七
文字数 5,396文字
午後、庁舎へ戻った私は、すぐに仕事に取り掛かった。黒瀬さんの案件に多くの時間を割いていたため、すっかり他の仕事が溜まっていた。その日はとりあえず三時間ほど残業してから帰宅した。
中層マンションの四階にある自宅にたどり着くと、ひと呼吸おいてから静かに玄関の扉を開けた。その音で気づいたのだろうか。妻が走り寄ってきて、やさしく出迎えてくれた。
「おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
「すぐ食事にする」
「ああ…」
私は気分が沈んだままであった。食事を出されても、箸が進まなかった。半分以上残してしまった。
「どうしたの…」
妻は身体の具合が悪いのではと心配した。私は「そうかもしれない」と言って、そのまま寝室へ行き、ベッドに入った。
私はじっと仰向けになっていた。明かりを消していたが、なかなか寝付けなかった。別に眠かったわけではない。私は母が死んだ時のことをぼんやりと想い出していた。
あれは三年四ヶ月ほど前のことだ。夜、めずらしく父から電話がかかってきた。いつもはたいてい母からなのだが。父の声は小さく弱々しかった。私は胸騒ぎがした。
「あのなあ」
「うん」
「あのなあ。母さんがなあ…」
「母さんがどうしたの」
「母さんがなあ。母さんが、死んでしまったよ」
「えっ」
私は絶句した。
母は実家で夕食を終えた直後に、気分が悪いと言ってうずくまった。父の呼んだ救急車ですぐに病院へ搬送されたが、助からなかった。脳出血とのことであった。私は信じられなかった。あんなに朗らかで元気だった母がどうして。こんなにもあっけなく…。
私は妻と中学生のひとり息子をともない、小雨のなか自家用車で病院へ駆けつけた。霊安室は狭く薄暗かった。父は母の近くの椅子にうなだれ座っていた。すすり泣く声がかすかに聞こえた。私は寝ている母にゆっくり近づいてゆき、そっと顔当てを除けた。母の顔を見るや、涙が込み上げてきた。
「母さん」
私は声を震わせていた。母は穏やかに眠っているように見えた。私の声で目を覚ましてくれるのではないかと思えたほどであった。まだ母の死が信じられなかった。
「母さん、夕方まではいつもと変わらず元気そうだった。ただ、食欲がないと言ってなあ。食事にはほとんど手をつけなかった。体調が悪かったんだなあ。なのに、無理して食事の支度をして。父さん、気づいてあげられなかった」
父は声をつまらせながら言った。
「父さんは悪くないよ」
父はなにも言わず、俯いたままであった。よほどショックだったのだろう。あまりに突然のことだ。無理もあるまい。
そうしていると、まだ若そうな男性の医師が現れ、母に施した処置等について詳しく説明してくれた。私は放心状態だったせいか、ほとんど耳に入っていなかった。最善を尽くしてくれたようではあった。医師は説明を終えると、申し訳なさそうに、遺体を明朝までに引き払ってほしいと告げた。
「分かりました。ありがとうございました」
私がこう言い頭を下げると、医師は一礼し霊安室から出ていった。
私は母の遺体を自分の車に乗せ、いったん実家へ連れ帰ることにした。母も自分の家に帰りたがっていると思ったのだ。
実家は我が家と同じ市内にあった。車で二十分ほどの距離であったが、息子が大きくなるにつれ、あまり行き来しないようになっていた。
実家に着くと、私は母を抱きかかえ、布団に寝かせた。車に乗せる際は気づかなかったが、母の身体からは温もりが消えていた。この時はじめて、私は母の死を実感した。それでも布団に寝ている母の姿を見ているとまた、本当に今にも起き出しそうに思えてならなかった。私は涙を流していた。
しばらくすると妹が息を切らせやってきた。瞼を腫らしているのが分かった。そして母の姿を見るや、わっと泣き出した。
「お母さん、お母さん」
妹は寝ている母の胸に顔をうずめ、何度もそう叫んでいた。痛々しくて見ていられないほどであった。私は妹の細い肩を抱き寄せた。妹は私の胸のなかで肩を震わせ泣きつづけていた。
父はずっと母の枕元で正座し俯いていた。握りしめた拳を膝に置き、すすり泣いていた。その姿を見ていると、私は急に父の今後のことが心配になってきた。母が死んだばかりだというのにである。
