第7話 共謀
文字数 2,524文字
胡亥は、色白で顔立ちは細面 、眉毛は薄く目が鳩のように丸くおどけた印象を受けた。
「あぁ、このようなことになるとは...」
胡亥は、ため息とともにつぶやいた。
眉間にシワを寄せて目をギュッと閉じた。
不安で押しつぶされそうであった...
統一秦二世皇帝を胡亥が即位したのだ。
甘やかされた末子で依存性の高い胡亥が、自ら皇帝という重責を担うはずはなかった。
巡行地から咸陽に到着すると、宮中に始皇帝の崩御が伝えられた。
郎中令 (昇格した)の趙高と丞相の季斯 が手を組み、始皇帝の遺詔 に太子は胡亥を指名するとある。と発表して強制的に玉座にすわらされたのだった。
まるで操り人形が裏で糸を引かれて、チョコンと座っているように見えたことだろう。
この時、胡亥の年齢は二十一歳とも十二歳とも言われている。(この物語では前者の二十一歳を想定することに)
胡亥は、思い返していた
~あのとき沙丘の地で上 は、この詔 を長子の扶蘇 に渡すようにと趙高に命令したのだ。
内容は葬儀を全て扶蘇が取り仕切ること。そして扶蘇を太子に指名する。
至極当然と思った...兄上は皇帝にもっともふさわしい。勇気があり聡明で、武芸にも秀でている...自分は兄上の足元にもおよぶまい。
病床の横で膝まずき、心してあの詔を承ったのだ。 なのに...
~沙丘平台~
胡亥の温涼車のなかでは、椅子に座る胡亥の側に趙高がたたずんでいた。
「胡亥様、陛下のお姿は何ともお痛わしい限りです。かつての力強い面立ちが懐かしゅうございます。
あぁ...本当ならば陛下は、胡亥様を太子に指名したかったのではないでしょうか?
陛下は胡亥様をいちばん可愛がられておりました。この度の巡行にも胡亥様だけお連れになったのが、そのあかしでございます。
長子の扶蘇様は、聡明な方で人徳もおありです。皇帝を継承するにふさわしいのは勿論ですが...
事あるごとに、陛下に反論されておりました。先だっては、匈奴討伐軍に加わり指揮をとるようにとのご命令で、北方の辺境の地へ向かわれました。
実質的な降格でございますよ。
胡亥様が即位なさったら、陛下は、どんなにお喜びになるか!」
胡亥の顔がサッと青ざめた。
「ふっ、不謹慎なことを申すではない!
中車府令よ、私が皇帝の位など望んでおらぬのはわかっているはず。太子は兄上だと指名されたではないか!
わたしは兄上のお考えに従っているほうが楽なのだ。性に合っておる...」
趙高は「...はい、大変失礼致しました。
秦の行く末を思うばかりに本音を申し上げてしまいました。お許しくださいませ。」
「うぅ...もう、よい!さがれ趙高!」
「かしこまりました...失礼致します。」
シズシズと音もなく後退し、深々と一礼すると
趙高は出ていった。
趙高が車外にでると、丞相の季斯が夕涼みをしていた。日中の太陽の名残はあるものの、風は夜風に変わっていた。
季斯は常に何か悩んでいるかのような、厳しい目付きをした撫で肩のひょろりとした痩身の男であった。
趙高は慇懃 に敬礼すると
「これは丞相 季斯様、 まさか陛下がこのような病状になるとは...本当に嘆かわしい限りでございます。」
趙高は芝居がかった調子でうったえた。
季斯は「ご快復を願うばかりじゃ、まだまだ情勢が不安定である。更に法の強化を計り陛下のもとで尽力致したいがな...」
趙高は「季斯様のご尽力がなければ、今の秦の繁栄は無かったも同然でございます。」
季斯が「いやいや、力及ばずじゃ。もっとご期待に添えるよう精進せねばな...」
「季斯様、ご謙遜を...」
そして趙高が続けて言った。
「このまま、扶蘇様が皇位を継承なさったら
