第1話

文字数 1,279文字

 山形県庄内にある当院は、僻地(へきち)・離島研修または地域研修として卒後2年目の初期研修医を2カ月交代で受け入れています。東北の田舎、僻地の医療に実際に(たずさ)わることによって、都会とは違う僻地医療の現状を理解するのが目的です。その中で特に訪問診療は地域の中に研修医が飛び込むので研修医が受ける印象も強烈です。
 関西の病院から来た研修医が語ってくれました。
 庄内には土地はたくさんあるため、屋敷のような大きな家が多いです。しかしその日、往診に行った大きな家屋敷も、人気(ひとけ)が全くありませんでした。看護師は勝手知ったる玄関を開けると、声も掛けずにどんどんと家の中を進んで行きます。
 すると奥の八畳間のベッドにお爺さんが寝かされていました。看護師は慣れた手つきで寝巻(ねまき)をはだけさせ、さっさと血圧、脈拍、体温を計測し始めました。
 その時です、猫が一匹、廊下から部屋に入って来ました。しばらくしてコツコツと音がしたと思ったら、今度は腰が90度曲がった小さなお婆さんが杖を突いて部屋に入って来ました。そしてお婆さんは、お爺さんのはだけた寝巻の間から胃瘻(いろう)*の管を引っ張り出すと、注入器で栄養剤を注入し始めました。(胃瘻(いろう)=手術または内視鏡で腹部に小さな穴を開け、チューブを通し、直接胃に栄養を注入する医療措置のこと)
 聞くと、お婆さんひとりではお爺さんの寝巻をはだけさすことができないため、人手のある時にこうやって栄養剤を注入しているとのこと。体位交換などとんでもなく、何とお爺さんの頭皮には褥瘡(じょくそう)ができていました。お婆さんひとりでは、お爺さんの頭の位置すら変えられないのです。枕には褥瘡(じょくそう)からの浸出液が染みついていました。医師として何をしたらいいのか?しばらくは手も動きませんでした。
 こんな状況を驚きながら話す研修医の表情を、自分は今も忘れることができません。
 高齢化率23%の東京にある中央官庁が考える高齢者医療と、高齢化率35%の庄内地方の高齢者医療には、研修医が驚愕するほどのギャップがあるのです。
 この研修医は関西の病院でも訪問診療の経験があり、その時訪問した家にはお手伝いさんがいて、患者さんは4~5人の家族に囲まれていたそうです。当院の僻地の訪問診療を体験して、この研修医は「国の進める在宅診療は、経済的にも環境的にも余裕のある裕福な人たちのための医療ではないのか?」と疑問すら投げかけていました。
 僻地研修の医療現場で感じ取った一人の若い研修医の繊細な感性は、どうやったら国に届くのでしょうか…? ふ~。

 さて写真は2014年11月30日に撮影した庄内柿です。忍び寄る冬を前に晩秋の冷たい風が吹く頃、「雪が降ってしまえば仕方がない、冬だと開き直れるが、うすら寒いこの時期が一番嫌だ」と地元の人は言います。

 たわわに実った庄内柿は豊かな庄内の自然を感じさせますが、収穫されないで野ざらしにされている所に逆に人気(ひとけ)のなさを感じます。

 老々介護のお婆さんは、横たわるお爺さんを看て、晩秋の寒空(さむぞら)の下、猫と何を思うのでしょう?
 んだ。
(2018年5月)*(2021年12月 一部筆を加えた)
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