父は実家でひとりきりになってしまう。家事などはしたことがない。すべて母に任せきりであった。最近は足腰がだいぶ弱ってきており、家の周りを杖に頼りながらゆっくり散歩するのがせいぜいである。そんな父をひとりで実家に住まわせておくことはできないと思った。
我が家に引き取るといっても、なにせ手狭である。父の部屋を用意できない。私たち夫婦の寝室か息子の部屋を宛てがうか。そんなことを言ったら、妻や息子が反対するだろう。私たち家族が実家へ引っ越したとしても、父と住むにはやはり窮屈だ。思い切って広い家に引っ越すといっても、資金がない。マンションのローンだってまだ残っている。たとえ広い家へ移り住んだところで、誰が父の面倒を見るというのか。妻も仕事を持っている。あまり負担をかけたくない。妹はすでに嫁いで家庭を持っている。父を引き取ることなどできようはずがない。老人ホームに入ってもらおうか。でも父は嫌がるだろう。私は思案にくれていた。
私は葬儀の間じゅう、そのことが頭から離れないでいた。母より先に父が逝くものとばかり思っていた。母なら当面、ひとりで暮らしてゆけると考えていたので、まったく準備を怠っていた。なぜ父を残して…。それを思うと、私は母の死を悲しんでばかりいられなくなっていた。
葬儀は実家からほど近い斎場を借りて行った。参列者はそう多くならない見込みであったが、それでもやはり実家では手狭なので、そうせざるをえなかった。あれほどうなだれていた父が、葬儀ではなんとか気丈に振る舞おうとしていた。その姿が不憫に感じられてならなかった。
火葬後の法要と精進落としを終え実家へ戻ると、父は「疲れた」と言って、そのまま茶の間の畳の上で、私たちに背を向け横になってしまった。心なしか肩が震えているようであった。梅雨寒のせいだろうか、それともまた悲しみが込み上げてきたのだろうか。心配になったが、ひとりにしてあげた方がよいと思い、間もなくして私たちは帰途についた。
自宅に着くや、疲れがどっと出てきた。着替えを済ませた私は、そのまま居間のソファーにどっかりと腰を下ろした。
ひと息ついていると、傍らに座っていた妻が言いにくそうに口を開いた。妻も同じことを考えていたのである。
「お義父さんのことだけれど、どうするつもりなの」
「うん」
「引き取るといってもね…」
「いろいろ考えたんだけど、それはできないと思っているんだ」
「じゃあ、どうするの」
「うん…」
壁掛け時計の秒針の音がやけに大きく耳に響いていた。私は腕を組み、思わず小さな溜息をついていた。
「老人ホームに入ってもらうしかないと思うのよ」
「うん。ただ、父さんが承諾するかどうか」
「そこはあなたが説得するしかないんじゃないの」
「うん…」
私はそう言ったきり黙ってしまった。妻は困ったような顔をしていたが、それ以上口にすることはなかった。
それからしばらくは、私と妻、それに妹が交代で実家へ行き、父の面倒を見ていた。しかしそれもすぐに限界にきてしまっていた。
私は仕方なく、老人ホームを探しはじめた。ほどなくしてよさそうなところが見つかった。我が家からそう遠くないので、ちょくちょく会いに行けるだろう。手続きを進める前に、まず父を説得しなければならなかった。私は実家へと向かった。
父はいつものように、すまなさそうに私を迎えてくれた。そんな父を見ていると、なかなか切り出せなかった。夕食後、そのまま茶の間でくつろいでいた時、ようやく私は口を開いた。
「父さん、言いづらいんだけど…」
その後の言葉が出てこなかった。そうしていると、父が促してくれた。
「遠慮することはない」
「うん。今、自分たちで父さんの世話をしているけど、皆、仕事や家庭を持っているし、このままずっとというのはなかなか難しいと思うんだ…」
私はまた口ごもってしまった。
「そうか。そうだなあ。皆に迷惑をかけて、本当にすまない」
「いや、迷惑だなんてことはないんだけど。ただ、難しいって思っているんだ」
「ああ。お前の言う通りだよ」
父は首を垂れていた。私はもうなにも言いたくなくなっていた。しかしこのまま帰るわけにはいかない。私は心を鬼にしてまた口を開いた。
「そこでなんだけど、父さんに老人ホームに入ってもらいたいんだ。老人ホームといっても、けっこう居心地がいいみたいなんだ。実は先日、よさそうなところを見つけてきたんだ。そこならきっと、父さんも気に入ってくれると思うんだ」
