作物の農家離れ(現代、ホラー、農作物/約800字)
文字数 840文字
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始まりは都内の街路樹の横に生えた糖度七のトマトだったか。同様の現象は瞬く間に日本中、いや世界中に広まり、農作物は人が手塩に掛けて育てなくとも勝手にそこらに溢れかえる存在となった。これが歴史に残る『作物の農家離れ』である。
自生した農作物は、従来は虫や病気がつかないよう農家が丁寧に育ててきたものに、見劣りしない味と見た目を持っていた。虫に食われないこれらを人々は怪しんだが、危険な化学物質や放射能などの因子は、どの研究機関でも発見できなかった。
陰謀論者は罠だ未知の毒物だと騒ぎ立て、自然派は究極のオーガニックだと沸き立った。宗教家は神や善き存在の恵みであるとする説と、悪魔や悪しき存在の誘いであるとする説で二分され、争った。
それらも三十年経てば日常となる。
「お父さん、じゃあ農家の人はどうなったの?」
教育番組を見終え、どうでもいいバラエティにチャンネルを切り変えた娘があどけなく訊く。
「みんな別の仕事を探したよ。どうしても農業が好きな人は、普通に美味しい以上の……変わった作物を売りにやってるんだ。四角いスイカとか」
うちの親父も、農業をやめた一人だった。当時は継ぎたくないと思ってたから内心廃業を喜んだ。
「四角いスイカなんてあるの!」
「うん。ちょっと高いけどね。食べたいなら今年の誕生日に買ってみようか」
今になって、細々と続けている農家を応援したい気持ちになるなんて不思議なものだ。
「わぁい、やった! 食べ……り……ぃぎ」
みし、ばき。
変に途切れた声に顔を向けると、目を見開いた娘の喉から親指ほどの太さの枝が天井に向かって伸びている。
駆け寄ろうとして足が動かないことに気付く。柔らかそうな緑の茎がジーンズを突き破って生えていた。感覚がない。声も出ない。頭が痛い。
生放送の番組の中では芸人の全身が緑のまだらに染まり、コントのように静止している。
――作物の、人間離れ。農作物たちは人間の下にあることを止めたのだ。意識が消える直前、目の前につやつやのトマトが生った。