第3話 「時間」

文字数 1,182文字

 数ヶ月後、会社から続々と人が消えていった。もともと出入りの激しい会社だったが、それにしてもこの退職者の数は異常だ。ここ一週間で10人以上退職した。そして来週退職すると発表されている人は20人近く。彼らは、表向き自主的に退職をしたということになっているが、どうせ高い退職金を口実にプレッシャーをかけて辞めさせて行っているに違いない。どうしてあの人が?というような社内では「優秀」という評価を勝ち得ている中堅層の社員たちもポツポツとその中にはいた。
 なぜ私には声がかからないのか。不安だった。地面に足がつかず宙を不安定に漂っている感じだ。明日こそは私だ。と思っていても一向に話はこない。
 そうして私は会社の上層部に呼び出されることもなく、日々業務だけが増えて行った。以前なら足をひっぱりかねない無能な私に仕事は回ってこなかった。しかし、これだけ人が少なくなるとそうは言っていられないのだろう。私は、エクセルで数字を打っては消し打っては消しの辛い日々を懐かしく思った。責任とプレッシャーに押しつぶされそうになりながら仕事をした。
 次第に上司に褒められたり、感謝されることが多くなった。最近は顔つきも良くなったね、なんて言われることも増えた。以前は相当ひどい人相をしていたのだろう。部下もできた。私はもうライターを持ち歩かなくなった。しばらくあのガールズバーにも行っていない。今は彼女がいるから。

 そんな時、会社の上層部から呼び出され、退職を勧められた。私が訳が分からなかった。私よりも仕事ができないやつは多い。私は部下の名前を出した。彼は働き始めてしばらくたつが、全然役に立たない。真面目なふりしてサボっている。辞めさせるのは彼からが道理だろう、と私は言ったが、相手にされなかった。私は投げやりな調子で退職を受け入れた。

 その日の帰り、久しぶりにガールズバーに立ち寄った。自称二十歳の女はまだそこにいた。どう見ても30代後半か、40歳に見える。しばらく見ないうちに随分と老け込んだものだ。いや、しばらく見ていなかったから正常な目で彼女を見ることが出来たのかもしれない。
 私は数年間熱心にここに通っていたときも、彼女が一年ごとに年を取るという当たり前のことを全く考えていなかった。本当に二十歳だと思い込んで話していた。やはりあの頃の私はどうかしていたのだ。こんなブサイクな中年の女に何倍の酒をおごったことか。
 店に入って彼女を眺めた途端、涙がこみ上げてきた。私の時間を返してくれ。若くて貴重な何者にも変えられない時間を。
 しかし、私は自分の運命を変えることはできない。今その確かな感覚と抗いようもない運命という名のエネルギーに引き寄せられて自称二十歳の女の前に腰を下ろした。自称二十歳の女は私のことを覚えていなかった。だから私は言った。

「僕は会社を燃やそうと思っている」

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