三十三

文字数 2,331文字

 運行ルートを無視したバスが一台、猛スピードで海岸線を走って行く。運転手はコバヤシを降ろしたというバス停でハザードランプを出して停車した。辺りに民家はなく、南国の広葉樹が生い茂り、岬へ続く丘陵と白い砂浜、そして広大な水平線が広がっている。
「この付近なのか? コバヤシのアトリエは」
「知ルカヨ、俺ハ奴ヲコノ場所デ降ロシタダケダ」
「この辺に民家はあるのか?」
「無エヨ、ダガ、コノ先ノ洞窟ニ薬中ノ奴ラガイルッテ話ダ。コバヤシモ恐ラクソノ仲間ノ一人ダロウヨ。コレ以上ハ何モ知ラネエ」
「わかった。お前たちはもう行っていい」
 そう言うと、ハダケンゴは一人、バスから降りた。バスの扉がすぐに閉まり、黒い排気ガスを撒き散らしながら走り去った。辺りは硫黄のにおいがした。遠くから岩肌を打つ波の音がする。ハダケンゴは、その音に誘われるように丘を降る一本道を歩いて行った。十分ほど降ると、サーフボードを抱えた若者とすれ違った。上気して、完全に目が行っている。そのまま砂浜まで降り、辺りを見渡すと、切り立った崖の間から、今度は中年の男が出て来るのが見えた。すぐにその場所に向かった。崖の隙間に波で削られた洞窟があり、中を覗くと、数人の男たちがパイプで紅い煙を吐いていた。
「お楽しみのところ悪いが、この中にコバヤシという日本人はいるか?」
 全員が目だけ動かしてこちらを見た。白目は充血し、焦点が定まっていない。
「もう一度聞くが、この中にコバヤシという日本人はいるか?」
「誰ダ、アンタ」
「コバヤシという日本人と台湾人の老人を探している」
 すると、座ったまま面倒臭そうにそっぽを向いた男が口を開いた。
「今日ハ来テナイ」
「知ってるんだな、コバヤシのことを。奴のアトリエはどこにある?」
「向コウダヨ、岬ノ先端ノ方。砂浜ヲ歩イテ行ケバワカル」
「そうか、邪魔したな」
 ハダケンゴはすぐに洞窟を出て、砂浜を歩き出した。砂に足を取られ、思うように進まなかったが、ニ十分ほどして、木でできた掘っ建て小屋が見えてきた。銃を取り出した。
 近づいて中の様子を伺うが、人の気配は無い。扉に鍵はかかっていなかった。そっと扉を押し開けて顔を覗かせる。入口から中は見通せない。中に入り、銃口を向けながら体を滑らせる。すると、部屋の中央に椅子を置き、孫小陽が座ってこちらを見ていた。
「おっと、これは驚いた。あんたがここにいるとはな」
 孫小陽は驚いている様子もなく、むしろ落ち着き払っているように見えた。
「遅カッタジャナイカ。私モ、オ前ヲ待チワビテイタトコロダ」
「何だと? それはどういうことだ? それにコバヤシはいないのか?」
「コバヤシハ居ナイ、オ前ト二人ダケデ話ガシタカッタ」
 ハダケンゴが銃口を向ける。
「白月を渡してもらおうか」
「好キニシロ、元々、オ前ノ父親ニ売ッタモノダ」
 よく見ると、孫小陽の後ろに数枚の贋作と共に、白月がイーゼルに載っている。
「ここでコバヤシに贋作を描かせていたというわけか。そして、その中の一枚を俺の親父に掴ませた」
「結果的ニ、ソウナッタノハ事実ダ」
「結果的にだと? とぼけるな。お前さえ贋作を売りつけなかったら、親父は死なずに済んだんだ。親父が死んで、残された俺たち家族がどれほど苦労したか、お前にはわかるまい」
 ふと、千葉の病院にいる母の姿を思った。
「オ前ハ、自分ノ父親ノ死が、本当ニ自殺ダトデモ思ッテイルノカ?」
「いや、さすがに今はそうは思っちゃいない。お前の指示で、殺されたんだと気付いたよ」
「何故、ソウ思ウ?」
「あの日、俺はお前らの誰かの声をこの耳で聞いたんだ。家にかかってきた電話の声は、北京語を話す者からだった。そして今、お前と話していて、わかったことがある。あの日、俺の家に電話をかけ、親父の所在を確かめたのは、孫小陽、アンタだ」
 孫小陽の小さな目が見開いた。
「ソウカ、アノ電話口ニ出タ子供ハ、ケンゴ、オ前ダッタノカ・・・・・・済マナカッタ」
「今更、詫びたって遅いぜ」
「ケンゴ、聞イテクレ。オ前ノ父親ヲ殺ッタノハ、私デハナイ。アノ日、確カニ私ハ、オ前ノ家ニ電話ヲカケタ。シカシ、ソレハ、オ前ノ父親ニ危険ガ迫ッテイルコトヲ知ラセルタメダッタ」
「そんな嘘話は通用しねえ。それなら何故贋作を売りつけた?」
「贋作ヲ持チ帰ッタノハ、オ前ノ父親ノ希望ダッタ。当時、政治家ダッタ男ニ白月ヲ売ル約束ヲシテイタカラダ」
「親父がその政治家に贋作を売ったと?」
 孫小陽が頷いた。
「嘘だ。そんなはずはない」
「オ前ノ父親ハ、白月ノ真作ヲ手放スノガ惜シクナッタノダヨ。ソシテ私ニコウ持チ掛ケテキタ、贋作ヲ売ッテクレナイカト。私ハコバヤシニ描カセタ贋作ヲ渡シタ。真作ハ後日密カニ受ケ渡スコトニナッテイタ。トコロガ、私ノ本国ノ組織ノ状況ガ変ワッタ。組織内ノ権力争いガアリ、私ト、私ガ所有スル白月ヲ奪ウタメ、ヒットマンガコチラニ向カッテイルト知ッタ。私ハコバヤシト共ニ、歌舞伎町ノ地下ニ隠レタ。私ハ表向キ、既ニ白月ヲオ前ノ父親ニ売ッテイタノデ、オ前ノ父親ニ危険ガ及ブト思イ、オ前ノ家ニ電話ヲカケタノダヨ。シカシ、残念ナガラ、オ前ノ父親ガ殺サレ、白月ガ奪ワレタト、後日、知ッタ。残サレタ画ガ、紅イ月ダッタノハ、私ニ対スル警告ダッタ。紅イ月ヲ持ツ者ガ、私ヲ殺シニ来タトイウ、メッセージダッタノダロウ」
 ハダケンゴが苦笑した。
「今更、そんな出鱈目受け入れられるかよ。親父が贋作を売ることなど有り得ない」
「信ジテモラエナクテモイイガ、コレガ真実ダ」
「黙れ。もはやそんなことはどうでもいい。俺はその白月を頂いていく。そして、お前は過去に犯した罪の代償を、今ここで払うのだ」
 そう言って、ハダケンゴが孫小陽に近づいて行った。
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