セリフ詳細
それを人間が受動的に知覚してるんじゃないんだよ。
知覚は受け身じゃない。
事後的に、後になって、知覚が成立してから後、
それがあたかも受け身であったかのように、外界をキャッチしてるだけのように感じられるだけ。
未だ知覚が一般的な意味での知覚となる前、
知覚が目下活動中の時点においては、〈はたらき〉があるのみ。
その相互作用の海においては、知覚は受動的ではなく、能動的な側面がある。
だから西田は、知覚にも能動的な側面がある、と言ってるし。
実際、最新の脳科学的成果も、それが正しいと示している。
たとえば視覚。
視覚は通常、外界の情報をキャッチしているだけのようにみえる。
だがじつは、そうじゃない。
たとえば、ぼくが朝起きて、トイレへ向かう。
このとき、純粋に受け身で外界をキャッチしているのではなく、そうではなく、
事前に、脳処理の方で、あそこにトイレがあるはずだし、
おおむね部屋のレイアウトはこうなってるはずだよね、ってな感じで、
いわば、外界をキャッチする以前から、あるいは同時に、
脳内イメージが、たとえるなら絵が、立ち上がってくるんだ。
これって、情報処理の理論からすると、ある意味当然で、
その都度その都度、ぜんぶの「絵」を描いてたら大変でしょ。
アニメでもそうじゃん。毎回毎回、背景をゼロから描いてたら大変でしょ。
次のコマもおおむね同じなら、転用し、違ったところだけ書き足せばいいじゃん。
じつは脳も、同じことをしている。
間引けるところは間引いている。
つまり、視覚は100%受け身ではなく、こっちから描いてる側面があるわけ。
いわば間引いてズルしてるから、いつもと異なるところがあると、
あ!と思い、びっくりするわけ。注意が引きつけられる。
作品タイトル:西田幾多郎を読む
エピソード名:『善の研究』を読む⑧
作者名:千夜一夜読書人 nomadologie
★19|社会・思想|連載中|9話|32,364文字
哲学, 西田幾多郎, 善の研究
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哲学者・西田幾多郎の著作を順番に読み進めていきます。