第10話

文字数 940文字

   日本は、国土は狭く、資源に乏しい国だ。そして頻繁に自然災害に見舞われる国だ。
   こうした厳しい環境下にあるにも関わらず、現在GDP世界3位で、これまで世界の列強と肩を並べてこられたのは、ひとえにこの国の人々が粘り強く勤勉だったからに他ならない。そして、目先の自分の利益ばかりを主張しすぎず、時間を味方につけながら、集団の、そして次世代の利益の最大化を図り、その中で生きることを良し、としてきたからであろう。
   
   今、こうしたかつての日本の強みが薄れつつあることに危機感を感じる。
   グローバル化、テクノロジーの波に晒され、あたかもグローバル・スタンダードに沿うことのみが最適解であるように言われるが、果たしてそうなのか。グローバル・スタンダードに合わせるということは、言わば西洋型の価値基準に合わせるということである。短期的利益、そして自由と個人の権利を重んじる価値観に、私たちはうまく適応できるのだろうか。仮にうまく適応したとしても、皆と同じということは、結局他との差別化が図られず、更なる過当競争に飲み込まれるだけではないのだろうか。かつての日本が保有していた固有の価値観を今一度再評価する時期にきているのではないか。

   国づくりは人づくりとも言われる。
   子供を産み育てることは、自由主義・個人主義の台頭で人生の選択肢の一つ、中でも経済的豊かさや承認欲求を阻害する、最も魅力のない選択肢でしかなくなりつつあるが、これでいいのだろうか。
果たして今の日本では、人づくりの肝となる、未来の日本を担う子供たちを大切にしているだろうか。金銭的な補助を与えること、或いは教育現場への小手先のテクノロジー導入や技能習得にばかり目を向けるのではなく、より一層本質的なものを直視しなければならない。目の前の子供たちを注意深く観察し、声なき声に耳を澄まさなければならない。
子供たちが不確実な未来を生き抜くためには、自己肯定感、そしてそれを支える愛着の健全な形成が不可欠だ。足元の経済動向を踏まえると大変な軋轢を生じるだろうが、一度立ち止まることも考える必要があるのではないだろうか。

   未来を担う子供たちに、私たちは何を再生産させようとしているのか。今改めて問われている。




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)
  • (1)はじめに

  • 第1話
  • (2)子供たちの現状

  • 第2話
  • (3)親たちの現状

  • 第3話
  • (4)違和感の根底にあるもの---40年前の子供時代を振り返る

  • 第4話
  • (5)人々の意識の転換点---1980年代後半から1990年代前半に起きたこと

  • 第5話
  • (6)経済・社会不安に覆われる中で---個人主義の先鋭化

  • 第6話
  • (7)現在の子育てで感じるしんどさについて

  • 第7話
  • (8)子供たちの抱える苦しみを考察する---親のしんどさはどう子供に影響するか

  • 第8話
  • (9)子供たちの苦しみを救う手がかり

  • 第9話
  • (10)おわりに

  • 第10話
  • 注記

  • 第11話

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み