。
   中でも問題は、学校外教育費(学習塾、習い事)だ。
多くの親たちが、恐らくは子供の将来を不安に思い、ありったけのお金と時間をかけて、英語だ、プログラミングだ、何だと、ものすごい数の習い事をさせているが、果たしてどれほどの効果が出ているのだろうか。多すぎる習い事は、むしろ害にならないかとさえ思えるのだ。子供たちは、ただでさえ学校に通って疲れているだろうから、夜は早く寝て明日への活力を再生産しなければならないはずだが、習い事ばかりに追われていて、果たしてそれは出来るのだろうか。また、習い事には先生という大人がいて、その指示を受けながら一定の型に子供をはめることになるわけだが、子供自身の主体性や自主性、創造力に悪影響はないのだろうか。

東ロボくんで有名な数学者の新井紀子氏は、これからの高度テクノロジー社会を生き抜くカギになるのは読解力だ、と言う。注8)子供の教育とは、時流に乗っただけの、スキル習得的な表面的なものではなく、人間にしかできない、より本質的なものが求められているのだと思う。

いっそのこと、小学生までは、親が子供の勉強を見てあげればいいのではないだろうか。内容も、学校の宿題くらいにして、分からなければ教科書を使って親子で一緒に考えてみてはどうだろう。そうすれば、子供がどこでつまづいているかもよく分かり、手を打ちやすい。そして残った時間は、公園に遊びに行き、早寝早起きするので丁度いいのではないか。

私は、大学進学までの過程でも、そして進学後であっても、それほど大金をかけずとも行くことが可能だと、世間的にもっと認知されていいと思っている。
私の場合は、大学進学に際し、センター受験後に(物理が極端に足を引っ張っていたので)進路選択を理系から文系に変更したこともあり、1年間浪人したが、それ以外の小中高で塾には通っていなかった。予備校代は高かったはずだが、特待生制度を利用して、格安で済んだ。
大学に入学後2年間は4人部屋の学生寮で暮らしたが、同期の女子学生14人は、大半が私と同じく、遠く離れた地方出身で、恐らくは親の経済レベルもそれほど高くはなかった。そして、少なくとも内2人は母子家庭だった。寮費は月5千円で、別途任意で食事代を払えば、格安でボリューム満点の寮食を食べることができた。エアコンはなく、夏になると寝られないほどであったが、中国人留学生が教えてくれた、扇風機の前に水を張った風呂桶を置く、といった工夫をして、みんなで笑いながら乗り越えていた。
大学3年生になると寮を出なければならないが、その頃から返済義務のない奨学金を受領した。2ヶ月に1回、事務所に顔を出すだけで1回8万円の支援を受けることができ、地方都市の中流家庭出身の身としては、大変ありがたかった。

私は、格差が叫ばれる今こそ、特に親の社会的階層が高くない、もしくは母子家庭などで不利な状況に置かれている家庭の子供たちこそ、学校教育を主軸に据えてしっかり勉強すべきだと思っている。学歴社会には批判もあるだろうが、たとえ親から引き継がれる様々な資産が乏しくとも、勉強さえ出来れば階層上昇が可能な今の日本社会は、ある意味で大変恵まれた社会だと言える。残念ながら現状は、親の年収や学歴、社会的階層によって、子供の将来も決まる、という論調だ。これでは、そうではない子供たちには何の希望も与えられず、親世代と同じく格差の中に封じ込められてしまう。そうではなく、たとえ事例としては少数であっても、自分の出自は変えられないが、努力次第で人生を切り開くことは可能だ、というメッセージを、子供たちに対し発し続ける必要があるのではないだろうか。どんな家に生まれた子供でも希望を持てる社会を、私たち大人は意識して作っていかなければならない。
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  • (1)はじめに

  • 第1話
  • (2)子供たちの現状

  • 第2話
  • (3)親たちの現状

  • 第3話
  • (4)違和感の根底にあるもの---40年前の子供時代を振り返る

  • 第4話
  • (5)人々の意識の転換点---1980年代後半から1990年代前半に起きたこと

  • 第5話
  • (6)経済・社会不安に覆われる中で---個人主義の先鋭化

  • 第6話
  • (7)現在の子育てで感じるしんどさについて

  • 第7話
  • (8)子供たちの抱える苦しみを考察する---親のしんどさはどう子供に影響するか

  • 第8話
  • (9)子供たちの苦しみを救う手がかり

  • 第9話
  • (10)おわりに

  • 第10話
  • 注記

  • 第11話

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