第十四話 梅雨晴れ

文字数 2,734文字

 経言の言葉に反応し、長政はゆっくりと経言に視線を移した。
「父がよく儂ら兄弟に言っていた言葉でな。
『無理に儂に似ようとせずに良い。
 良きも悪しきも、お主にはお主の性質があろう。
 武士としての道義を弁えた上で、お主の性質を活かし、主家に尽くせ』 とな。
 儂だけでなく、兄もよく言われていた」
 それを聞いた長政は『なるほど』とだけ呟いて、黙ってしまった。
 俯き加減で顎を擦り、首を傾げ、思案にふける。
 反応の薄さに経言も焦れる頃合い、長政は口を開いた。
「つまり親の存在を意識し過ぎず、誰の子ではなく一人の武士として生きよ。
 という事でしょうか」
 経言は感心して頷いた。
 猪、鈍牛などと言われるとの事だったが、この若者は決して愚鈍ではない。
 言葉の深意を思考し、理解する力を持っている。
 だがその紐解きの時間が鈍いと誤解されるのだ。
「とは言え、これは熊谷の祖父から聞いた話だが、父の初陣は日頼(元就)様の許可を得ずに、隊に忍込んで果たしたらしい。
 嫁取りもやはり日頼様への相談もなしに決めたらしい。
 むしろ儂がしてきた“うつけ”は、父の通ってきた道であった。
 日頼様より熊谷の祖父に宛てた書状では、父を指して『犬の様』だの『無道比興』などと評されておったらしい」
 長政は思わず吹き出した。
「なんと、随浪院殿がでありますか」
 続けて経言は励ますように、言葉を紡いで締めくくった。
「深慮しての事であれば、決して鈍牛ではありますまい。
 その上で決意しての行動であれば、決して猪ではありますまい。
 吉兵衛殿が得手とする所を更に磨き、不得手とする所を埋め合わせれば、御父君もいずれ認めてくれましょう」
 その言葉に長政は小さく笑って礼を言う。
「かたじけない」
 だがその表情に陰が差し、羨むように呟いた。
「又次郎殿は恐ろしかったと言いつつも、随浪院殿の事を大変に慕われておられたのだな」
 広家は指で鼻先を掻いた。
 照れくさい時にする、父譲りの癖だ。
 長政は少し間を置き、何か意を決したかの様に吐露する。
「だが私は父が、心底恐ろしい。
 勿論敬い、慕う気持ちもあります。
 しかし父はどこか乱を悦び、謀を愉しんでいる様に感じるのです。
 又次郎殿も承知しておりましょう。
 鳥取の飢え殺し、高松の水攻めなど、およそ血の通った者の、人知のなせる所業ではありませぬ。
 そしてかの信長公が光秀に討たれた折には、動揺して取り乱す関白様に、
『ご武運が開けますな』
と囁いております。
 主家の当主が討たれた報を聞き、即座にその考えに及ぶ心情は私にはわかりかねます。
 何か化生に憑れているのではないかと思ってしまいます」
 鳥取の飢え殺し、高松の水攻めは五年前に、織田家に属する秀吉と毛利家と戦いで行われた城攻めだ。
 その凄惨さ、絶望感は経言を含めて毛利家中を大いに震撼させた。
 そしてその直後の信長の死。
 その知らせ裏で、孝高と秀吉との間にその様な事があったとは初耳だった。
 経言は孝高の冷徹さを知り、敵として対峙していた当時を思い出し、戦慄した。
『乱を悦び、謀を愉しむか。
 面白そうな男ではないか』
 この楽しそうな天狗の声が聞こえた。
 騒乱を愉しむという点では、この天狗も同種である。
 経言には何が面白いのか、何を楽しそうなのかわからない。
 戦とは凶事。
 毛利家は先に挙げた鳥取の飢え殺しで吉川経家、高松の水攻めでは清水宗治を切腹に追い込まれた。
 特に吉川経家は、遠く遡れば経言の吉川家と同じ流れを汲む。
 その縁もあって兄元長も含めて非常に親しくし、切腹の前に書かれた遺書を経言も受け取っている。
 乱世の習いと承知はしているが、必ずしも遺恨なきものではない。
 いつまでも先人の英雄譚に血湧き肉躍らせていた、夢見る童子ではいられない。
 だが長政の話だけで、一方的に孝高という人物を判断するのもよくない。
「吉兵衛殿、知恵者の思考や言動は理解し難く、恐ろしく映るもの。
 儂も父亡き今は、叔父の眼光が何よりも恐ろしい。
 それは恐らく叔父が、儂には及ばぬものを理解し、儂には見えぬものを見ているからであろう。
 しかしそれを恐ろしく感じるのは、己が及ばぬ事を知る証左。
 ならば共に、研鑽してまいりましょう。
 いずれ我らにも理解が及ぶ日も参りましょう」
 するとどうであろう。
 長政の表情から陰鬱な気が抜けていく。
 その目は朝露の様に輝き、顔色は秋の紅葉の様に紅潮し、五体からは夏の陽射しの様な力強い気が放たれる。
「又次郎殿に相談してよかった。
 今までこの様な話、誰にもできませんでした。
 家中はもとより、関白恩顧の将には父に心酔している者も多くおります故……」
 それもそうであろう。
 吉川家中で例えるならば、元春存命中にその事績、業績に疑念を持つという事だ。
 まして孝高は現役の当主。
 例え血を分けた実子でも、不義不忠の叱責だけでは済まされない。
「吉兵衛殿の気持ちが少しでも晴れたのであれば何より。
 何かあればまた何か相談してくだされ。
 この犬の子のうつけが、できる限りの事はお答えしましょう」
 長政は大きく笑った。
 それまで遠慮がちな笑いではなく、解き放たれた呵々大笑。
 すると羽柴秀長、黒田孝高、毛利輝元、小早川隆景が堂から出てきた。
「松寿丸(長政の幼名)、何を馬鹿笑いしてはしゃいでおる。
 みっともない」
孝高の咎めに対して、長政は臆する事なく答える。
「父上、吉川殿より良き話をお聞きしておりました。
 今はまるで梅雨晴れのような心地です」
 これは孝高にとって、慮外の返答だったようだ。
 目を丸くした。
 この数刻で、我が子に起きた変化。
 そしてその要因となったであろう、経言に視線を移して目を細めた。
 やはり口元には薄笑みが浮かんでいる。
 長政には取繕って諭したが、経言から見ても不気味な男だ。
 その孝高が、何かを思い出したように隆景に歩み寄った。
 顔を寄せ、何か耳打ちをする。
 その瞬間隆景の表情が曇った。
 二人の間で二言三言が交わされる。
 この光景に経言は胸騒ぎを覚えた。
 一体何を話しているのか。
 知恵者二人の密語程、薄気味の悪いな物はない。
 見ているだけで、心胆にヤスリをかけられる様だ。
 やがて隆景の方が、顔を離して苦笑して言う。
「戯れを申されるな。
 こちらで対処いたす」
 一方で二人のやり取りを他所に、輝元が経言に話しかけてきた。
「又次郎、儂は大和大納言様や黒田殿らを送ってまいるが、この後治部少輔と左右衛門佐より話がある。
 しかと聞き、向後の事を頼むぞ」
「しかと承知いたしました」
 しかしはするが経言の心はうわの空だった。
 その証拠に経言の視線は、杖をつく孝高の背が見えなくなるまで離れる事がなかった。
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