どうなりますか...焚書坑儒の際に、扶蘇様が大反対を唱えたのは記憶にあたらしきこと。
折を見て罷免もありえるかと存じます。おそらく、蒙恬 将軍がいずれ丞相に任命されるのではないかと...」
趙高は、ズバリと言い切った。
季斯は、自身の貧相なあごひげを撫でながら考えを巡らせた。
「ふむ、そちの言う通りになるであろうな」苦々しい顔でつぶやいた。
儒教を弾圧した焚書坑儒を押し進めたのは、
季斯であった。古 の教えばかりに従っていては、法治国家を目指す秦の統治はうまくいかないと考慮したのだ。
要は、見せしめである。
悪は儒家で、善は法家。
人は立場によって善悪を決めるものだ。自分の都合や社会的風潮で考えが変わる生き物である。
人の根底にあるのが「保身」
これは複雑な社会生活を生きるための本能であるため、時に矛盾が生じても仕方がない。
それでも潔い人々は存在する。
自分の信じた道をひたすら正直に進む...それによってたとえ自分や家族の命を亡くそうとも。
ただ大概の人間がそうであるように、趙高と季斯も潔い人物ではないようである。
更に言えば、陰険な人種に入るかと思う。
「季斯様、わたくしの考えを申し上げてもよろしいでしょうか?」
「ふむ...趙高、そちに何か良き考えがあるのか?」
「いえいえ、まぁ...わたくしの一人言と思ってくださいませ。」
そして、趙高は言った。
「胡亥様は公子のなかでも特に、素直で純真な方でございます。陛下にもっとも可愛がられていらっしゃいます。陛下もご本心では、胡亥様に継承なさりたかったのではないでしょうか? いやっ絶対にそうに違いありません。
皇位は、胡亥様が継ぐべきです。」
季斯は「ちっ、趙高! そなた何を言ってるのか自分でわかっておるのか!?」
「はい、勿論わかっておりますとも。」
趙高は、一瞬ニヤリと笑ったように見えた。
そして、季斯に考える時間を与えるかのごとく長い沈黙を保った。
間を充分とったと判断したところで趙高は言った。
「季斯様、遺詔は我々の手中にございます...」
趙高と季斯、二人の間に共謀者という火花が散った。
そしてこの翌朝、始皇帝は永い眠りについたのであった。
「あぁ、このようなことになるとは...」
胡亥は、ため息とともにつぶやいた。
眉間にシワを寄せて目をギュッと閉じた。
不安で押しつぶされそうであった...
統一秦二世皇帝を胡亥が即位したのだ。
甘やかされた末子で依存性の高い胡亥が、自ら皇帝という重責を担うはずはなかった。
巡行地から咸陽に到着すると、宮中に始皇帝の崩御が伝えられた。
まるで操り人形が裏で糸を引かれて、チョコンと座っているように見えたことだろう。
この時、胡亥の年齢は二十一歳とも十二歳とも言われている。(この物語では前者の二十一歳を想定することに)
胡亥は、思い返していた
~あのとき沙丘の地で
内容は葬儀を全て扶蘇が取り仕切ること。そして扶蘇を太子に指名する。
至極当然と思った...兄上は皇帝にもっともふさわしい。勇気があり聡明で、武芸にも秀でている...自分は兄上の足元にもおよぶまい。
病床の横で膝まずき、心してあの詔を承ったのだ。 なのに...
~沙丘平台~
胡亥の温涼車のなかでは、椅子に座る胡亥の側に趙高がたたずんでいた。
「胡亥様、陛下のお姿は何ともお痛わしい限りです。かつての力強い面立ちが懐かしゅうございます。
あぁ...本当ならば陛下は、胡亥様を太子に指名したかったのではないでしょうか?
陛下は胡亥様をいちばん可愛がられておりました。この度の巡行にも胡亥様だけお連れになったのが、そのあかしでございます。
長子の扶蘇様は、聡明な方で人徳もおありです。皇帝を継承するにふさわしいのは勿論ですが...
