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文字数 2,950文字

 事件発生から5日後――現地時間a.m. 8:36 イギリス ロンドン 国際空港

 俺の名前は、あ~、今はなんて名乗ってるんだったか、まぁどれでもいいか……レインメーカーだ。
 "俺は今、とても退屈している。"
 目の前の出国審査ブースでは入国審査官が俺のパスポートの隅から隅まで入念に目を通し、時折、値踏みするような不躾(ぶしつけ)な視線をこちらに送ってくる。まったく、ここの入国審査官は素晴らしい教育を受けているようだ。
 平時であれば、メイガスと言えど魔術師にまでなった者はここまで警戒されることはないのだが、こと国家間の移動となると話は別だ。
 搭乗手続きをするには、まず魔術師専用のレーンへと並ばなければならず、その後に待っているのは厳重な手荷物検査。うっかり魔力供給型武器を持ったまま並ぶと、ここで没収されるので注意が必要だ。
 その後、出国審査ブースで魔術師用パスポートを提示し、そこに記載されてる個人情報及び黒印が本人のものと一致するか確認するための身体検査。
 俺の黒印は胸にでかでかと入っているからすぐに済んだが、人に見せられないような位置にある奴はどうしてるんだか。もしかしたら国内で一生を終える選択をする奴もいるんじゃないか?
 だいたいの魔術師はこれで魔術阻害機能のあるリストバンドをつけられて出国許可が降りるんだが、俺の場合は少々特殊な事情により、この審査ブースで待ちぼうけを食らわされているって訳だ。
 空港内に響くアナウンスや行き交う人々の雑音に隠れるようにして窓を叩く(ささ)やかな雨音が俺の鼓膜を震わせる。
 背後には飛行機の離着陸を眺められる展望のいい空間があり、その大きなガラス窓の向こうには朝から俺を陰鬱な気分にさせてくれた曇天が相変わらず幅を利かせていることだろう。退屈とはいえ、後ろを確認したところで自虐的な笑いがこみ上げるだけなので、わざわざ振り返る気にもならない。
 しょうがないので、俺の扱いについてなにやら()めている様子の入国審査官とグランドスタッフを楽しく観賞していたが、やがて結論が出たのかグランドスタッフが車いすを押しながらこちらに近づいてきた。
 ――やっぱりそうくるよな。
 俺の義肢は武器ではなく魔道具であるため手荷物検査で取り上げられることはなかったが、搭乗するために魔術阻害装置をつければ当然機能しなくなる。
 そこでこいつの出番って訳だ。この車いすとかいう発明品は健常者と障がい者の垣根をなくすという素晴らしい博愛精神の元に生み出され、さらに『障がい者なんで助けてください』という無言のメッセージまで発信してくれるオプション付きという称賛されるべき代物だ。考えたやつにチップをやりたいね。
 つまりこれに座ったが最後、俺も晴れて障がい者の仲間入りって訳だ。
 この強制イベントを回避するために海外からの依頼はほとんど断って来た。今回もあまり乗り気ではなかったのだが、天下のアトウッド研究所が、ぽっと出のテロリスト(ごと)きに乗っ取られるという大事件もとい珍事件をこの目で確認し、あのすかした所長を鼻で笑ってやりたいという気持ちもあって、つい依頼を受けてしまった。
 とはいえ、いざ車いすを目の前にするとやはり当初の乗り気でない感情がよみがえってくる。
 照明の光を冷たく反射する金属製のフレームと(かす)かに聞こえるベアリングの耳障りな摩擦音が、俺の神経を逆撫(さかな)でする。不快感で歪みそうになる表情をプライドでねじ伏せると俺は可笑しそうに鼻で笑った。
 あぁ、それにしても本当に気が乗らない。今からでも依頼を断ってしまおうか?
 俺が脳内で金とプライドを天秤にかけながら車いすに視線を注いでいると、後ろに並んでいた東洋人が(しび)れを切らした様子で声をかけてきた。
「おい君、もう審査は済んだのだろう?」
「あ、申し訳ありませんお客様。実は……」
 この男性はよほど信頼されているのだろうか。グランドスタッフがどこかほっとしたような表情で彼に現状を説明すると、男性は考え込むように眼鏡の奥の目を伏せ、やがて1つの提案をする。
「では、こうしてはどうだろう……」

 "俺は今、とても気分がいい。"
 信じられないことに、魔術阻害装置の着用を免除された俺は自身の座席まで悠々と歩いて辿(たど)り着き、現在は離陸の時間を待っているところだ。
 それもこれも隣の座席でモニターを眺めている青みがかった髪の東洋人――シェンのおかげだ。
 彼はIWPOに所属する刑事であり、その特権により搭乗時の魔術阻害装置の着用が免除されている。
 その職業柄、国家間を(また)いだ魔術犯罪者の引き渡しを何度も(おこな)った経験がある彼の監視下であるならばと、特例として俺もその恩恵に預かったという訳だ。
 今までは機内で四肢を動かすことも(かな)わなかったが、今日はこうして足を組むことだってできるし誰の手も借りずに紅茶を味わうこともできる(この際ティーバッグで()れた安物の紅茶でも構わない)。
 俺が上機嫌で鼻歌を歌っていると、隣から(にら)みつけるような視線を感じた。
「おい、うるさいぞ。……お前が不審な動きをするようなら俺は容赦なくこいつをかけるからな」
 シェンはそう言うとトレンチコートの隙間から対魔術師用拘束具をちらつかせる。
「ははは、分かってますって!いやぁ、シェンさんには感謝してるんですよ、ほんと」
「どうだかな」
 ……頬杖(ほおづえ)をついて不服そうに鼻を鳴らすシェンを見ていると、なぜか無性にからかいたくなってくる。
「まぁ、その時は責任をもってシェン刑事殿が俺の介助をしてくれるってことですよね?」
「っする訳ないだろう!まったく、少し黙ってろ。……お前と話してるとフォーブスを思い出してイライラする」
 なるほど、この刑事はフォーブスさんの知り合いか。なぜイギリスにいたのかは知らないが、このタイミングでアウチェスター公国に向かうということは十中八九、あの事件絡みだろう。
 彼はあまり歓迎しないだろうが、今後とも長いお付き合いをすることになりそうだ。
 嫌そうな顔をするシェンを想像して再び笑みをこぼしていると、窓越しに見える雨に煙った景色がゆっくりと動き出す。
 やがて機内アナウンスが止まったかと思うと、再度シートベルトの確認を促す客室乗務員のアナウンスとともに離陸のチャイム音が数回鳴った。
 そして離陸体制が整った機体はその速度と振動を徐々に増し、やがて座席に押し付けられる感覚が浮遊感へと切り替わる。
 風雨に逆らうように突き進んだ機体が鈍色(にびいろ)の空へと飲み込まれると、一瞬にして窓外の視界がゼロになる。
 そうそう、言い忘れていたが、俺は出国手続きが嫌なだけで飛行機自体はわりと好きだ。
 なぜかって?ははっ男子ってのはいくつになっても乗り物が好きなもんなのさ。
 でもそうだな……1つだけ理由を挙げるとしたら――
 雨粒が横に流れる窓越しに鈍色(にびいろ)の世界を見つめていると、ここが終わりのない空間のように思えてくる。だが、窓の外が白んできたと思った直後、その時間は唐突に終わりを告げた。
 飛行機が厚く垂れこめた雲の上へとその顔を(のぞ)かせると、青空を背景に燦燦(さんさん)と光り輝く太陽が乗客を出迎えてくれる。
 ――雨とは無縁の世界に連れて行ってくれるところかな。ははは!
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