二重写しの日常

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[創作論・評論]

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「なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ」 梶井基次郎『檸檬』

ファンレター

未村 明さま

この度はご感想をありがとうございました。
公開してすぐにこのようなお手紙をいただけるとは夢にも思わず、大変恐縮しております。

虚構を現実に実装することの不毛さ、哀しさというのは、とてもよくわかります。
それらはどちらかというと、つらい現実を忘れる、ひと時の逃避として機能してきたようなところがあるからだと思います。
キャラとは解離性同一性障害における交代人格の一種とすら言われる事もあるくらいですものね。

ただ、それだけではないのかもしれない、と最近は考えるようになりました。
虚構を現実に実装するとは、虚構によって現実を塗りつぶすだけのものではなく、
現実と結託し、未来をあるべき姿に書き換えていく力にもなり得るものかもしれません。

近年のミステリ作家もこうした現状には自覚的で、ミステリ形式のなかでこれを表現しようと模索されています。
『法廷遊戯』も恐らくはこうした文脈のもとに書かれており、その結論には、
やはり近しい希望のようなものが刻み込まれていると感じられました。

とはいえそこには、現実を直視し、あくまで現実の力によって抗うたくましさも同時に存在しなければならない筈のものですね。
生身の人間を直視し続けてきた劇作家の立場からの鋭いご感想で、ヒトゴロシの物語に現実逃避しがちなミステリファンとしては蒙が拓かれた思いです。

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