「そうか。いろいろと面倒をかけるな」
「いや、そんなことないよ…」
そう言った後、私はまた黙ってしまった。父を見ていられず、目を伏せていた。
「父さん、すまない」
気がつくと私は、父に頭を下げていた。
「謝ることなんかない。その方が父さんも気が楽だ。いろいろとありがとうな」
父はそう言って微笑んでくれたが、どこか淋しそうでもあった。
老人ホームの費用は実家を売却して得る資金で賄うことにした。妻と妹も賛成してくれた。実家はもうだいぶ古くなり、所々ガタがきていたので、高値では売れないだろうが、老人ホームの費用ぐらいは賄える見込みであった。
そのことを伝えると、父は「そうか」とだけ言って、横を向いてしまった。横顔が悲しげであった。それもそうだろう。父が働き盛りの頃に無理をして買い、家族皆でずっと暮らしてきた家である。想い出がつまっている。
翌日、私は老人ホームへ行き、申込書等を提出した。建物は小ぢんまりしていたが、比較的新しく綺麗であった。スタッフは皆、明るく親切そうであった。
いよいよ入居日がやってきた。昼過ぎに、私たちは実家から父を車に乗せ、老人ホームへ向かった。
到着すると、スタッフが次々と現れ、私たちを笑顔で出迎えてくれた。父は思いのほか愛想よく振る舞っていた。
父の部屋は二階にあった。狭く飾り気はないが、南向きの明るい個室であった。窓からは陽が燦々と降り注いでいた。
妻と妹が持参したものをクローゼットに収納している間、父と私はずっと窓から外をぼんやり眺めていた。周りは木々に囲まれ、見晴らしはあまりよくないが、空が広く感じられた。
どれくらい経っただろうか。ふと振り返ると、ちょうど収納を終えようとしているところであった。
「父さん、そろそろ終わるみたいだよ。足りないものがあったら、遠慮なく連絡して。すぐに持ってくるから」
「ああ。いろいろと気をつかってくれて、すまないなあ」
「いや、それくらい当然だよ」
「こんないいところに、ありがとうなあ」
父は笑顔でそう言ってくれた。私はなにも答えられずにいた。すると妹が歩み寄ってきて、茶目っ気たっぷりに口を開いた。
「お父さん、なかなかよさそうなところね。スタッフの方々も皆、やさしそうだし。お父さん、紳士だから、きっと皆からもてるわよ」
父は照れたように笑っていた。父の笑い声を久しぶりに聞いたような気がした。私たちは父のその姿を見ると安心し、間もなくして帰途についた。
帰りの車のなかで妻はすすり泣いていた。どうしたのかと私は尋ねた。
「お義父さんがかわいそうに思えてきたのよ。あんなに私たちに気をつかってくれて」
「ああ。あれはやっぱり、つくり笑いだったのかなあ」
「ええ、そう思うわ」
妻は涙をハンカチで拭っていた。父への罪悪感のようなものが込み上げてきたのだろうか。父には伝えていなかったが、老人ホームに入ってもらおうと、妻はさいさん私に強く迫っていた。もちろん最終的に決めたのは私である。妻を責める気など毛頭なかった。
思えば、義父が死んだ時、私は悲しむ一方で、ほっとしてもいた。すでに寝たきりの状態になっており、義母が面倒を見ていた。妻はひとりっ子であった。逝くのが逆になっていたら、私たちが残された義父の世話をしなければならなかった。とはいえ、義母もいつどうなるか…。それを思うと、私はまた憂鬱になっていた。二人とも私のことを気に入り、よくしてくれていたというのに。私は自分が醜悪な人間に思えてならなかった。
渋滞にはまっているうちに、家々の明かりがぽつぽつと灯りはじめていた。私は車のアクセルをいつもより強く踏み込んでいた。
老人ホームに入ってからしばらくの間は毎週のように、私たちは家族連れ立って父に会いに行っていた。しかし月日が経つにつれ、その間隔があいていった。最近はひと月半に一度ぐらいしか顔を出さなくなっていた。妻も息子も私とあまり一緒に行こうとしなくなっている。それなら私がひとりで行けばよいのだが、なかなか足が向かない。そんなに遠いわけでもないのに…。妹もあまり行っていないようであった。まだ小さい子供たちの世話で忙しいのだろう。
