第3話

文字数 3,388文字

 疑問は尽きないが、僕らを襲った男は死んだわけだし、怖がっていても仕方がない。当面の間は普段通り過ごそうということになった。
 警察に相談しようかと言う話も上がったのだが、自殺した男に殺されました。でも傷は全治して生きてます、などと話したところで門前払いを食らうのが関の山だろう。
 翌日。数日ぶりに大学に行った。なんだか久しぶりのように思える。この数日間で、僕と言う人間が180度変わってしまったかのような錯覚。僕はここにいいのだろうかと挙動不審になってしまう。講義室でビクビクしていると、琢磨の姿を見つけた。
 琢磨も僕の姿に気が付いたようで、軽く手を上げた。
 「はよ」
 「うい」
 「なんか久々だね」
 「そうかあ?」
 琢磨は机に突っ伏すように体を預けていた。気だるそうな仕草だ。
僕は講義の準備をしながら、琢磨と雑談を交わした。無味無臭の会話。意味なんてない。けれど、そんな意味のない会話をしようと思える、数少ない人物が拓哉だった。
 琢磨を初めて知ったのは、大学入学当初、教室内の生徒の表情にまだ緊張感が残っていた時のことだった。勿論僕も例に洩れず緊張していた。新しい土地。一人暮らし。高校とは違うカリキュラム。見知らぬ同級生。緊張するなと言う方が無理だろう。
 友達なんておらず、一人講義室の隅の方でビクビクしていた時、琢磨は寝ていた。それはもう清々しいほどに。
その時期の講義室に、そんな人間、琢磨のほかにいるはずがなかった。結果、琢磨は好ましくない意味で注目を浴びるようになった。しかし琢磨はそんなこと気にしていなかった。僕はそんな琢磨の姿に惹かれるものを感じた。
 僕と琢磨が知り合ったのは、英語のクラスが偶々一緒だったからだ。僕の大学では英語のクラスが学力順で決まる。入学前にオンラインで試験を受けなければならないのだが、僕はそれをすっかり忘れていて、一番下のクラスになった。そこに琢磨がいた。
 やる気はないけれど勉強はできる人も世の中に入るようだが、琢磨はやる気がなく、そして勉強もできないようで、特に英語に関しては驚くべき程に壊滅的だった。
 「英語なんて話せなくたっていいだろ。ここ日本だぞ」
 というのが琢磨の言い訳だった。
 「そういえば昨日」
 「ん?」
 「昨日大学に来たけど、お前いなかったな」
 痛いところを突かれたかのように、心臓がビクンと大きく跳ねた。琢磨にそんな意図はないはずなのに、冷や汗が伝ってくる。
 「風邪ひいててね」
 「へえ」
 僕の内心とは裏腹に、琢磨は興味なさそうだった。ただ、僕の額の方にチラリと視線を向け、しかしすぐに視線を逸らし、眠たそうに眺め始めた。若干の違和感を覚えたものの、まあ、分かるわけないよな、と僕は一息ついた。
 「琢磨、昨日も大学来てたんだね」
 「ああ」
 「珍しい」
 琢磨は平然と大学を休むような生徒だった。その理由は基本、起きれなかったというものだ。実際あの時も寝ていたわけだし、絵にかいたような自堕落大学生といった感じなのだろう。
 一方で僕はあまり講義を休まない。興味はないし休みたいが、しかし朝起きれば全自動的に体が大学に行く支度をしている。そして気が付いた時には講義を受けている。そう言う性分だった。
 琢磨と僕は確かに友達だが、しかし拓哉は講義をサボってどこかに行こうと、僕を誘うことなんてなかったし、休日どこかに遊びに行ったこともなかった。僕は琢磨の家族構成とか、実家はどこなのかとか、そういう基本的な事すら知らなかった。それは琢磨も同じで、琢磨も僕のことなんて、あまり知らないだろう。不思議な距離感の友達だった。
 だから今回、僕が講義を休んだことに対して、どうしたんだろうと思いこそすれ、その日に連絡を入れるようなことはしなかったし、今こうして風邪をひいていたという僕の話を聞いて、そういうもんかと受け入れることだろう。
 僕自身、琢磨は友達だから本当のことを話しておいた方がいいかもしれない、とは思わない。逆に、友達だからこそ迷惑をかけたくないとも、思わない。単に知られたくないから嘘をついた。
 ただこの関係性を、その程度のものだと断じようとも思えない。
 やはり、不思議な距離感だ。
