第2話
文字数 2,965文字
微かに瞼が開く。カーテンの隙間から忍び込む日の光のように、微かな隙間からこぼれる明かりに、僕は目を覚ました。
「………」
ここは。ここは、僕の部屋だ。
……僕の部屋?
どうして僕は、僕の部屋にいるのだろうか。本来、僕が僕の部屋にいることは、不思議にも思うようなことではない。でも今回ばかりは話が違う。
確か僕は、昨日気を失って、それで……。
そうだ。
僕は思わず体を起こした。何故か体の節々が痛みを発したが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
「サチ!サチは!?」
サチはどうなってしまったのだろうか。僕はあの凄惨たる現場の一部始終を見届ける前に、気を失ってしまったのだ。
サチ、と叫んでも応答はなかった。再び部屋の中に静寂が訪れる。静寂、無音。環境音だけが微かに響く。それは、最悪の結末が訪れたことを、僕に告げているようだった。
僕は唇を噛み締めた。
「サチ……さちぃ……」
ふと、自分が布団の裾をギュッと握りしめていることに気が付いた。
サチは……サチは……。
目の前が真っ暗になった。その時、台所の方から声が聞こえた。それはどこか間が抜けた、聞きなれた声だった。
「そんなに叫ばなくても聞こえるよお」
そうして部屋の扉を開け、台所からサチが顔をのぞかせた。
「どうしたの?」
見間違えるはずなんてない。それは間違いなく、サチだった。
「サチ。サチ……?」
「そうだよ」
「本物、なんだよね?」
「もちろん!」
「サチ!サチ……!!」
僕はベッドから飛び出しサチを抱きしめていた。
ああ、本当だ。本当に、サチは生きてる。
サチの体温を、温もりを感じる。
「苦しいよお」
サチがパタパタと僕の背中を叩いた。我に返った僕はサチを放した。
「ごめん、思わず」
「びっくりしちゃった」
サチは今ご飯作ってるからちょっと待っててねと、台所に戻った。意味もなく、僕も台所で、サチが料理を作る姿を見ていた。
「どうしたの?」サチが少し戸惑いながら、僕を見る。
「いいんだよ、気にしないで」
「変ななぎさ」
はにかみながら、サチは料理に戻った。
なんてことはない、いつもの光景。けれど今の僕には、そんな光景がどうしようもないくらい愛おしかった。昨日の光景が、まるで夢かのように思われた。いや、もしかしたら、夢なのかもしれない。サチが不審者に食べられて死ぬなんて、どう考えたって不可思議だ。
ほどなくして料理が出来、僕らはリビングでそれを食べた。
「あれ、サチの分は?」
サチが作っていたのは僕の分だけだった。
「私お腹すいてないんだよね」
「珍しい」
食べることになると誰よりもがめついサチがお腹がすいていないなんて。天変地異の予兆だろうか。
サチのご飯を食べながら、僕は昨日のことをサチに聞いてみることにした。
「サチはさ」
「うん」
「昨日のこと、覚えてる?」
「昨日?」
きょとんと顔を傾げるサチ。
やっぱり昨日のことは夢だったんだ。それもそうだろう。あんなおかしなこと、現実に起きるはずがない。
「昨日はずっと、なぎさの看病をしてたよ?」
しかし、サチの言葉は、僕の想像の斜め上を行くものだった。
「……もしかして、丸1日中寝てたの?」
「うん。頭から血が出てたから、打ち所が悪かったのかもね。今日起きなかったら病院行こうと思ってたんだ」
「そうなん、だ」
それはそれで衝撃的な話だ。丸一日意識が戻らないなんて。それに、頭から血が出てたと、サチは言った。確かに記憶の中で、僕は頭をぶつけた。ということは、あの記憶は、本物ということになるのだろうか。
「じゃあ、一昨日になるのかな、あの日のこと、サチは覚えてる?」
僕は質問をし直した。サチは少し困ったような表情を見せた。どう答えればいいのかよく分からないといった様子だ。
「私にもよく分からないんだあ。変な人に殺されっちゃったと思ってたんだけど、気が付いた時にはお腹も、腕の傷も全部治ってて、それで、隣には頭から血を流したなぎさが倒れてた」
「……」
なんとも理解し難い話だ。しかし、あの男の行動、あの男がサチにしたことの時点で、よもや現実とは言い難いものであろう。となると、無理矢理にでも納得するしかない。
と、頭では分かっているが、しかしそう簡単に、おいそれと受け容れられる話ではないのも確かだ。
「それでなぎさをおんぶしてここまで来たんだ」
「サチが?僕を?」
「うん。軽かったよ」
「……」
なんだかショックな話だ。女の子に軽々とおんぶされるほど、僕は華奢なのだろうか。
それはさておき。
「男は?警察は、来なかったの?」
「男の人は、死んでた」
「しっ……」
死んでた?あの男が?
