第1話 ファースト・フェーズ

文字数 2,956文字

 夕暮れになっても、節電で極力明かりが抑えられているせいで建物内は薄暗かった。
 かつて政府機関だった四階建てのオフィスビルは、今や生き残った人々の避難所となっていた。
 所々ひびが入った壁は、修復するだけの余裕がなくずっと放置されたまま。最新鋭のコンピュータ設備も、使える状況でなければがらくたと変わらない。

(静かすぎて、落ち着かねえ)

 コンクリートの天井をぼんやり眺め、視矢はがしがしと頭を掻いた。
 特にすることもなくベッドに寝転がっていると、次第に気が滅入ってくる。窮屈な生活も仕方ないとはいえ、これでは息が詰まってしまう。

 食堂なら少しは賑やかだろうと、個室のドアを開け廊下へ出た。
 しんとした暗がりは心理的に人の恐怖を煽る。けれど夜目が利く視矢には、どうということはなかった。
 床に近い分電盤の前で何やらもぞもぞ動く黒いものを目にしても、別段驚きはしない。

「……んなとこで何してんだ、みつる」

 壁に向かってしゃがみ込んでいるその人影に、呆れたように声を掛ける。
 驚いたのは相手の方で、「わっ」と叫びを上げて背後を振り返った。

「し、視矢さん。びっくりさせないでください!」
「びっくりさせてんのは、そっちだろうが。下手したら、従者と間違われんぞ」

 視矢は顔をしかめ、見知った人物の髪に付いた蜘蛛の巣を取ってやった。
 みつるは、青年と呼ぶには幼さの残る十九歳の少年。中性的であどけない顔立ちに似合わず武術に長け、対邪神の戦力的な要を担う。
 何より魔を祓う力を持つこの少年は、人間にとっての救世主として望みを託されていた。

「電灯が点かなくて。配線の問題かな、と」
「ったく。どいてろ」

 視矢はみつるの手から工具箱をひったくると、蓋が外れたままの分電盤を覗き込んだ。幾つかのスイッチを動かした後、手早くドライバーを回しネジを閉める。

「ブレーカー落ちだ。誰かドライヤーでも使ったんじゃね?」

 真の原因は資源の枯渇による電力不足だと知った上で、軽口を叩く。
 照らされた非常灯のおかげで、先程よりはわずかに周囲が明るい。
 さすがですね、と感心しきりのみつるに、視矢はげんなり肩を落とした。昔は誰でもできたことを褒められても微妙な気持ちにしかならない。

「これから食堂ですか? 僕も夕食まだなんで、ご一緒させてください」

 ズボンの埃を払って立ち上がり、少年が屈託ない笑顔を向ける。

「……お前、また背でかくなった?」
「測ってないから分かりませんけど。視矢さんが縮んだとか」
「縮んでねえ!」

 この前まであまり変わらなかった少年の目の高さが、やや見上げる位置にあった。肉体年齢は視矢の方が三つ程上なのに、身長は抜かされてしまったらしい。
 むっとして歩き出す視矢の後をみつるは慌てて追い掛ける。

「男は身長じゃありません。顔ですって」

 機嫌を取ろうとしているのは分かるが、フォローの仕方が今一つ的外れだ。
 
「……お前のそういうとこ、嫌いじゃねーわ」
「僕も視矢さんのこと、好きですよ」
「誰もそんな話、してねえぞ」

 額に手を当て、視矢は困惑の吐息を漏らす。
 いくら邪険にしても、みつるは子犬のように慕ってくる。視矢と親しくすれば自分の立場が悪くなるだけと知りながら、本人は一向に態度を改めようとしない。

 暗い廊下から食堂へ入ると、一つだけ点いた40Wの電球がやけに眩しく感じられた。
 避難所では裏ルートで食料を調達し、戦いに参加しない者が調理当番を務めている。

 室内にはテーブルが並び、男たちが時折会話しながらステンレスのプレートに盛られた質素な食事を取っていた。
 ここに女はいない。真っ先に犠牲になったのは、女子供だったから。