時は絶え間なく流れている。皆、自分たちの生活がある。今を生きるのに必死なのだ。立ち止まってはいられない。私はそう己に言い聞かせ、後ろめたい気持ちを振り払おうとしていた。
中層マンションの四階にある自宅にたどり着くと、ひと呼吸おいてから静かに玄関の扉を開けた。その音で気づいたのだろうか。妻が走り寄ってきて、やさしく出迎えてくれた。
「おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
「すぐ食事にする」
「ああ…」
私は気分が沈んだままであった。食事を出されても、箸が進まなかった。半分以上残してしまった。
「どうしたの…」
妻は身体の具合が悪いのではと心配した。私は「そうかもしれない」と言って、そのまま寝室へ行き、ベッドに入った。
私はじっと仰向けになっていた。明かりを消していたが、なかなか寝付けなかった。別に眠かったわけではない。私は母が死んだ時のことをぼんやりと想い出していた。
あれは三年四ヶ月ほど前のことだ。夜、めずらしく父から電話がかかってきた。いつもはたいてい母からなのだが。父の声は小さく弱々しかった。私は胸騒ぎがした。
「あのなあ」
「うん」
「あのなあ。母さんがなあ…」
「母さんがどうしたの」
「母さんがなあ。母さんが、死んでしまったよ」
「えっ」
私は絶句した。
母は実家で夕食を終えた直後に、気分が悪いと言ってうずくまった。父の呼んだ救急車ですぐに病院へ搬送されたが、助からなかった。脳出血とのことであった。私は信じられなかった。あんなに朗らかで元気だった母がどうして。こんなにもあっけなく…。
私は妻と中学生のひとり息子をともない、小雨のなか自家用車で病院へ駆けつけた。霊安室は狭く薄暗かった。父は母の近くの椅子にうなだれ座っていた。すすり泣く声がかすかに聞こえた。私は寝ている母にゆっくり近づいてゆき、そっと顔当てを除けた。母の顔を見るや、涙が込み上げてきた。
「母さん」
私は声を震わせていた。母は穏やかに眠っているように見えた。私の声で目を覚ましてくれるのではないかと思えたほどであった。まだ母の死が信じられなかった。
「母さん、夕方まではいつもと変わらず元気そうだった。ただ、食欲がないと言ってなあ。食事にはほとんど手をつけなかった。体調が悪かったんだなあ。なのに、無理して食事の支度をして。父さん、気づいてあげられなかった」
父は声をつまらせながら言った。
「父さんは悪くないよ」
父はなにも言わず、俯いたままであった。よほどショックだったのだろう。あまりに突然のことだ。無理もあるまい。
そうしていると、まだ若そうな男性の医師が現れ、母に施した処置等について詳しく説明してくれた。私は放心状態だったせいか、ほとんど耳に入っていなかった。最善を尽くしてくれたようではあった。医師は説明を終えると、申し訳なさそうに、遺体を明朝までに引き払ってほしいと告げた。
「分かりました。ありがとうございました」
私がこう言い頭を下げると、医師は一礼し霊安室から出ていった。
私は母の遺体を自分の車に乗せ、いったん実家へ連れ帰ることにした。母も自分の家に帰りたがっていると思ったのだ。
実家は我が家と同じ市内にあった。車で二十分ほどの距離であったが、息子が大きくなるにつれ、あまり行き来しないようになっていた。
実家に着くと、私は母を抱きかかえ、布団に寝かせた。車に乗せる際は気づかなかったが、母の身体からは温もりが消えていた。この時はじめて、私は母の死を実感した。それでも布団に寝ている母の姿を見ているとまた、本当に今にも起き出しそうに思えてならなかった。私は涙を流していた。
しばらくすると妹が息を切らせやってきた。瞼を腫らしているのが分かった。そして母の姿を見るや、わっと泣き出した。
「お母さん、お母さん」
妹は寝ている母の胸に顔をうずめ、何度もそう叫んでいた。痛々しくて見ていられないほどであった。私は妹の細い肩を抱き寄せた。妹は私の胸のなかで肩を震わせ泣きつづけていた。
父はずっと母の枕元で正座し俯いていた。握りしめた拳を膝に置き、すすり泣いていた。その姿を見ていると、私は急に父の今後のことが心配になってきた。母が死んだばかりだというのにである。
