第2話

文字数 3,508文字

 映画と異なるのは、視界いっぱいに画面が広がること。つまり、ふだん自分が見ている景色と同じで、視界の端で途切れたりしない。
 あたりは木々が密集していて、それ以外に目に留まるものはなく、ここがいったいどこなのか見当もつかない。
 わたしはキョロキョロと周囲を見まわす。正確にいうと、わたし、ではなく、わたしはだれかの視点をなぞって、そのだれかが見ている風景を共有しているようだった。
 ふいに、木の陰から人間が姿を現す。褐色の肌に鋭い目。腰に布を巻いているだけで、引き締まった肉体を惜し気もなく晒している。手には槍のような武器。
「××××?」
 まっすぐにこちらを見据えたまま、その男はなにかしゃべった。少なくとも日本語ではない。たぶん英語でもない。だが、なにかを尋ねているらしいというのはなんとなく理解できる。
 男はふたたびなにかをいうと、ついて来い、というふうに顎をしゃくってわたしをうながす。
 木を伐採して作ったらしい簡素な家――だと思う――に招かれ、無骨な器に注いだスープを手渡された。
 わたしと視点を共有しているこの人物は、よほど警戒心が薄いのか、それともそんなことを気にしていられないほどに差し迫った状態なのか、突然現れた目のまえの男に対して驚くくらいに無防備だった。受け取ったスープになんのためらいもなく口を付ける。
 そのまま、この男に拾われる形でここに居着くことになった。
 視界が暗転する。
 ふらり、とよろめきかけたわたしはだれかに身体を支えられる。
「大丈夫ですか」
 目を開けると、あのサラリーマン風の男がわたしを見下ろしていた。あわてて辺りを確認する。わたしの部屋の玄関先だ。
「今の、なに?」
 白昼夢でも見ていたような不思議な気分だった。まだ頭がぼうっとしている。
「むかし、私の星の住人が移動中、予想外のアクシデントに見舞われて地球に不時着しました。そのときにこの星の人間にとても親切にしてもらい、彼らは友人となりました。今ご覧いただいたのはそのときの映像です」
 なんでもないことのように淡々とした口調で男は説明するが、その内容はとんでもないものだった。
「え、ちょっと待って。もしそれが本当だとしたら」
 今わたしの目のまえにいるあんたは、いわゆるエイリアンってこと?
「そういうことになります」
 あっさりと男はうなずいた。
 って、ちょっと待て。
 わたし、今の言葉、口に出してないよね? なんでわたしの考えてることがわかるのよ。
「それは私たちの能力のためです。我々は、相手の精神状態、感情や考えを読み取ることができるのです」
「えっ」
 さっき、よろめいたところを支えられて、そのまま男に寄りかかるような姿勢でいたことに今ごろ気付いたわたしは、あわてて飛び退く。自分の感情を覗かれるなんて冗談じゃない。
 もちろん、この男のいうことを全部鵜呑みにして信じたわけじゃない。けど、とにかく、なんだかすこぶる怪しいヤツだというのはまちがいない。これ以上関わらない方がいい。
 と思ったのも、相手には筒抜けで。
 気を悪くしたようすもなく、というか、ずっと無表情のままなので感情がまったく窺えない男は、冷静に自分をアピールしてきた。
「私たちは一度受けた恩は決して忘れません。我々の星では、地球にやって来て人間に恩返しをすることがとても名誉なことなのです。ですから、どうか、私をおそばに置いてください。かならずあなたのお役に立ちます」
 なんなのこれは。ある意味セールスマンじゃないの。売り込む物が商品じゃなくて自分だという違いがあるだけで。
 しかも、困ったことに目のまえの男は、思わず吸い込まれそうなくらいにきれいな目をしている。
「わたしはまにあってるからいいわ。ほかのだれか、もっと困ってる人の役に立ってあげて」
「いえ。私はあなたのお役に立つと決めたのです」
 勝手に決めるな! ていうか、これってもしや押し売り?
「とにかく! わたしは認めないから! いきなりそんなこといわれても『はいそうですか』って受け入れられるわけないでしょ?」
 わたしは一気にそういうとドアを閉めた。
「月子さん」
 ドア越しに名前を呼ばれてぎょっとする。なんでわたしの名前を知ってるのよ! あ、心のなか読めるんだっけ。
 って、なに納得してるのよわたし。
 …………知らない。なにもなかったことにしよう。わたしは悪くない。
 だって、いきなりやって来たわけのわからない異星人を受け入れられるほど、わたしは寛大じゃない。だいたい、その話も作り話で、実はたんなる変質者っていう可能性もあるし。
 そう自分にいい聞かせようとしたけど、頭のなかには、あの男の澄んだ眼差しが焼き付いて、目を閉じても消えなかった。

