文字数 4,049文字

 告別式は斎場を借りて行うことにした。すでに実家はなく、我が家も手狭なので、そうせざるをえなかった。葬儀業者は浜口さんの勤めている会社に依頼することにした。電話をかけると、一時間ほどして浜口さんが老人ホームにやってきた。
 「この度は心よりお悔やみ申し上げます」
 「ありがとうございます。浜口さんに担当してもらえて本当によかったです」
 「そうおっしゃっていただけると。私でお役に立てるのでしたら」
 「こんなにも早く、こんな形でまたお会いすることになるとは思いませんでしたが」
 「ええ、恐縮です」
 浜口さんは申し訳なさそうに下を向いてしまった。私は余計なことを言ったと、咄嗟に後悔した。
 浜口さんと相談し、通夜と葬儀は省くことにした。また告別式はなるべく簡素に、私の家族と妹の家族のみでとり行うことにした。父にはひとり兄がいたが、随分前に亡くなっており、他の親戚とは皆、疎遠になっていた。すべて把握していたわけではないが、そう多くない父の知人もすでに他界していたり、付き合いがなくなっていた。便りが絶え、存命かさえ分からなくなっている方もいた。なので、親戚、知人は誰も呼ばないことにした。菩提寺の住職には火葬場での炉前読経のみ依頼することにした。浜口さんも構わないと言ってくれた。
 「ご遺族皆様の心がこもっていらっしゃるのでしたら、それで宜しいかと。ことさら大がかりに行うこともないように思っております」
 「なにかと無理を聞いてくださり、ありがとうございます」
 「いいえ…。それから、告別式の際に祭壇に飾るご遺影を、宜しければ私どもで用意いたしますので、ご尊父様の生前のお写真を一枚、貸していただけますでしょうか」
 「あっ、はい、分かりました。探しておきます」
 それからしばらくして、浜口さんは父の遺体をワゴン車に乗せ、斎場へと向かった。私の車もその後について行った。水越さんが老人ホームの門の外へ出て、私たちの車が見えなくなるまでずっと見送ってくれていた。吹きすさぶ北風が、色づきはじめた木の葉を揺らしていた。
 斎場に到着すると、喪服姿の係員が外で待っていた。そして浜口さんと一緒に父の遺体を恭しく運び入れてくれた。
 祭壇はすでに花々で飾られていた。傍らには走馬灯が置かれ、淡い紺青の光をほのかに放っていた。
 間もなくして私は妻と息子を残し、いったん自宅へ戻ることにした。外へ出ると、雨がぽつぽつ降りはじめていた。
 私は自宅に着くや、押入れチェストから昔のアルバムを取り出した。父の写真は思いのほか少なかった。家族四人揃っての写真は花園海岸へ行った時のものが最後であった。散策をしていた初老の男性に撮ってもらったものだ。早春の柔らかい陽射しのなかで、きらめく海を背に、皆うれしそうに微笑んでいる。
 あれが家族揃っての最後の旅行となってしまった。以降、私が両親と遊びに出かけるのを嫌がるようになったからでもある。
 両親を嫌っていたのではない。ただ、親と一緒に出歩くのが恥ずかしかった。友達に見られでもしたら、親離れしていないと冷やかされる気がした。それに、親より友達と遊びに行く方が楽しくなってきていた。その年頃の子供はそういうものだろう。
 私はこの家族揃っての写真を涙ながらに見つめていた。若すぎる気もしたが、遺影にするのはこれしかないように思えてきた。浜口さんにはこの写真を渡すことにした。
 私はアルバムから抜き出した写真を手にし、すぐに斎場へ引き返した。雨が叩きつけるように車のフロントガラスに降り落ち、視界を悪くしていた。
 ようやく斎場に戻るや、私は受付の近くにいた浜口さんを見つけ、照れくさそうに写真を手渡した。
 「素敵なお写真ですね」
 浜口さんは表情を和ませそう言ってくれた。
 「随分と昔のものですが」
 「気にされることはないと思います。それでは、このご尊父様のお顔のところだけ引き伸ばし、ご遺影にいたします」
 「宜しくお願いします」
 浜口さんとのやり取りを終えるとすぐに、妹が涙を浮かべながら私のもとへ歩み寄ってきた。
 「お兄さん」
 妹は私たちと行き違いで老人ホームに着いたとのことである。妹には知らせずに出てしまっていたのだ。
 「すまなかった。発つ前に連絡すればよかったのに。気が回らなかったんだ」
 「いいのよ。こんな時だから、気にしないで」
 「ああ、ありがとう」
 「お父さんの部屋に入ったら、テーブルの上にこんな古いノートが置いてあったわよ」
 妹はそう言って、自分の手提げ袋からノートを三冊取り出し、私に手渡してくれた。どれも父のもののようであった。ノートの表紙には私ら子供たちの名前がそれぞれ父の字で記されていた。
 「これ、お兄さんが置いておいたの」
 「いや、私じゃない。テーブルになにが置かれていたか、気に留める余裕もなかった。このノートもはじめて見るものだよ」
 「ええ、私もよ」
 気になって、私の名前が記されているノートを開いてみた。そこには私が誕生してから成長してゆくなかでの記録が綴られていた。私が生まれた時の喜びようが手に取るように伝わってきた。幼い頃、私は病弱であった。発熱し苦しんでいる私を見て、心配で矢も楯もたまらない様子も綴られていた。時には親馬鹿とも思えるくらいに、私の成長をうれしがる記述もあった。
 私が大きくなるにつれ記述の頻度は減っていた。丈夫にもなり、だんだんと安心できるようになっていったのだろう。最後の記述は私が中学校へ入学した日であった。父は入学式には来なかったが、ノートにはその喜びが綴られていた。

