愛する瞳

文字数 633文字

 翌朝、僕はいつも通り出勤した。本当は一刻も早く彼女を探しに行きたかったが、手掛かりのない今、むやみに動くこともできない。
「おはようございます、先生」
 いつも通り同僚と挨拶を交わして、診察にあたった。僕の職業は眼科医である。
 たくさんの患者の目を見ながら、僕は彼女の美しい瞳を思い出していた。
「大丈夫ですか、顔色が優れないようですけど……」
 同僚の相沢仁美(あいざわ ひとみ)が心配そうに僕を見つめる。彼女ほどではないが、相沢も綺麗な目を持った人間だ。
「君こそ、昨日は休みだったが、体調はもう大丈夫なのか」
 相沢はにっこりと微笑んだ。
「ええ、もうこの通り。神田川先生の方が心配です」
「……いや実は、昨日から妻と連絡が取れなくてね」
 あら、と相沢が口を手で覆った。相沢は「それは気の毒に」と目を伏せた。そして僕の手を取り、上目遣いで「私に出来ることがあったら、何でも言ってくださいね」と言った。相沢は、どうやら僕に対して好意を抱いているらしかった。彼女がよく僕を目で追っていたため、そう感じただけだが。当然僕は彼女一筋なので、相沢の期待に応えることは出来ない。僕は感謝の言葉を述べ、相沢の誘いを丁重にお断りして職場を去った。
「私なら、神田川先生を……」
急いで帰宅する神田川の背中を、相沢が寂しそうな目で見つめていた。神田川の背中が見えなくなったのを確認して、相沢は左手で白衣のポケットを探った。ガラス製の小瓶が指先に触れる。相沢は憎しみを込めて、その小瓶を握りしめた。
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