父は実家でひとりきりになってしまう。家事などはしたことがない。すべて母に任せきりであった。最近は足腰がだいぶ弱ってきており、家の周りを杖に頼りながらゆっくり散歩するのがせいぜいである。そんな父をひとりで実家に住まわせておくことはできないと思った。
我が家に引き取るといっても、なにせ手狭である。父の部屋を用意できない。私たち夫婦の寝室か息子の部屋を宛てがうか。そんなことを言ったら、妻や息子が反対するだろう。私たち家族が実家へ引っ越したとしても、父と住むにはやはり窮屈だ。思い切って広い家に引っ越すといっても、資金がない。マンションのローンだってまだ残っている。たとえ広い家へ移り住んだところで、誰が父の面倒を見るというのか。妻も仕事を持っている。あまり負担をかけたくない。妹はすでに嫁いで家庭を持っている。父を引き取ることなどできようはずがない。老人ホームに入ってもらおうか。でも父は嫌がるだろう。私は思案にくれていた。
私は葬儀の間じゅう、そのことが頭から離れないでいた。母より先に父が逝くものとばかり思っていた。母なら当面、ひとりで暮らしてゆけると考えていたので、まったく準備を怠っていた。なぜ父を残して…。それを思うと、私は母の死を悲しんでばかりいられなくなっていた。
葬儀は実家からほど近い斎場を借りて行った。参列者はそう多くならない見込みであったが、それでもやはり実家では手狭なので、そうせざるをえなかった。あれほどうなだれていた父が、葬儀ではなんとか気丈に振る舞おうとしていた。その姿が不憫に感じられてならなかった。
火葬後の法要と精進落としを終え実家へ戻ると、父は「疲れた」と言って、そのまま茶の間の畳の上で、私たちに背を向け横になってしまった。心なしか肩が震えているようであった。梅雨寒のせいだろうか、それともまた悲しみが込み上げてきたのだろうか。心配になったが、ひとりにしてあげた方がよいと思い、間もなくして私たちは帰途についた。
自宅に着くや、疲れがどっと出てきた。着替えを済ませた私は、そのまま居間のソファーにどっかりと腰を下ろした。
ひと息ついていると、傍らに座っていた妻が言いにくそうに口を開いた。妻も同じことを考えていたのである。
「お義父さんのことだけれど、どうするつもりなの」
「うん」
「引き取るといってもね…」
「いろいろ考えたんだけど、それはできないと思っているんだ」
「じゃあ、どうするの」
「うん…」
壁掛け時計の秒針の音がやけに大きく耳に響いていた。私は腕を組み、思わず小さな溜息をついていた。
「老人ホームに入ってもらうしかないと思うのよ」
「うん。ただ、父さんが承諾するかどうか」
「そこはあなたが説得するしかないんじゃないの」
「うん…」
私はそう言ったきり黙ってしまった。妻は困ったような顔をしていたが、それ以上口にすることはなかった。
それからしばらくは、私と妻、それに妹が交代で実家へ行き、父の面倒を見ていた。しかしそれもすぐに限界にきてしまっていた。
私は仕方なく、老人ホームを探しはじめた。ほどなくしてよさそうなところが見つかった。我が家からそう遠くないので、ちょくちょく会いに行けるだろう。手続きを進める前に、まず父を説得しなければならなかった。私は実家へと向かった。
父はいつものように、すまなさそうに私を迎えてくれた。そんな父を見ていると、なかなか切り出せなかった。夕食後、そのまま茶の間でくつろいでいた時、ようやく私は口を開いた。
「父さん、言いづらいんだけど…」
その後の言葉が出てこなかった。そうしていると、父が促してくれた。
「遠慮することはない」
「うん。今、自分たちで父さんの世話をしているけど、皆、仕事や家庭を持っているし、このままずっとというのはなかなか難しいと思うんだ…」
私はまた口ごもってしまった。
「そうか。そうだなあ。皆に迷惑をかけて、本当にすまない」
「いや、迷惑だなんてことはないんだけど。ただ、難しいって思っているんだ」
「ああ。お前の言う通りだよ」
父は首を垂れていた。私はもうなにも言いたくなくなっていた。しかしこのまま帰るわけにはいかない。私は心を鬼にしてまた口を開いた。
「そこでなんだけど、父さんに老人ホームに入ってもらいたいんだ。老人ホームといっても、けっこう居心地がいいみたいなんだ。実は先日、よさそうなところを見つけてきたんだ。そこならきっと、父さんも気に入ってくれると思うんだ」