 四月五日 晴
 三月二十一日小学校を卒業し、今日中学校の入学式である。
 最近、急に身長が伸びて母親より高くなった。また昨年の夏あたりから声変りをして幼い頃の可愛い声が聞かれなくなったのは淋しい。が物分りは増々良くなり、そしていつも明るく賑やかである。しかし夜のトイレと動物に弱いのが不思議である。
 怪我などしないように気を付けよ。逞しく、大きく育て。でっかい未知の世界が待っているぞ。

 私は目頭が熱くなっていた。父は子供の勉強や将来のことについてはほとんど口を出さなかった。「自分の好きなように生きればいい。一度かぎりの人生だ。立派な人生を送っておくれ」。父は何度か私にこう告げたことがある。父が言う立派とは社会的地位のことではない。生きざまとして立派であることを言っていたのだ。不覚にも私は、父のこの言葉を長らく忘れていた。
 妹のノートも私のものと同じく、生まれてから育ってゆくなかでの喜びや心配ごとが綴られていた。おとなしく気弱な性格の妹を案じる心情が手に取るように伝わってきた。記述は私のものと同様、中学校へ入学した日で終わっていた。もう子供ではないと思ったのかもしれない。
 兄のノートも誕生した日付からはじまっていた。うれしさのあまり、字が躍っていた。はじめての子だ。無理もあるまい。成長過程での些細な出来事に歓喜したり心を痛めている様子も綴られていた。
 兄が亡くなった日付での記述もあった。「死亡。午後六時十五分」とだけ書かれていた。ページを捲ると、同じ日付での記述がまたあった。そこからは子供を死なせてしまった悲しみが痛いほど伝わってきた。「だけどな太朗、お前が生まれた時一番喜んだのはお父ちゃんじゃなかったろうか」との一文もあった。
 それからも父は記述をつづけていた。兄の想い出や自責の念などが綴られていた。父の悲しみは癒えることがなかったのだ。家族皆で花園海岸へ行った日付での記述もあった。最後の記述は十五年目の命日であった。死なせなければこの春には高校生になっていたのにと、無念と後悔の想いが綴られていた。
 読み終えた私は、ノートを抱きしめていた。そしておもむろに父の柩へと近づいていった。父は最期、このノートを読み返していたのだろうか。もしかしたら死期を悟っていたのだろうか…。私はそんな父をひとりきりにしておいて、そのまま逝かせてしまったのだ。なんということだ…。
 私はなにも言わず、ただ肩を震わせながら涙を流していた。そうしていると、浜口さんが私にそっと歩み寄り、やさしく言葉をかけてくれた。
 「僭越ではございますが、宜しかったら、お父様へお手紙を書かれ、柩に入れられてはいかがでしょうか」
 「はい。ぜひそうします」
 私は振り向き、浜口さんに頭を下げた。浜口さんは便箋と万年筆を私にそっと差し出してくれた。
 私はしばらく考え込んでいた。父への想いが溢れてきて、うまくまとめられないでいた。結局こんな簡素な文面になってしまった。

 永遠なる父へ
 お父さん、ありがとう
 逞しく大きく生きる、
 立派な人生を全うすることを誓う
              光雄

 短いが、このなかに万感の想いを込めたつもりである。父なら理解してくれるだろうと思った。妹、そして妻と息子もそれぞれ手紙を書いていた。
 翌日の告別式の際、皆すすり泣きながら手紙を柩に入れていた。父への想いがつまっていたのだろう。
 告別式を終えるや、いよいよ出棺となった。私たちは父の柩を霊柩車に乗せ、火葬場へと向かった。朝は時折日が差していたというのに、出棺する十時過ぎになって、激しい雨が降りだしてきた。きっと涙雨だったのだろう。
 火葬炉から出てきた父の姿は見るに忍びなかった。私たちは涙ながらに収骨を終えた。そして高齢を押して最後まで立ち会ってくれた住職を見送ると、そのまま私たちも火葬場を後にしようとしていた。
 雨はまだ降りつづいていた。父の遺骨を抱いた私は別れ際、浜口さんに感謝の言葉を伝えた。
 「ありがとうございました。お陰様で、私どもの心のこもった告別式を行うことができました」
 浜口さんは深々と頭を下げた。私はその姿に心を打たれた。もっとその気持ちを伝えたかったが、言葉にすることができなかった。浜口さんならきっと私の気持ちを分かってくれているだろうとも思った。
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