第2話 秘密

文字数 3,300文字

「――う? 待て待て。何だか不穏な雰囲気の単語が聞こえた」
「『ふおん』て何?」
「えっと、今の場合は、普通では使わない怖い感じの言葉、だ。つまり『行方不明』だ」
「どうして? 怖くないよ。僕は絶対に助かると分かってるんだから」
「いや、だからそうじゃなく」
 『不穏』の意味を辞書でちゃんと調べて教えてやろうかと思った。だが、話がずれていることに思い当たり、中島は軌道修正した。
「ま、いいや。とにかく最後まで聞かせてくれよ、作戦とやらを」
「昔、ゆきにいちゃんと二人でよく遊んだ古い小屋、まだあるよね?」
「ああ。たま~に見に行ってるから、多分ある。地下に秘密基地のあるやつな」
 元々は住居だったようなのだが、誰も住まなくなってぼろぼろの小屋がある。その床下には、野菜貯蔵庫か何かに使ったと思しき空間があり、蓋をしたら簡単には見付からない。
 そこまで思い出した中島は、ぴんと来た。
「まさか、行方不明のふりをしている間、あそこに隠れて過ごそうって?」
「そうだよ。にいちゃんなら無理でも、僕なら結構余裕あるから大丈夫。ずっと隠れていなくても、人が探しに来た気配がしたときだけ、隠れればいいんだし」
「食事なんかは……前もって運べばいいか」
「携帯端末は持たない方がいいかな。ドラマとかで見たけど、記録が残って、あとでばれたら困るんだよね? ま、“発見”される日を決めておけば問題なし。退屈だろうからゲーム機持って行きたいけど」
「ちょっと。すでにやる気満々みたいだけど、決定なの、これ?」
「やらない理由、ないよ」
「一歩譲って、俺には理由があるとしても、初彦にはないだろう」
「それがあるんだな」
「本当か?」
「僕が行方不明になったら、親が心配するでしょ。お父さんもお母さんもきっと気持ちが昔みたいに戻るよ」
「……なるほどな」
 思わず感心してしまったのは、計画が素晴らしいとかではなく、あの話がここにつながるのか!っていう意味で。
 到底、ゴーサインの出せる計画じゃなかった。
「俺のために考えてくれたのは嬉しいし、初彦が両親を心配してのことだってのもようく分かった。でもな、成功確率はよくて五分五分ぐらいだろう。それにこの計画は世間を多少なりとも騒がせる。警察や消防が動くだろうし、テレビに出るかもしれない。そのあと万が一お芝居だとばれたら洒落にならない。ばれなくても、嘘を吐いた心苦しさで、落ち着かなくなるかもしれない」
「……分かってる。けど、他に何もいいアイディアがないから仕方ないじゃないか」
「まあ、落ち着こう。焦ることはない」
 中島が何気なく言ったこの一言が、初彦の態度を硬化させたのかもしれない。中島にとって彼女との喧嘩はまあ焦ることはないが、初彦にとって両親の仲は焦る必要があることと言えた。
「もういいよ。一人でもやるからね。邪魔しないで。誰にも言わないでよ」
「ちょっと待てって」
「やるよ。今日から三日間お世話になる予定でここに来てるんだから、二日目には見付かるようにする。天気、ずっとよさそうだしさ。もし気が変わったら、二日後の二十五日の朝、僕を見付けに来ていいよ」
「おい。食料と水とかどうするだ」
「お菓子とか結構持ってきてる。それに、二日後に見付かった僕が、肌がつやつやしてたらおかしいよ。少しはげっそりしないと」
 荷物をまとめ、準備を始めた初彦。中島は「あの秘密基地までどうやって行くつもりだ?」と聞いた。中島家からは距離があるので、小学生なら自転車がないと厳しい。
「……にいちゃんの自転車貸して」
「調子がいいな」
「だって、無理だもん。僕が勝手に乗っていったことにするからさ」
「とにかく、一晩考えさせろって」
 中島は本心では考えるつもりはなかった。初彦を足止めするための方便だ。
「分かった。えーっと、ドラマではこういうとき、『いい返事を期待してる』だったっけ」
 初彦はそう言って、無邪気な笑みを見せた。