 いつもなら視矢の姿を目にするとあからさまに避ける人々も、みつるが一緒では無下にできない。
 ちらちらとびくついた視線を寄越す傍観者たちを気に留めず、視矢は黙々と夕食を口に運ぶ。

(ホットミルクが飲みてえな。マーマレード入りの)

 寝る場所と食べる物があるだけ有難い。
 それでも昔同僚の少女が作ってくれた甘い飲み物がひどく懐かしかった。

「ずっと、聞いてみたかったんですけど」

 ふとスプーンを持つ手を止め、みつるが神妙な面持ちで前置きした。

「視矢さんは、やり直したいと思わないんですか」
「は? 何を」

 意図が掴めない質問に首を傾げ、向かいに座る少年に問い返す。

「ナイアーラトテップは、あらゆる時空に顕現するんでしょう。過去に戻って、現状を修正することもできるんじゃないですか」
「救世主さまが何言ってんだ。……ほら、肉しっかり食え」

 言いながら、自分のプレートに乗った手付かずのあぶり肉を少年のプレートに置く。
 真剣に取り合わない視矢に、みつるは思い詰めた口調で続けた。

「人間が生き延びる可能性があるなら、僕は禁を犯してたって構いません」
「爆弾発言はストップ」

 周囲の人に聞かれるのはまずい。少年の口の前に掌を突き出し、それ以上言うなと牽制する。

(無茶なとこは、同じか)

 性別や性格は違うものの、魂の本質は同じなのかもしれない。
 遥か遠い過去の記憶は今でも鮮明に心に刻まれている。忘れられない少女の面影を、視矢は頭を振って打ち消した。

「本当の救世主は、僕じゃなく、あなたです」

 小さく告げて、みつるは再びスプーンを動かし始めた。

 人の種は、遅かれ早かれ地球上から消える。
 救世主として持ち上げられたところで、人類を救う手段は既に絶たれている。邪神の力添えでもない限り、現在の惨状は好転しない。

 過去を遡り、四邪神が復活したあの運命の日に干渉できれば、もっと違う未来が待っているはず。そんな一縷の希望を少年は抱いている。

「俺は、歴史は変えちゃいけないとか、正論を唱えるつもりはねえけどさ」

 視矢は薄い茶を啜り、食事を進めるみつるを目を細めて見ていた。

「なら、過去へ戻って人間を助けてください」
「いっきに飛躍したな」
「僕は本気で頼んでるんです」

 揺るぎない少年の瞳に気圧されそうになる。以前も同僚の少女に真っ直ぐな視線を向けられると弱かった。
 茶化すのも限界だと諦め、視矢は大きく息を吐く。

「正直、俺もお前と同じ事考えた。で、実際過去へも行った」
「え!?

 今度はみつるの方が驚く番だった。
 視矢を説得するつもりで意気込んでいたのに、意外すぎる肩透かしを食ってしまった。

「いつですか?」
「この間かもしんねえし、大昔かも」

 時間を超越する存在に時間を尋ねても意味がない。重要なのは、その後の結果だ。
 過去に干渉した結果が今の現実なのか、あるいはあえて過去に手を加えなかったのか。いずれにせよ、今の人間は滅びに通じる一本道しか残されていない。

「もう一度試してみる気は……」
「おい」

 テーブルの上に身を乗り出すみつるにぎくりとし、視矢は椅子を後ろに引いた。納得がいくまで追求する姿勢は好ましいけれど、頑固な程の生真面目さに時折閉口する。

「しょーがねえ。知りたきゃ、教えてやるよ」

 少年を手で追い払う仕草をし、テーブルに頬杖をついた。口にしたい内容ではないものの、みつるには聞く権利がある。

 過去を変えようとして、どうなったか。どこから話せばいいのだろう。
 視矢は自嘲めいた笑みを浮かべ、胸にしまっていた思い出を少しづつ明かしていった。
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