第二話 父母

文字数 3,246文字

 吉川広家は永禄四年(西暦一五六一年)、中国地方随一とも言われた猛将吉川元春と新庄局の三男として産まれた。
 幼名を才寿丸という。
 祖父は小規模な国人領主から一代で中国地方ほぼ全域を支配するに至った稀代の謀将毛利元就。
 生まれた時には長兄の元資は既に元服しており、世継ぎとしての重圧もなく自由奔放に育った。
 永禄九年に尼子家を滅ぼした毛利家だったが、その後も尼子勝久を擁立して尼子家再興を目指す山中鹿介や立原久綱らの尼子家旧家臣団との争いを繰り広げていた。
 尼子家旧家臣団の中でも山中鹿介は名将として名高く、永禄十二年(西暦一五六九年)には出雲一国をほぼ攻略するまで勢いを盛り返した。
 当然毛利方も黙っていた訳ではない。
 出雲に残された重要拠点であり、かつて尼子家の本拠地でもあった月山富田城攻略に手こずる山中鹿介を討伐せんと軍が派遣された。
 しかし城攻めを一次中断した鹿介は原手合戦にてこれを撃退、再度月山富田城攻略に取りかかった。
 さすがに看過できなくなった元就は北九州や伊予に展開していた主力を招聘し、石見路より月山富田城の救援、及び尼子討伐の軍を差し向ける事となった。

 元亀元年(一五七0年)一月。
 吉川元春の居城、日野山城では慌ただしく出陣の準備がなされる中、未だ元服を迎えていない才寿丸は父元春の前に進み、自身の初陣を願いでていた。
 元春は渋い表情で宥めて言う。
「才寿、武家の当主として我が子が初陣を望むのは嬉しい限りだ。
 だがお主はまだ元服もしておらん。
 まだ見ぬ戦場を恐れぬ勇気は素晴らしいが、実際の戦場とはその想像に倍する恐ろしくも過酷な所だ。
 初陣はもう数年待ち、兄のように元服してからがよかろう」
 だが才寿丸は納得しない。
「そうは言われますが恐ろしき所だからやめよと言われるのであれば、戦場の恐ろしさとは時と共に薄らぐのでありましょうか。
 私は日々鍛練怠らず、槍も刀も振るえます。
 弓も引けます。
 父上は私が足手まといになるのではないかと心配されているのでしょうが、決してそんな事にはならず、必ずや吉川の名に恥じぬ槍働きをしてみせます」
 元春の母妙玖の実家でもあり、元春が養子に入って家督継承した吉川家は代々勇名響かせる一門であった。
 特に元春の曾祖父の代に当たる経基は応仁の乱において全国に武名を轟かせ「鬼吉川」の異名をとる猛将だった。
 そして元春自身も武においては父元就から『戦では叶わぬ』と称され、一部では『鬼吉川の再来』などとも謳われている。
「先祖に倣い武を志すのは立派だが、お主はお主だ。
 無理に背伸びして気を張る事はない。
 急いては事を仕損じるとの言葉もある通り、何事も早ければよいというわけではない。
 時が来れば嫌でも戦場に立ってもらうのだから、焦燥することなく今はまだ研鑽に励み、その時を待つのだ」
 いくら懇願しても元春は首を縦に振らない。
 言葉巧みに諭された広家は憤懣やるせなく、足を踏み鳴らしてその場を後にした。
 父元春はよく『お主はお主』と言う。
 一方で祖父元就や叔父の小早川隆景のみならず毛利家中の者は『よく父を見よ、兄を見よ』と言う。
 長兄元資は父の背を追うように文武を嗜み、将来を大いに嘱望されている。
 次兄元棟もまだ若年ながら、跡取りなく死去した仁保家との家督相続を前提とした婿入り縁談の話が持ち上がっている。
 そして此度の戦は従兄であり、当主の毛利輝元が初めて総大将として指揮をとるという。
 漠然としていたら家中で自分の存在など忘れられてしまいそうだ。
「どうしろと言うんだ」
 独り言ちながら廊下を進む先から兄が歩いてくるのが見えた。
「どうした才寿、何を苛立っているんだ。
 随分先から足音が聞こえていたぞ」
 十三歳上の兄は眼光鋭くも、からかうように笑みを浮かべて話しかける。
 兄を見た才寿丸は日頃から面倒見のよい兄に助け船を求める。
「今しがた父上に初陣を願いでたのですが、まだ幼いからと取り合ってもらえませんでした。
 こうなったら兄上の隊に同行させてもらえませんか」
 これに対して元資は細い目を大きくし、閉口してしまった。
 弟がまさか初陣を願い出ていたとは夢にも思っていなかった。
 よくよく話を聞く限り、父元春は別に才寿丸を怒っているわけでも嫌っているわけでもないが、幼さ故の勇み足を危惧しているのだろう。
 元資としても才寿丸の心意気は武家の子として素晴らしいとは思う。
 とは言え才寿丸はまだ十歳。
 自身が十八で初陣を飾った時などは、想像以上の戦場の苛烈さ、凄惨さに身を竦ませ、何度父に背を叩かれたかわからない。
 やはり気が逸っていると思わざるをえない。
 かと言って通り一遍の反対では納得をしないだろう。
 また自分を頼る弟の気持ちを無下にもしたくもない。
 暫し思案の上、元資は才寿丸に諭すように提案をする。
「よし、こうしよう。
 父上が反対されている以上は、私が勝手にお前を連れていく事は流石にできない。
 だがこの件に関して母上のご意見も聞いてみようじゃないか。
 母上がお前の気持ちに後押ししてくれるなら私からも父上にお願いしてみよう。
 だが母上からも反対されたら、そこはやはり二人の意見にしたがうべきだ」
 元資としては母も才寿丸の出陣を止めるだろう、との思いがあった。
 一方才寿丸は兄の提案に喜色を浮かべて頷いた。

