第2話
文字数 1,165文字
娘たちが小学校に通い始めてその存在を知り、強いショックを受けたものがある。
それは、小学校低学年での不登校児だ。
小学校低学年と言えば、まだ幼さが残っており、思春期にもほど遠いので、親や先生の指導も行き届きやすい。また、勉強も遊びの延長のようなものや、日常生活に深く関わる具体的なものが多く、落ちこぼれになることも考えにくい時期だ。
にも関わらず、娘たちの話や学級通信によると、不登校児はそれほど珍しい存在ではない。小学校のPTA協議会から加入を勧められる保険のパンフレットにも、不登校に対応した内容が謳われている。娘たちのクラスには、長いと1年の夏休み明けからずっと、という子がいる。そして、そうした長期の不登校児が、学年が上がるとまた1人増えたりする。不可解なことに、いじめが原因かというとそれもないのだ。友達にも先生にも特に不満がなく、いじめられているわけでもないのに学校に来ない---一体どういうことなのだろう。
また、学校には来ているが、算数や国語の授業になると校長室や図書室で過ごす、というパターンもあると聞く。
遅刻する子も多い。そして、それはただ寝坊した、というわけでは必ずしもないようだ。近所を朝散歩していると、とうに学校が始まっている時間なのに通学路で行きつ戻りつしている子がいた。幼稚園時代の同級生なので声をかけようか迷ったが、地域の見守り隊の方が声かけをして、話を聞いてあげながら学校に連れていってくれた。
これらが示唆しているのは、不登校が低学年の頃から発生しており、また、今不登校でなくとも、何かきっかけがあればそうなるリスクの高い子供たちが相当数いる、ということだ。
これらの事象に接するまで、私は「子供は、蒔けば芽が出る豆のように、これから生きていくエネルギーが詰まった存在で、多少の苦しいこと・辛いことがあっても、食べて寝ていれば元気に育つ。」と考えていた。しかし現状は、40年前の私が過ごした子供時代とは大きく異なる。当時は、小学生で不登校、というのは聞いたことがなかった。不登校になる生徒が出てくるのは、早くても思春期にさしかかる中学校からだった。こうした子供たちの不可解な行動の背景には、極端に自己肯定感の低い子供像が浮かび上がる。実際に娘たちから聞いた話では、遅刻がちな同級生の中には、他の生徒が先生から怒られている場合であっても、自分が怒られているように感じる、と言っている子供がいる。周囲の言動の些細なことで傷つき、つまづく子供たち。そして一度不登校に陥ることで、先生、級友、そして親との信頼関係は崩れ、それを敏感に察知する子供は更に自分を追い込んでいく---彼らは何を抱えているのだろうか。
「子は親の鑑」である。次に、現在の親の状況について述べる。
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