献本(現代、葬儀、感傷/約500字)

文字数 470文字



 差出人不明の包みが届いたと母が言う。消印はなく、いつの間にかポストに放り込まれていたと。
 兄の早すぎる急逝に、慌ただしく葬儀の準備をしている間のことだった。
「あれま、本だわ」
 中身は一冊のハードカバーのみ。著者、出版社ともに見知らぬ名前、インターネットで検索しても情報が出てこない。
「気味が悪いわねえ」
「いや……もし自分宛に本が届いたなら棺に入れてくれと、兄さんが言ってた。送り主は知り合いなんじゃないか」
 母はまだ釈然としない様子だったが、異は唱えなかった。
 喪失の悲しみと押し寄せる宗教作法に翻弄されている遺族が、『故人の希望』という尤もな名目に敢えて逆らう意味もない。

 親族がぱらぱらと駆けつけ、香を上げ、大げさに目元を押さえるのをよそに、横たわる兄は世界から隔たれていた。生死という絶対的な溝よりも遥か遠くに。
 わざわざ不審物を装ってまで、主の元に辿り着いた本がその腹の上にあった。
(これで良かったか、兄さん。何の意味があるのか僕には理解できないが)
 兄は世界に唯一の無名の本を抱き、眠っている。
 満足げに、安らかに、眠っている。


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