第105話 先生のフィアンセ その29

文字数 660文字

男はマスターの言い訳など聞く耳持たないとばかりに同じセリフを口にする。

「椚木ひかりさんはどこですか」
「ここですよ」

カウンターの上でうつぶせて眠っているひかりを指し示す。
「……よかった……ひかりさん、無事で」
彼は美咲から手を放してヘナヘナと分厚い絨毯の上に座りこんだ。

「貴方が菊留義之さんですか?」
「……はい……」

マスターはそう言いながらグラスにクラッシュアイスを入れ調理台の上に置くと、グレープフルーツジュースとウオッカをシェーカーの中に注ぎ蓋をして両手で持ってシャカシャカと上下に振っている。

「美咲さん、言わんこっちゃない。冗談ではすまなかったでしょう?」
「うふふ。ごめんなさいね。ほんのジョークだったのよ」
「ジョークって、だって命がないって」
「だから、フェイクなの」

マスターはシェーカーからグラスに液体を注ぎことりとカウンターの上に置いて、まだへたり込んでいる義之に声をかけた。

「ブルドッグでございます。お詫びにいかかがですか」

「あらっ、流石ね。マスター」

美咲は義之の手をとって立ち上がらせるとカウンターからカクテルを取り上げて言った。

「このカクテルの意味はね。『貴女を守りたい』なのよ。
 今の義之さんの気持ちにぴったりでしょ。菊留義之さん、ようこそ、クラブ・アルマーレへ」

美咲はグラスを掲げ微笑しながら優美な仕草で義之にそれを渡した。
茶番劇に付き合わされた義之は天井を見上げてほうっとため息をつく。
流石に、お茶目なひかりの友達だけの事はあると思った。
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