 講義が終わり、僕はもう大学に用はなかった。琢磨も同じようだったので、二人で帰路についた。琢磨は電車で来ているので、僕は自転車を押しながら駅に向かった。
 二人並んで歩道を歩く。琢磨はさっきまで受けていた講義の教授の悪口を口早に並べた。それが面白くて我を忘れていると、琢磨が急に表情を引き締めた。
 「あぶねえぞ」
 突然、琢磨が僕の体を引っ張った。どうしたんだろうと後ろを向くと、自転車が物凄い勢いで僕の隣を通り過ぎた。どうやら話に夢中になるあまり、自転車が来ていることに気が付いていなかったようだった。
 琢磨はにらみを利かせながら、小さくなっていく自転車を見つめていた。
 「ごめんごめん」
 「ああ、別にいいよ」
 琢磨は頭をかいた。
 琢磨はぶっきらぼうで雑なところがあるが、優しい奴だ。身長も高くガタイもいい。いざという時には頼りになりそうな外見をしている。意外と世話焼きなところもあるし、普通にしていれば女性からの人気を得そうなものだが、琢磨からそういう話を聞いたことはなかった。まあ、それは、単に僕らがそう言う話をしないというだけのことなのだろうが。
 それから僕は琢磨を駅にまで送った。
 「わりいな」
 「全然。どうせ帰り道だし」
 お互い手を振って、僕らは別れた。踵を返し、自転車にまたがる。
 マンションに帰ると、サチがいた。
 「まだ帰ってなかったんだ」
 サチは今日一日が全休だったのだ。僕がいない間に勝手に帰っていると思っていたのだが、サチは床に布団を敷いて、そこにくつろいでいた。テレビから動画を流しながら、お菓子の袋を開けている。
 「おかえりー」
 と僕に手を振るサチの姿は、完全に家主そのものだった。僕は思わずクスッ笑みがこぼれた。
 「大学はどうだった?」
 「なんか久しぶりな感じがしたよ」
 「そうじゃなくてえ」
 「ん?」
 「なぎさの体調のことだよ。変わったことなかった?」
 「んー、別に」
 「そっかそっか」
 そう言って微笑むサチ。勝手にお菓子を開けられ、布団を敷いて家主が如くくつろがれても、その表情一つで僕の溜飲が下がっていく。
 「サチは、変わりなかった?」
 「うん。元気元気」
 薄い胸を張るサチ。まあ、元気なんだろうなと言うことは一目見れば分かる。
 「不思議だね、あんなことがあったのに」
 サチが自分のお腹をさすった。それは、あの男に貫かれた(はずというべきなのだろうか)ところだった。
 「なぎさの顔も見れたことだし、私は帰ろっかな」
 立ち上がり、サチは布団を片付け始めた。
 「帰るの?せっかくだし、ご飯食べて行けばいいのに」
 「んー、いいや。課題あるの忘れちゃっててさ」
 たははといった具合に苦笑いをするサチ。その姿にどこか違和感を覚えながらも、僕も片づけを手伝った。
 勝手に開けられたお菓子の袋に手を伸ばすと、中身が全く減っていないことに気が付いた。珍しい話だ。いつものサチなら絶対全部食べるはずだし、この部屋にはサチの好きなお菓子しか置いていないのに。
 思わずサチの顔を見ると、サチは「ごめんね。映画見てたから、お菓子欲しいなあって思ったんだけど、お腹すいてなくて」と肩を竦めた。
 「そっかそっか」
 僕は袋を縛って、棚に置いた。
 そうしてサチは本当に帰った。
 「じゃ、体には気を付けてね」
 「そっちこそ」
 僕の心配ばかりするサチに、思わず苦笑いしてしまう。
 一人になった僕は、一人で適当なご飯を食べ、いつも通りの時間にシャワーを浴びた。
 洗面所で歯を磨いていると、前髪の隙間から、額の傷跡が顔をのぞかせていた。
 ふと、左手でそれを触った。
 「うひっ」
 ちょっと痛かった。
 「……」
 あの出来事は、夢じゃない。現実なんだ。この傷が、それを雄弁に語っている。
 しかし、何をどうしたって、受け入れられるはずがない。
 ……琢磨に嘘がばれてないといいのだが。
 歯磨きを終えた僕はベッドに横になった。
 色も形もない不安が僕を襲ってきた。これから僕ら、どうなるんだろう。
 そんないやなものから目を背けたくて、僕は一人、早々と眠りについた。
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