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 他の椅子を見回すと、自分のクラス枠の見える所だけでも研究学科の別コースや音楽学科の各種コースがいるようだ。いちいち名前は覚えてられないな。しばらくしたら嫌でも分かるだろう。
「初年度は普通の授業が主だから他の学科もいるのか」
 来年からは俺やメグの聖職学科はそれだけで固められる。
 しかしせめて兄妹別のクラスにして欲しかった。特殊な学科で少人数だから、結局来年からは同じクラスになるとしても、どうせなら初年度くらいは他の聖職学科の女子や、カリスなんかと一緒のほうがありがたいのに。
 取り上げたままだったメモをメグに返して自分の席に座る。右隣が空いていたから、椅子の後ろに貼られている紙を見た。
「クルフ・リアーネ。聖職学科司祭コース……本当にいるんだな」
 読み上げてため息をつく。未だに信じたくない気持ちが打ち砕かれた。
いつのまにか会場が静かになっていることに気付いて正面を向くと、前の舞台に重々しくきらびやかな服を着た老人が立っている。入学試験の時に面接で話した学校長だ。
 お偉い大司教様らしい。
「あいつの入学を許可した変人か。何で入れたのか小一時間問い詰めたい」
 憎々しく呟くと、左隣の奴が凝視してくるのが分かった。じろじろ見られていい気はしない。横目で相手を見た後、鞄を足下に置いて深く座り直した。
 校長は話も始めずにゆっくりと生徒を見渡している。
「すみません、ごめっ、なさ……」
 微かな声が聞こえた。ほんの小さな音だが、静かな場に響く。声の方を向かなくても分かる。あの高い声はリアーネのもの。
「ここですよ、リアーネくん。アドルフ・ヤマグチに連れて行ってもらえば良かったですね。そうすればあの子も人のために何かを為すという使命に目覚めるでしょうに」
 アドルフ・ヤマグチ。フルネームで呼び捨てるのは絶対わざとだ。そう考えて、引きつる顔を無理矢理整えた。
 リアーネはシスター・エマの案内した席に早足で向かってくる。俺の隣だ。
「すみません。ぼく、すぐに歩いてる場所が分からなくなるんです。シスターに見つけてもらえなかったら、駅に行っていました」
 そのまま電車でどっか行けばいいのに。
「森ですけどね、貴方が向かっていたのは」
 すでに駅でもないのかよ。行方不明になってこい。
 ふふっとシスター・エマは笑い、リアーネが席に座ったのを確認してから校長に向かって一礼する。そして、後ろにある教職員用の席へと行ってしまった。
 リアーネは俺を見て同じように鞄を足下に置こうとする。前屈みになっても届かない床に諦めたようで、鞄を膝の上に置いた。
「アドルフ先輩」
 顔を覗き込んでくるリアーネと目が合った。作り笑いじゃないように思える笑顔を見せてくる。
 俺は目をそらす。左隣の奴と今度は目が合ったからそれも無視して正面に向き直った。
 左の奴まで俺を見てたのかよ。いや、小さくて珍しいからリアーネを見てただけか。
 微かなため息がリアーネから聞こえた。
 子ども相手にやりすぎたかと思ってしまう。視線だけ横に向けた。鞄に手を置いたリアーネがうつむいていたので、泣いているのかと一瞬疑う。
 顔を見ると、そうではなく、手にロザリオを持って声を出さずに祈っているようだった。
 ロザリオも忘れてきたな。そういえば、どこに置いたっけな。
 上を向いて考える。
 今日は入学式だからばれないだろうけど、実際の授業が始まると、忘れましたじゃ済まないだろうな。
 鞄に忘れないように放り込んでおこうと思って、収納袋を洗ったまでは良かったが……そのままどこにやったんだろうか。
 ロザリオなんて必要な時に貸出制にすればいいのに。ついでに聖書も。
「早く一枚取って隣に回せよ」
 左から皿が回ってくる。俺の腕を皿の端で小突く。
 ざらざらと音を立てるのは一口サイズのクラッカーが大量に入った皿で、いつの間にか校長の挨拶は終わっていた。ほとんど耳に入れていない。
「ぼんやりするなよ、未来の司祭サマ。お前ら無能が学校の中心とか勘違いしてんなよ」
 悪意ある言い草に苛つく。名前を確認して嫌味を返してやろうと相手の椅子の後ろを見た。
 名前と、コース。音楽学科の声楽コース。
 声 楽 の 。
「なにしてんだよ、早くしろよ無能」
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