 才寿丸や元資の母は毛利家家臣の熊谷信直の娘で、元春達の居城日野山城のある大朝新庄の地名から新庄局と呼ばれた。
 信直は安芸屈指の豪傑との呼び声高く、かつては毛利家と敵対していた安芸武田家に仕えていた。
 しかし同僚との軋轢や主家との齟齬などがあり、武田家を離反して毛利家に仕えるようになった。
 信直は大変な家族思い、子煩悩で知られ、当主武田光和に嫁いだ妹が離縁された事もその要因の一つであったと言われている。
 その信直の愛情を一身に受けて育った新庄局だったが、右目周りにある青痣が起因して、元春に迎えられるまで長く縁談に恵まれなかった。
 気丈な性格ではあったものの、その青痣だけは気にしたのか常に右目周りを隠すように前髪をゆったりと前に垂らして束ねていた。
 かつては敵対関係でもあったこともあって二人の縁談は政略的な色合い濃く、信直もそれは承知の上だったが、元春は側室をとる事もなく妻を深く愛し、信直もまたこれに感激して陰に陽に吉川家、毛利家を強く支えるようになった。
 さて新庄局は才寿丸と元資から相談を受け、大きく声を上げて異を唱えた。
 それは才寿丸に対してのものではなかった。
「武門に生きる者であれば我が子が戦場を望むのはこの上なく喜ばしい事。
 幼かろうとも弓を引き、刀を振るう力があるならば、喜んで連れていって然るべきです。
 仮に戦場に行くことなど自分からは考えもしない子であれば、色々と手を打って連れて行くというのに。
 幸いな事に才寿丸は幼いながらも勇を備え、自ら望んで戦場に臨もうと言っているのにそれを拒むとは如何なる事でしょうか。
 名将と言われる元春と、愚かな私では考えが違うようですね。
 父にそう伝えなさい。
 それでも父が反対すると言うのなら、伊豆守(熊谷信直)の隊に同行させてもらいなさい。
 いざ戦場で父に何か言われたら、母からそう勧められ、大殿(毛利元就)へこの旨の書をしたためてある、と答えれば父もそれ以上は言わぬ筈です」
 元資は平伏しながら内心困ってしまった。
 まさか母が才寿丸の後押しをしようとは思っていなかった。
 しかも母の後押しがあってなお反対されたら、黙って祖父の隊について行けと言う。
 母のこの勇ましさは父である信直譲りのものであろうか。
 そして我が父はその意見に対して何と言うであろう。
 自身の考えに反対されて不機嫌にはならないだろうか。
 元資が不安を感じる一方で、隣に座る才寿丸は表情明るく目を輝かせていた。
 母のこの意見は大きな後押しになるだろう。
 対照的な思いを胸に二人は父の元に向かった。
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