側にいないと見えないもの ②

文字数 1,587文字

 それから心理士の資格と教員免許を取得した。
 しかし、理想と現実はかけ離れていた。悩みを持つ子供の手助けをしたかったが、子供の悩みの大半は親や家族が原因であることが多かった。残念なことに無自覚な場合がほとんどである。結果、子供の話を聞くより親の話を聞く時間が必要となることに気が付き挫折してしまった。僕が未熟者のため自分より大人の話を聞くということがその時は理解が難しかった。

 子供がいる親なのに自分の価値観だけを押し付ける。自分の言う通りにならないと叱る。子供が理解できるように会話をしたり接することが出来ない。子供が欠陥品だとまでいう親たちに出会う。それに僕の心は耐えられなかった。最低な人間だ。

 学生時の実習で色々と気が付き、違う形にはなってしまったけれど子どもたちが少しでも楽しい時間を過ごしてもらいたいと思い、子供向けのモノを作る仕事に就いた。

 そんな本当の夢を叶えられなかった僕とは違い、星耶は子供の頃からエレクトーン、ギター、ベースを弾き熟し音楽の道へと進んでいった。今はテレビ番組でタイアップをするまでになっていた。音楽で食べていくという夢を叶えていた。

 看護師が天職という母のように自分の夢を叶えた弟のように僕も頑張らないと、と心に思った。

 それから数週間して、母は退院し元の生活に戻ることとなったのだが……数ヶ月後、女性の癌が見つかってしまう。母は看護師のため健康診断は定期的に行われるのだが、その癌の進行は早く数ヶ月で化け物のように大きくなっていった。開腹手術となり数週間、入院することとなった。

 僕は仕事を休み、母の側にいることを選んだ。手術を終えると摘出したものを確認することとなった。父はみないという選択をしたので代わりに僕がみることになった。通常の大きさと比較して何十倍にもなったもの。それが母のカラダの中にあり、母が苦しんだものだと思うと涙が止まらなくなった。

 手術直後の母は痛みで苦しみ、暴れるに近い動きと今まででみたこともない表情をみせた。眉間に何本もの縦線をつくり、目をぎゅっと閉じ、歯を食いしばる。痛みに耐えられずカラダを捻り、足をバタバタとさせフットポンプの機械を止めてしまうほどの暴れよう。笑顔しかみたこと無いくらいの母が苦しんでいる姿を見て、何も出来ない自分に嫌気が差した。今の僕には側にいることしか出来ない。

 そんなことを思っていると母が「側にいてくれてありがとう」とかすれた声で言った。僕はそんな母の手をぎゅっと握った。

 数週間の入院生活が終わったが、開腹手術のため仕事も数ヶ月休むこととなった。お風呂には介護用の椅子が設置され、二階に上がるのも難しく一階の部屋で過ごすことになった。家事は父がやるようになり、食事はさすがに作れないということでどこかで買ってきたものを食べる。そんな食事を毎日、日記のように写真を送ってくれるようになった。僕も今日はこの御飯といって返すようになった。

 母は家から出ることが難しいので、僕は時間があると出掛けるようになって、そこで撮った景色を送るようになった。母が動けるようになったら色んな場所に出掛けようと約束をしながら。
 もちろん、母からはいつものように『おはようございます☀』『いってらっしゃい』『お疲れ様です』『おやすみなさい☆』というメッセージが、時には写真と一緒にメッセージが送られてくる日々。



* * *
 それから数年後、僕は大学の時から付き合っている浬音と結婚をした。すると母から『おはようございます☀』『いってらっしゃい』『お疲れ様です』『おやすみなさい☆』と僕ら二人に送られるようになった。
 もちろん僕も妻も気がついたらすぐに返信をする。そして、お互いの食事や猫、出掛けた先の景色の様子を送り合ったりと家族だけのメッセージのやり取りと言う名のインスタがパワーアップしていった。
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