「自殺、なんじゃないかなあ。自分で自分な頭を……」
こう、といって、サチは自分の頭を人差し指で何度か叩いた。
「貫いたってこと?」
「そうなんじゃないかなあ。私にも分かんないや」
ほんと意味わかんないよねと、サチは肩を竦めた。
僕も混乱してきた。まるで意味が分からない。なんで、サチを殺したあの男が、その場で自殺を?
僕は思わず頭を抱えた。
状況を整理したいが、こんな奇怪な出来事を前に、そんなことできるはずがない。
「警察は、分んないや。もしかしたら今頃大騒動になってるかも」
「……なるほど」
気になって僕はニュースをつけてみると、丁度昼のワイドショーで見慣れた現場の映像が写っていた。
「あっ、丁度いいね」
サチと二人でニュースに食い入る。
ニュースでは、ただ不可解な事件として取り上げられていた。話を聞くところによると、警察はあの事件を、不審な男が夜の住宅街で公然と自殺を図った事件だという風に捉えているそうだ。
それも仕方ないと言えば仕方ない話なのだろうか。殺人事件として立件しようにも、殺されたはずのサチは生きているし、僕は怪我さえ負ったものの、それは自業自得だ。
その場にあったのは、不審な男の死体だけ。例えば僕の悲鳴を聞きつけた人も、天下の往来で死体が転がっていることに気が動転したんだろうと判断することだろう。
僕はもう一度頭を抱えた。サチもどうすればいいのか分からないと言った様子で、曖昧な笑みを浮かべていた。
一応僕の中にある情報を時系列順にまとめると、こうだ。
一昨日の夜。不審な男にサチが殺された。僕はその場で気を失った。殺されたはずのサチは、傷などが治り、意識を取り戻す。すると何故か、自分を殺したはずの男が自殺していた。そして今日、一日中寝込んでいた僕が目を覚ました。世間では、これを男の自殺だと断定しているらしい。
「ははっ」
思わず口から乾いた笑いが零れた。
てんで理解できない。アニメの世界に迷い込んでしまったかのような気分だ。
僕はサチを見た。サチも僕を見ていた。サチの瞳はいつになく、不安で揺れているように思えた。
あんなことがあったのだ。不安にもなるだろう。かくいう僕だって不安だ。この先、何が起こるか分からない。僕らは今、そういう状況に立たされているのだ。
けど、ここで僕が自分の不安を吐露したところで、何も変わらない。
僕は……。
「大丈夫。サチに何かあっても、僕が守るから」
僕がサチを守るんだ。
今度こそ。と、僕は決意をあらたにした。
「………」
ここは。ここは、僕の部屋だ。
……僕の部屋?
どうして僕は、僕の部屋にいるのだろうか。本来、僕が僕の部屋にいることは、不思議にも思うようなことではない。でも今回ばかりは話が違う。
確か僕は、昨日気を失って、それで……。
そうだ。
僕は思わず体を起こした。何故か体の節々が痛みを発したが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
「サチ!サチは!?」
サチはどうなってしまったのだろうか。僕はあの凄惨たる現場の一部始終を見届ける前に、気を失ってしまったのだ。
サチ、と叫んでも応答はなかった。再び部屋の中に静寂が訪れる。静寂、無音。環境音だけが微かに響く。それは、最悪の結末が訪れたことを、僕に告げているようだった。
僕は唇を噛み締めた。
「サチ……さちぃ……」
ふと、自分が布団の裾をギュッと握りしめていることに気が付いた。
サチは……サチは……。
目の前が真っ暗になった。その時、台所の方から声が聞こえた。それはどこか間が抜けた、聞きなれた声だった。
「そんなに叫ばなくても聞こえるよお」
そうして部屋の扉を開け、台所からサチが顔をのぞかせた。
「どうしたの?」
見間違えるはずなんてない。それは間違いなく、サチだった。
「サチ。サチ……?」
「そうだよ」
「本物、なんだよね?」
「もちろん!」
「サチ!サチ……!!」
僕はベッドから飛び出しサチを抱きしめていた。
ああ、本当だ。本当に、サチは生きてる。
サチの体温を、温もりを感じる。
「苦しいよお」
サチがパタパタと僕の背中を叩いた。我に返った僕はサチを放した。
「ごめん、思わず」
「びっくりしちゃった」
サチは今ご飯作ってるからちょっと待っててねと、台所に戻った。意味もなく、僕も台所で、サチが料理を作る姿を見ていた。
「どうしたの?」サチが少し戸惑いながら、僕を見る。
「いいんだよ、気にしないで」
「変ななぎさ」
はにかみながら、サチは料理に戻った。
なんてことはない、いつもの光景。けれど今の僕には、そんな光景がどうしようもないくらい愛おしかった。昨日の光景が、まるで夢かのように思われた。いや、もしかしたら、夢なのかもしれない。サチが不審者に食べられて死ぬなんて、どう考えたって不可思議だ。