「そうか。いろいろと面倒をかけるな」
「いや、そんなことないよ…」
そう言った後、私はまた黙ってしまった。父を見ていられず、目を伏せていた。
「父さん、すまない」
気がつくと私は、父に頭を下げていた。
「謝ることなんかない。その方が父さんも気が楽だ。いろいろとありがとうな」
父はそう言って微笑んでくれたが、どこか淋しそうでもあった。
老人ホームの費用は実家を売却して得る資金で賄うことにした。妻と妹も賛成してくれた。実家はもうだいぶ古くなり、所々ガタがきていたので、高値では売れないだろうが、老人ホームの費用ぐらいは賄える見込みであった。
そのことを伝えると、父は「そうか」とだけ言って、横を向いてしまった。横顔が悲しげであった。それもそうだろう。父が働き盛りの頃に無理をして買い、家族皆でずっと暮らしてきた家である。想い出がつまっている。
翌日、私は老人ホームへ行き、申込書等を提出した。建物は小ぢんまりしていたが、比較的新しく綺麗であった。スタッフは皆、明るく親切そうであった。
いよいよ入居日がやってきた。昼過ぎに、私たちは実家から父を車に乗せ、老人ホームへ向かった。
到着すると、スタッフが次々と現れ、私たちを笑顔で出迎えてくれた。父は思いのほか愛想よく振る舞っていた。
父の部屋は二階にあった。狭く飾り気はないが、南向きの明るい個室であった。窓からは陽が燦々と降り注いでいた。
妻と妹が持参したものをクローゼットに収納している間、父と私はずっと窓から外をぼんやり眺めていた。周りは木々に囲まれ、見晴らしはあまりよくないが、空が広く感じられた。
どれくらい経っただろうか。ふと振り返ると、ちょうど収納を終えようとしているところであった。
「父さん、そろそろ終わるみたいだよ。足りないものがあったら、遠慮なく連絡して。すぐに持ってくるから」
「ああ。いろいろと気をつかってくれて、すまないなあ」
「いや、それくらい当然だよ」
「こんないいところに、ありがとうなあ」
父は笑顔でそう言ってくれた。私はなにも答えられずにいた。すると妹が歩み寄ってきて、茶目っ気たっぷりに口を開いた。
「お父さん、なかなかよさそうなところね。スタッフの方々も皆、やさしそうだし。お父さん、紳士だから、きっと皆からもてるわよ」
父は照れたように笑っていた。父の笑い声を久しぶりに聞いたような気がした。私たちは父のその姿を見ると安心し、間もなくして帰途についた。
帰りの車のなかで妻はすすり泣いていた。どうしたのかと私は尋ねた。
「お義父さんがかわいそうに思えてきたのよ。あんなに私たちに気をつかってくれて」
「ああ。あれはやっぱり、つくり笑いだったのかなあ」
「ええ、そう思うわ」
妻は涙をハンカチで拭っていた。父への罪悪感のようなものが込み上げてきたのだろうか。父には伝えていなかったが、老人ホームに入ってもらおうと、妻はさいさん私に強く迫っていた。もちろん最終的に決めたのは私である。妻を責める気など毛頭なかった。
思えば、義父が死んだ時、私は悲しむ一方で、ほっとしてもいた。すでに寝たきりの状態になっており、義母が面倒を見ていた。妻はひとりっ子であった。逝くのが逆になっていたら、私たちが残された義父の世話をしなければならなかった。とはいえ、義母もいつどうなるか…。それを思うと、私はまた憂鬱になっていた。二人とも私のことを気に入り、よくしてくれていたというのに。私は自分が醜悪な人間に思えてならなかった。
渋滞にはまっているうちに、家々の明かりがぽつぽつと灯りはじめていた。私は車のアクセルをいつもより強く踏み込んでいた。
老人ホームに入ってからしばらくの間は毎週のように、私たちは家族連れ立って父に会いに行っていた。しかし月日が経つにつれ、その間隔があいていった。最近はひと月半に一度ぐらいしか顔を出さなくなっていた。妻も息子も私とあまり一緒に行こうとしなくなっている。それなら私がひとりで行けばよいのだが、なかなか足が向かない。そんなに遠いわけでもないのに…。妹もあまり行っていないようであった。まだ小さい子供たちの世話で忙しいのだろう。
時は絶え間なく流れている。皆、自分たちの生活がある。今を生きるのに必死なのだ。立ち止まってはいられない。私はそう己に言い聞かせ、後ろめたい気持ちを振り払おうとしていた。