セリフ詳細

この『魏志』倭人伝の正式名称は "『三国志』魏書、烏丸(うがん)鮮卑(せんぴ)東夷伝、倭人の条" のようです。この書に邪馬台国の名称も卑弥呼の名前も記されている。卑弥呼が魏の皇帝から贈られた「銅鏡百枚」の記述から両国の結びつきの固さが窺える。古代中国での日本人の名称「倭人伝」に私も倣って進めていきたい。


三国時代は西暦189年~西暦280年とあり、魏呉蜀が覇権を競っていた。その魏王(と呼びます)へ使者を送っていた卑弥呼。真っ直ぐな人物を蔑むあり、厚遇するあり‥日本人にも様ざまあるが、中国では倭人と呼ばれていた事実。銅鏡百枚の記述に倭人が厚遇されていた事実が窺える。さらに「学ばずは卑し」の言葉が私のなかに想い浮ぶ。


卑弥呼…名前を素敵に想うも、厭に想うも人は其々(それぞれ)。卑弥呼を貶したいときは悪く、卑弥呼を大切に想うときは大切に読む。僻みがちのときは僻んで読むでしょう。それで卑弥呼自身はどう思っていたのだろう?魏の皇帝はどう思っていたか?すなわち卑弥呼は健康だった。健康な卑弥呼は魏王に愛された。((つい)でに)魏王はスポーツマン魂に準じた。


卑弥呼を健康と見なす根拠はあって、あなたの存在…(これ)は間違いない。僻むリーダーの仲間は必ず危険に陥る。結局私たちは健康なリーダーを育成・持たなければならない。日本国民を分断・分裂させる危険な心に毒された者をあなたのリーダーに据えてはならない。しっかり語り合える市民に育てなければならない。これは未来を作ることにも通じる。


卑弥呼の名に国家『君が代』を思い浮べたら変ですか?(せい)を受けた卑小な命が(いよいよ)育っていって息ながく続く。この卑弥呼の名に親の心が窺われてなりません。あらゆるモノから・あるゆる機会に学んで学んで学んで大きく大きく成長しなさい。この願いはいつも子孫に根づいてほしい。じつに有難い親の心、親の恩。小さく生まれて大きく育つ命!


生れた条件・状況は一人一人異なる。他者と比較して僻んで「自分は劣っている」と卑下してはならない。人に有って自分にない‥(これ)チャンスと健康に捉えるのは卑弥呼(あるいは卑弥呼の部族)以来の素敵な伝統に違いない。分限者(ぶげんしゃ)分限は能力の大きさですが、折角の能力(お金や才能)を持っていてもチャンスが見えなければ使えず・役立たず。


学ぶチャンスに関してはあなたより多く恵まれてきた壽佐袁(すさお)が言うのですから、(これ)は間違いないところです。『可哀そうね』『大変ね』『寂しいわね』など‥同情心は有難いし、幼児には絶対に必要です。その温かい保護下から卒業してこそ「チャンス」は大きく広がり伸びるのでしょう。チャンスに気づきやすい産まれ・育ちは生かさなければ勿体ない。


私たちの卑弥呼は偉大なる女王に間違いありませんよね。

作品タイトル:ナンでもカンでも好いですか❢ (実在)

エピソード名:卑弥呼/正直

作者名:阿龍門 稜  fudoki

2|社会・思想|完結|33話|57,900文字

正論・正義, 罪~罰, シリアス, 哲学~証言, 仏法~カリスマ, 社会常識, ノンフィクション, 現代群像劇, ファンタジー, 目覚め

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日常のデキゴト...つまりノンフィクションの事件に体当り! 事件といってもアナタ様には何の変哲もない日常の些細な出来ごと‥そうであっても私には重大な事件性が感じられることも多くて、ココを立ち上げております。

管理人に創作性やらあるとも思えず「練習がてらの慣れるため」であれば、先ずはそういったストーリーになれば好いか・・・です。

(ご注意)
文中登場の人物は「現実の人物」であれば別人格として登場します。少々無責任な発言も別人格であれば全て稜(たか)の責任です。ご理解をよろしくお願いします。なお、人物は「敬称略」になっております。

(更新日2021/10/15)