ほどなくして料理が出来、僕らはリビングでそれを食べた。
「あれ、サチの分は?」
サチが作っていたのは僕の分だけだった。
「私お腹すいてないんだよね」
「珍しい」
食べることになると誰よりもがめついサチがお腹がすいていないなんて。天変地異の予兆だろうか。
サチのご飯を食べながら、僕は昨日のことをサチに聞いてみることにした。
「サチはさ」
「うん」
「昨日のこと、覚えてる?」
「昨日?」
きょとんと顔を傾げるサチ。
やっぱり昨日のことは夢だったんだ。それもそうだろう。あんなおかしなこと、現実に起きるはずがない。
「昨日はずっと、なぎさの看病をしてたよ?」
しかし、サチの言葉は、僕の想像の斜め上を行くものだった。
「……もしかして、丸1日中寝てたの?」
「うん。頭から血が出てたから、打ち所が悪かったのかもね。今日起きなかったら病院行こうと思ってたんだ」
「そうなん、だ」
それはそれで衝撃的な話だ。丸一日意識が戻らないなんて。それに、頭から血が出てたと、サチは言った。確かに記憶の中で、僕は頭をぶつけた。ということは、あの記憶は、本物ということになるのだろうか。
「じゃあ、一昨日になるのかな、あの日のこと、サチは覚えてる?」
僕は質問をし直した。サチは少し困ったような表情を見せた。どう答えればいいのかよく分からないといった様子だ。
「私にもよく分からないんだあ。変な人に殺されっちゃったと思ってたんだけど、気が付いた時にはお腹も、腕の傷も全部治ってて、それで、隣には頭から血を流したなぎさが倒れてた」
「……」
なんとも理解し難い話だ。しかし、あの男の行動、あの男がサチにしたことの時点で、よもや現実とは言い難いものであろう。となると、無理矢理にでも納得するしかない。
と、頭では分かっているが、しかしそう簡単に、おいそれと受け容れられる話ではないのも確かだ。
「それでなぎさをおんぶしてここまで来たんだ」
「サチが?僕を?」
「うん。軽かったよ」
「……」
なんだかショックな話だ。女の子に軽々とおんぶされるほど、僕は華奢なのだろうか。
それはさておき。
「男は?警察は、来なかったの?」
「男の人は、死んでた」
「しっ……」
死んでた?あの男が?
「自殺、なんじゃないかなあ。自分で自分な頭を……」
こう、といって、サチは自分の頭を人差し指で何度か叩いた。
「貫いたってこと?」
「そうなんじゃないかなあ。私にも分かんないや」
ほんと意味わかんないよねと、サチは肩を竦めた。
僕も混乱してきた。まるで意味が分からない。なんで、サチを殺したあの男が、その場で自殺を?
僕は思わず頭を抱えた。
状況を整理したいが、こんな奇怪な出来事を前に、そんなことできるはずがない。
「警察は、分んないや。もしかしたら今頃大騒動になってるかも」
「……なるほど」
気になって僕はニュースをつけてみると、丁度昼のワイドショーで見慣れた現場の映像が写っていた。
「あっ、丁度いいね」
サチと二人でニュースに食い入る。
ニュースでは、ただ不可解な事件として取り上げられていた。話を聞くところによると、警察はあの事件を、不審な男が夜の住宅街で公然と自殺を図った事件だという風に捉えているそうだ。
それも仕方ないと言えば仕方ない話なのだろうか。殺人事件として立件しようにも、殺されたはずのサチは生きているし、僕は怪我さえ負ったものの、それは自業自得だ。
その場にあったのは、不審な男の死体だけ。例えば僕の悲鳴を聞きつけた人も、天下の往来で死体が転がっていることに気が動転したんだろうと判断することだろう。
僕はもう一度頭を抱えた。サチもどうすればいいのか分からないと言った様子で、曖昧な笑みを浮かべていた。
一応僕の中にある情報を時系列順にまとめると、こうだ。
一昨日の夜。不審な男にサチが殺された。僕はその場で気を失った。殺されたはずのサチは、傷などが治り、意識を取り戻す。すると何故か、自分を殺したはずの男が自殺していた。そして今日、一日中寝込んでいた僕が目を覚ました。世間では、これを男の自殺だと断定しているらしい。
「ははっ」
思わず口から乾いた笑いが零れた。
てんで理解できない。アニメの世界に迷い込んでしまったかのような気分だ。
僕はサチを見た。サチも僕を見ていた。サチの瞳はいつになく、不安で揺れているように思えた。
あんなことがあったのだ。不安にもなるだろう。かくいう僕だって不安だ。この先、何が起こるか分からない。僕らは今、そういう状況に立たされているのだ。
けど、ここで僕が自分の不安を吐露したところで、何も変わらない。
僕は……。
「大丈夫。サチに何かあっても、僕が守るから」
僕がサチを守るんだ。
今度こそ。と、僕は決意をあらたにした。