第4話 爽やかな風
文字数 2,367文字
ひだまりヘルパーの制服であるピンクのトレーナーを着た尚子は、慣れた所作でチャイムを鳴らした佐藤と共に緊張の面持ちで玄関前に立った。息を整えていた。
「はい!いらっしゃいませ。どうぞ、お入りください!」
松下幸一がドアを開けて温かく迎えてくれた。彼の声は、想像していたよりずっと柔らかだ。
尚子は、佐藤美紀に促されるようにして、家の中に足を踏み入れた。
「初めまして、ひだまりヘルパーの村田尚子です。どうぞよろしくお願いします。」
「ああ、よろしくね。待ってましたよ。どうぞ、入ってください。」
幸一は丁重に歓迎するように笑顔を見せているが、少し疲れている様に見えた。
廊下の壁面は、趣味を紹介しているかの様に色とりどりの手作りのドライフラワーの飾りが並び立てられている。リビングには、ソファや座椅子が配置され、中央には低めのテーブルが置かれている。壁には、松下夫婦や息子、娘や孫と思われる祝いの場や旅行の集合写真の思い出が飾られていた。幸一は、更に奥の部屋へ尚子たちを導いた。
「雪子、来てくれたよ!新しいヘルパーさん、村田さんだよ。」
「松下さん、初めまして、村田尚子と申します。今後は私もお手伝いさせていただきますので、よろしくお願いします。」
「ありがとう、よろしくね。優しい声なのね。」
ほのかに笑みを含んだ雪子の言葉に、尚子は安堵して緊張が解けていった。
雪子の部屋の壁にはドライフラワーや手作りの装飾品でいっぱいに彩られている。部屋の隅には裁縫の為の小さなスペースが設けられていたが、ミシンと思われる物にカバーがかけられて、カバーの端から縫いかけの様に見える幾重にも積まれた端切れがはみ出して見える。スペース一帯が埃のせいか、うっすら白ばんでいる様に見えた。
視線を感じたのか、雪子が慌てた。
「あらやだ、汚くしててみっともないわ!」
「みっともないなんて、この位で」、、とんでもなく綺麗です。
打ち消すように言いながら、田中香子の塵が積もったカビ臭い部屋を思い出していた。
「雪子さん、ドライフラワーの飾りとっても素敵です。色の彩りも素敵!雪子さんが作られたのですか?」
「ええ、そうよ。あれは、私の大切な時間の結晶みたいなもの。見ているだけで幸せな気持ちになるわ。」雪子は目を輝かせながら話し続ける。
「村田さんは、お花が好き?」
「はい、とても。花は人を癒してくれますよね。」
「そうね、人の心を癒やす力があるわ。それも、今は思う様に手が動かせなくなって作れないけど…昔は全部作れていたのに、、趣味も家事も、全部自分でできたのに、今はね...。」
「雪子さん、できない事は手伝わせていただきます。」力強く雪子に言った。
「そ、そうね。お願いね。」少し微笑みが見えた。
雪子は下肢の感覚や排泄に障害を負っているため、日常の動作に支援が必要不可欠だ。
尚子は雪子をベッド上に端座位にし、ベッド横にあった車椅子を素早く足の間に差し入れて雪子の残された足の力を利用してスムーズに移乗する。
「上手いのね。安心したわ。」
「以前、施設で働いていたので慣れてるんです。」
ベッドの側に設置されているポータブルトイレを交換して、居間に雪子を連れて行った。
幸一は少し離れた居間で、佐藤と雑談をしていた。彼は、妻の介護について、これまでの家族との関わりについて話していた。
佐藤に向かって「美紀さん、私、これまで家族を疎かにしてきました。でも、妻がこんなになってしまってからは、彼女のために何かできることはないかと考えるようになりました。でも、正直、自分も骨折して腰も痛くて思う様に動けない。何をしていいのか、どう支えていいのか分からないんです。」と打ち明けていた。
「当たり前でしょ!今更、仲良くやろうよ!悪かった…なんて。家の事もどれだけ大変か分かるといいわ。」
居間に入ってきた雪子が穏やかな雰囲気を壊した。
幸一は逃げる様に台所に行き、尚子と美紀にコーヒーを用意し始めた。
少しの間、雪子と尚子と佐藤の三人で雑談を交わした。話題は、雪子の趣味やこれまでの生活、子育ての経験、そして、夫が帰って来なかった夜にまで話が及んだ。
尚子はトイレや風呂の掃除を始めるが、その間も幸一は佐藤に話しかけていた。彼は自身の過去、雪子や自身の病状について語っている。尚子は彼の話に耳を傾けながら、幸一が感じている罪悪感や責任感を感じ取った。
そして、尚子が台所に足を踏み入れると、整然と並べられた道具や調理器具、無駄のないキッチンの設やカントリー風のビンや調度品も並んでいた。雪子の家事や家族への愛情と努力、豊かな感性を感じた。
、、、人って色々。夫婦って色々。何が良いって、、わかんない。
「では、本日の身体介護と家事援助の支援はこれで終わりました。ありがとうございました!」
「こちらこそ、尚子さんありがとう!優しくしてもらえて嬉しかったわ。」松下夫婦揃って玄関で見送ってくれている。
「ひだまりヘルパーの皆さんのおかげで、毎日がずっとずっと心が楽に、豊かになった!こうやってポツンと寂しく2人きりでいる年寄り夫婦にとって、外からヘルパーさんが来てくれるのは、爽やかな風が入ってくるみたいなもんだよ!これからも頼むよ!」幸一が話した。
「ありがとうございます!」
玄関先で佐藤の横に並んで、尚子はペコリと頭を下げた。
帰所中、2人とも微笑んで歩いていた。
「佐藤さん、ありがとうって言われるのってやり甲斐ですね。」
「そうね。何回やっても、、辞められないわね!」
尚子は心の中で呟いた。
ひょっとして、訪問介護って自分が思ってるより凄い仕事?