 が、翌日。嘘に引っ掛かったのは中島の方だと分かった。
 自転車を片付けてしまえばとりあえずあきらめるだろうと考え、そのつもりだった中島だが、夜、自転車をガレージからどこかよそへこっそり移動させるのは物音で難しいため、次の日の午前中にでもやろうと先延ばしにした。
 それがミス。初彦は朝御飯をさっさと食べ終わるや、見たいテレビがあるからと言って中島の部屋に飛んで行った。そして中島があとから部屋に戻った頃には、もう姿がなかった。
 あいつ、いつの間に――と驚いたときにはもう遅い。短い置き手紙がゲーム機のコントローラーに挟んであって、発見しに来る日時と場所が明記され、さらには「このメモを読んだら処分するように」と付記してあった。
 しょうがねえなと怒り半分、呆れ半分の中島だったが、ここまで進んでしまったら協力してやりたい気持ちも生まれている。
(ほんと、しょうがねえ奴だ。今回だけだぞ、乗ってやるのは。だいたい、俺だってあの秘密基地まで徒歩はかなりきついんだぜ、まったく)

 七月二十五日の朝八時半。
 中島が昔遊んだ秘密基地のことを思い出したという体で、捜索隊が向かった。初彦の両親にレスキュー隊員四名、町の有志。もちろん、中島も案内役として同行した。
 山道を上がったり下ったりすること三十分。廃屋に辿り着き、床下に通じる木製の蓋も確認できた。何よりも、中島の“なくなっていた”自転車が、廃屋のぼろっちい壁に立て掛けられていたことが、捜索隊全員に、ここに初彦君がいるのだという確信を与えた。
 そして、阿倍野初彦は、床下の貯蔵庫から見付かった。もちろん、生きた状態で。

 裏事情を知る中島の目には、初彦の演技は完璧に映った。カメラの前で、息も絶え絶えで目が血走り、足腰が立たないかのように崩れ落ちた。それを母親と父親とが支えようと同時に手を伸ばすシーンなんか、なかなかの感動ものだった。
 地元の病院に初彦を見舞った際、二人きりになるタイミングがあった。
「にいちゃん、大川さんは?」
「電話あった。テレビで見たって」
「よかったね。苦労した甲斐があった」
「それがな、元通りになるかどうか、まだちょっぴり怪しいんだ」
「え、何でよ」
「俺が自転車をちゃんと管理していないから初彦君が勝手に出て行ったんじゃないの?って責められた」
「うわ~、きつい。……今さら言うのも変だけどさ、ゆきにいちゃん、その人はやめておいた方がいいんじゃないかなあ?」
「ばかもの」
 そこまでやり取りした段階で、初彦の両親やお医者さんが病室に入って来た。中島と初彦は目配せした。秘密は最後まで守ろうという誓いの目配せだった。

           *             *

 八月も半ばに差し掛かろうという時期、新聞の社会面に、ある地方小都市における遺体発見の報が載った。自宅で死んでいたのは枝山(えだやま)なる独り暮らしの若い女性。理由までは記されていないのだが他殺の疑いが濃く、捜査本部が起ち上げられる見込みだという。
 遺体は腐敗が進んでおり、死亡推定時刻の絞り込みは難しそうだったが、七月の最終週に亡くなったのは間違いないという鑑定結果がひとまず出ていた。
(七月下旬……?)
 その記事を、遠く離れた東京の地で見付け、身体の震えが止まらないでいる男がいた。
 男の名は、阿倍野勇太郎(ゆうたろう)。初彦の父親である。
(あの子が行方不明になっていたのは、七月二十四と二十五日。最終週だ。まさかとは思うが……いや、あの子は行方不明になって、貯蔵庫の穴に倒れて動けなくなっていたんだぞ。何を考えているんだ、私は。だいたい、小学生が八十キロを往復、つまりは百六十キロも移動できるものか)
 脳内に浮かんだ妙な考えを捨てようと、激しく首を左右に振る勇太郎。しかし、またあることに思い当たってしまった。
(廃屋には自転車があった。中島君の物だが、サドルの高ささえ調節すれば、サイズ的に初彦でも楽に漕げる。平均時速二十キロ……は無理だとしても十六キロなら出せるか? 百六十を十六で割って十時間。往復十時間を掛けて、父親の浮気相手を殺して、戻って、行方不明者のふりができるのか)
 答は出そうにない。

 終わり

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