第1話 素晴らしい作戦

文字数 4,231文字

 これは最悪の一ヶ月になるのも覚悟しないといけないな。
 中島行人(なかしまゆきひと)はあきらめの嘆息をした。
 明日から夏休みというタイミングで、彼女――大川百合子(おおかわゆりこ)と喧嘩してしまった。本気の恋愛とか、将来を見据えての恋人関係とか、かたいのじゃなくて、幼馴染みの延長線上にある、親しい異性の友達、それをさらに数歩進めたような関係だったけれども、まあまあうまく行っていたし、楽しかった。
 喧嘩の理由は単純で、中島が街で見掛けた同じクラスの女子の服装を、ちょっと誉めただけのことだった。
 中島は弁明したけれども聞き入れてもらえず、逆に、過去のことを持ち出された。遡ること四ヶ月ほど。春休みにデートで映画を観に行く予定だったのだが、待ち合わせ場所から映画館に向かう途中、自転車籠いっぱいに買い物を詰め込んだ中年女性とすれ違った。そのまま何事もなく通り過ぎたのだが、しばらく行くと後方からガシャンと音がした。反射的に振り返ると、自転車の女性が倒れていて、荷物は散乱、何か丸っこい野菜が転がっていく。そして、乗用車が生活道路にしてはスピードを出して走り去った。
 中島は頭の中がその日のスケジュールで一杯で、とにかく映画の上映時間に間に合うようにということしかなかった。駅前まで来るのだって、バス代が掛かっている。だから、気持ち急ぎ足になっていた。
 しかし大川は違った。後ろを向いたまま足を止めてちょっと様子を窺っていたかと思う、すぐに駆け出した。手首を掴まれ、引っ張られる形で中島も続いた、否、続かされた。
 大川は自転車を脇に横たわる女性のそばにしゃがみ込み、「大丈夫ですか。まさか、さっきの車に」と心配げに声を掛ける。
「大丈夫。車は当たっとらんのよ。バランス崩して転んでしもうただけ」
 女性が意外に元気な声で応えた。それなら安心だもう行こうという気持ちになった中島に対し、大川は黙ったまま、きっ、ときつい目で睨んできて、自転車を指差した。五秒ほど遅れて、起こせてということかと理解した。
 ここに至って、中島も大川の意志の強さを感じ取り、覚悟を決めて、散らばった荷物を拾い集めた。
 中年女性はしばらく、いたたた……と腰や太ももの辺りをさすっていたが、それも程なくして収まり、「もう大丈夫。ありがとね」と言った。
 自転車を押して帰る女性に、大川が「着いて行きましょうか」とか「持ちましょうか」とか言い出したので、中島は内心、「おいおい勘弁してよ」と叫んだ。幸い?中年女性は「平気だよ。これ以上邪魔もしたくないしね」とか言って、立ち去ったので、難を逃れたのだが。
 その日のデートはあんまり盛り上がらなかったのは言うまでもない。
 そのことまで持ち出されて、「中島君て、人の気持ちが分からない」「鈍感」「だいたいあの日だって、素直に中島君が一緒になって助けていたら、あ、ちょっといいことしちゃった気分いいね、でいい思い出になったはずなのよ」等と、延々と言われた。
 本人が言うとあれだが、中島はじっと黙って聞いていたし、反省もしていた。だが、彼女の説教があまりにも長く、同じようなことを繰り返すものだから、とうとう我慢できなくなってしまった。
 で、文字に起こすと恥ずかしくなりそうなやり取りを経て、今、くさくさとした気分で夏休みの三日目を迎えていた。
「ゆきにいちゃん、どうしたん?」
 従兄弟の阿倍野初彦(あべのはつひこ)の声に、はっとなって画面を見る。が、すでに中島の操るプレイヤーは“死んで”いた。
「ああ、ごめん。考え事」
「もう、しょうがないなあ。“ぼーっとゲームしてんじゃねーよ!”」
 だいぶ前からお気に入りのフレーズをちょっと替えてきた初彦は、一人で笑ってご満悦である。
「次は真面目にやるから」
 中島の家は地方の片田舎にあり、かなり広い。周りは山に囲まれて、自然の遊び場がたくさんある。夏休みなどになると、親戚が家族揃って遊びに来たり泊まって行ったりする。
 今来ている阿倍野家は、両親と子供の三人家族で、少し前まで愛らしかった初彦は小学六年生になって身体は大きく、頭は小賢しくなってきたが、中島によく懐いている。
「あーあ、やっぱりだめじゃんか」
 続く対戦でも、初彦が圧勝した。これまでなら中島の方がゲームは総じて押し気味、種類によっては本気出すと全勝になるので手を抜くことすらあった。
「にいちゃん、何かあったね」
「分かる?」
「そりゃ、めちゃ弱くなってるもん」
「自分が強くなったとは思わないってか」
「全然。手応えないし」
「うーん。でもな、おまえに話しても仕方がないしな」
「なるほど。それはぜひ話しなさい」
「何だよ、それ。学校で流行っているのか?」
「この前読んだ漫画に、こんな感じの台詞があったから」
 何でもかんでも使いたがるなあ。自分が小学生の頃もこんな感じだったかなと思い起こす。そして、背伸びしたい年頃の子供は、大人の話を聞きたがるものだという事実を思い出した。
「よし。話してやるとするか。その代わり、笑うなよ」
「うん」
「夏休みの直前に、彼女と喧嘩した」
 初彦は笑い転げた。