事あるごとに、陛下に反論されておりました。先だっては、匈奴討伐軍に加わり指揮をとるようにとのご命令で、北方の辺境の地へ向かわれました。
実質的な降格でございますよ。
胡亥様が即位なさったら、陛下は、どんなにお喜びになるか!」
胡亥の顔がサッと青ざめた。
「ふっ、不謹慎なことを申すではない!
中車府令よ、私が皇帝の位など望んでおらぬのはわかっているはず。太子は兄上だと指名されたではないか!
わたしは兄上のお考えに従っているほうが楽なのだ。性に合っておる...」
趙高は「...はい、大変失礼致しました。
秦の行く末を思うばかりに本音を申し上げてしまいました。お許しくださいませ。」
「うぅ...もう、よい!さがれ趙高!」
「かしこまりました...失礼致します。」
シズシズと音もなく後退し、深々と一礼すると
趙高は出ていった。
趙高が車外にでると、丞相の季斯が夕涼みをしていた。日中の太陽の名残はあるものの、風は夜風に変わっていた。
季斯は常に何か悩んでいるかのような、厳しい目付きをした撫で肩のひょろりとした痩身の男であった。
趙高は
「これは丞相 季斯様、 まさか陛下がこのような病状になるとは...本当に嘆かわしい限りでございます。」
趙高は芝居がかった調子でうったえた。
季斯は「ご快復を願うばかりじゃ、まだまだ情勢が不安定である。更に法の強化を計り陛下のもとで尽力致したいがな...」
趙高は「季斯様のご尽力がなければ、今の秦の繁栄は無かったも同然でございます。」
季斯が「いやいや、力及ばずじゃ。もっとご期待に添えるよう精進せねばな...」
「季斯様、ご謙遜を...」
そして趙高が続けて言った。
「このまま、扶蘇様が皇位を継承なさったら
どうなりますか...焚書坑儒の際に、扶蘇様が大反対を唱えたのは記憶にあたらしきこと。
折を見て罷免もありえるかと存じます。おそらく、
趙高は、ズバリと言い切った。
季斯は、自身の貧相なあごひげを撫でながら考えを巡らせた。
「ふむ、そちの言う通りになるであろうな」苦々しい顔でつぶやいた。
儒教を弾圧した焚書坑儒を押し進めたのは、
季斯であった。
要は、見せしめである。
悪は儒家で、善は法家。
人は立場によって善悪を決めるものだ。自分の都合や社会的風潮で考えが変わる生き物である。
人の根底にあるのが「保身」
これは複雑な社会生活を生きるための本能であるため、時に矛盾が生じても仕方がない。
それでも潔い人々は存在する。
自分の信じた道をひたすら正直に進む...それによってたとえ自分や家族の命を亡くそうとも。
ただ大概の人間がそうであるように、趙高と季斯も潔い人物ではないようである。
更に言えば、陰険な人種に入るかと思う。
「季斯様、わたくしの考えを申し上げてもよろしいでしょうか?」
「ふむ...趙高、そちに何か良き考えがあるのか?」
「いえいえ、まぁ...わたくしの一人言と思ってくださいませ。」
そして、趙高は言った。
「胡亥様は公子のなかでも特に、素直で純真な方でございます。陛下にもっとも可愛がられていらっしゃいます。陛下もご本心では、胡亥様に継承なさりたかったのではないでしょうか? いやっ絶対にそうに違いありません。
皇位は、胡亥様が継ぐべきです。」
季斯は「ちっ、趙高! そなた何を言ってるのか自分でわかっておるのか!?」
「はい、勿論わかっておりますとも。」
趙高は、一瞬ニヤリと笑ったように見えた。
そして、季斯に考える時間を与えるかのごとく長い沈黙を保った。
間を充分とったと判断したところで趙高は言った。
「季斯様、遺詔は我々の手中にございます...」
趙高と季斯、二人の間に共謀者という火花が散った。
そしてこの翌朝、始皇帝は永い眠りについたのであった。