「おいこら、笑うなって約束しただろうが」
「だってさ――ゆきにいちゃん、彼女いるの?」
「そこからかい!」
 大川百合子とは幼馴染みで、小学生低学年ぐらいのときにはこの家に来たこともあって、たまたま来ていたおまえ(初彦)も会っているはずだと言ってやった。
「記憶にない。てか、僕、赤ちゃんじゃないの、その頃って」
「ああ。多分、おむつ交換されてるところ、見られてるぞ」
「え」
 中島の口から出任せに、初彦は絶句した。が、じきに中島の悪い冗談だと気が付いて、「しょーもないことでだまさないでよ」とふくれ面になった。
「そっちが最初に笑うからだ。俺みたいな年齢で彼女ってのがどんだけ存在が大きいか分からんのか」
「まあ、好きな子が大事ってのは分かるけどさ」
 小学生の従兄弟に言われてもなあ、と内心苦笑いが絶えない中島だった。
「その程度のことでゲーム、弱くなる?」
「いや、その程度ってことはないだろ」
「でも、僕だって問題抱えてるんだ」
「何?」
 そんな気配は全く感じていなかった。中島は初彦に、おまえも話してみなよと促した。
「僕のお父さんとお母さん、今回別々に来たでしょ?」
「ああ。これまでにもたまにあったよな。親父さんの仕事の都合じゃ、仕方がない」
「今回は違うんだ。多分だけど。お父さん、浮気してて」
「まじか」
 部屋のドアを振り返る中島。ドアはきちんと閉められており、安堵する。
「それがこの近くに住んでいる人みたいで。と言っても、隣町の隣町ぐらいになるのかな。マラソンの倍ぐらい離れているって」
 約八十キロだとしたらあの辺かなと、漠然と想像を巡らせた中島。だが、そんなことを知ってもしょうがない。頭をぶるぶると振って、忘れることに。
「今回、お父さんが遅れてきたのは、その人に会って話し合いをしたからみたいなんだ」
「確実じゃないのか」
「そりゃそうだよ。教えてくれる訳がない。それで、話し合いがうまく行かなかったのかな。お母さんがまだ不機嫌で」
「両親がそんな状態だと、気になるよな」
「だけど、僕、ゲームは弱くなってなかったでしょ」
「うむ、まあ、確かに」
 比べるのもおかしな話ではあるが、小学生が両親の仲を心配するのと、自分が彼女との仲を心配するのとでは、前者の方が普通はきつかろう。
「だから、にいちゃんも気にせずにゲーム集中してよ、とは言えないから」
 何故だか、初彦は思った以上に中島の抱える悩みを真剣に受け止めてくれたようだ。
「ゆきにいちゃんが元カノと仲直りできるように、作戦を考えて実行してみようって思った」
「作戦? いやその前に、まだ元カノじゃないぞ、多分」
「細かいことを気にしてると、また女の人に嫌われるかもよ」
「うう」
「とりあえずさ、何が喧嘩の原因なのか、分かってるの?」
「分かってるよ」
「じゃ、まずはそれを話してよ。それから対策を考えるんだ」
 妙な成り行きだなと感じつつ、ゲームには乗り気になれないし、暇潰しにはちょうどいいかと、喧嘩に至る顛末を話して聞かせた。
 聞き終わった初彦は、しばらく考え込んで、うーんうーんと唸っていたが、不意に「閃いた!」と声を高くする。
「どれどれ。聞いてやろう」
 どうせ小さな子供の思い付くことと、軽い気持ちで耳を傾ける。
「結局さあ、大元の原因て、ゆきにいちゃんが人助けしなかったことにあると思うんだ」
「したけどな」
「聞いた分で言うと、遅いよ自分から助けに行くくらいじゃなきゃ」
「だが、あのときは映画の時間が迫っていた」
「だから、そんなことを気にせずに人助けしていたら、その、えっと、大川さんて人はにいちゃんにほれ直してたんだと思うよ。惜しいことしたね」
 どこでほれ直すなんて言葉を知るんだか。
「月日が経って冷静に振り返ったら、そう思えるさ。リアルタイムであのときあの瞬間には、なかなかそうは思わないって」
「大川さんは、自転車と車がぶつかったかもしれないと思ったんじゃないかなあ。それに気付かないにいちゃんに、しつぼーしたんだよ」
「『失望』な。アクセントが変だぞ」
「とにかく仲直りするには、にいちゃんが一人で自分から人助けして、大川さんに認めてもらう、これが一番だと思った」
 結構真っ当なことを言っているなと感じる。実現性は乏しいだろうけど、もし人助けをして、それを大川さんが知ればすぐに仲直りできるかも……なんて想像する中島であった。
(ま、その内何かやってみるか。彼女に見せるためではなく、本心からの行動じゃなきゃ意味ないだろうし)
 なんて感じの殊勝な思いを温めていた中島だったが、初彦に半袖の縁を引っ張られて思索が破られる。
「何だ?」
「もう思い付いてるんだ。すっごい作戦を」
「へえ?」
 真剣に考えてくれてるのなら、たとえどんなしょうもない作戦であろうと、またはどんな空想的な作戦であろうと、最後まで付き合うのが礼儀ってもの。中島は聞く態勢になった。
「お聞かせください、初彦クン」
「僕が行方不明になるから、にいちゃんが一人で見付けて救助する。どう?」

 つづく
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