 その翌日。
 平日で仕事だったけど、泣き腫らした顔は一夜明けてさらにひどいことになっていて、とてもひとまえに出られるような状態じゃない。職場に欠勤の連絡を入れて、今日は家から一歩も出ないで過ごそうと、布団に戻ったそのとき。
 インターホンが鳴った。
 いないことにしよう、うん。
 いつもこの時間帯は仕事に出かけていて留守だし、朝っぱらから訪ねてくるような知り合いもいない。そう考えて頭まで布団をかぶる。
「月子ちゃん? おはよう。いるんでしょ?」
 わたしはガバッと起きあがる。この声はアパートの大家さんだ。
 大家さんは同じアパート内の部屋に住んでいて、ひとり暮らしのわたしはご飯のおかずやお菓子のおすそ分けの恩恵にあずかることが多々ある。でも、たいていは休日か平日の夕方に訪ねてくるのがふつうで、こんな時間に来るなんて珍しい。
 家賃の滞納はしてないし、なんだろう?
 どきどきしながら、上着を羽織り、玄関のドアをそっと開ける。
「あらあ、ひどい顔。たしかにそれじゃあ仕事には行けないわねえ」
 いきなりグサッと来る言葉が飛んできた。大家さんは裏表のない性格で、人は好いけど、思ったことをそのまま口にするので、容赦ない。
 へこむわたしに追い討ちをかけるように、大家さんは遠慮なく続けた。
「月子ちゃんが男に振られて落ち込んでるって聞いたから、心配でね。しかも仕事休んでるっていうじゃない? あんた真面目だから、ちょっとやそっとじゃ休んだりしないし、こりゃ大変だと思って」
 たかが男のひとりやふたり、どうってことないんだから、いっぱい食べて元気出すのよ、と、黒塗りの重箱を手渡される。反射的に受け取りながらも、わたしはものすごくいやな予感に襲われる。
「あの、なんで大家さんがそんなことをご存じで?」
「申し訳ありません。私がお伝えしました」
 と、ドアの陰から姿を現したのは昨夜のあの男。
「あ、あんた」
 目を剥くわたしに、大家さんがズイッと身を乗り出してささやいた。といっても、大家さんは地声が大きいので周りに筒抜けだったけど。
「月子ちゃんも案外隅に置けないわねえ。このひと、あんたに会うために、わざわざ遠いナントカって星から来たんだって? ずっとあんたの部屋のまえに突っ立ってるから変質者かと思ったけど、事情を聞いてね、うちに泊まってもらったのよ。いい子じゃないの、男前だし。追い返すような無体な真似はしないで置いてやんなさい。年ごろの女のひとり暮らしなんて無用心だし、ひ弱そうだけど、まあ用心棒代わりにはなるでしょ」
 大家さん!? なにエイリアンに懐柔されてるんですか!
 ていうか、異星人というのは気にならないの? そこはスルー?
 用心棒どころか、むしろこの男の方がいろんな意味で危険じゃない?
 心のなかで激しい突っ込みを入れながらわたしは口をぱくぱくさせる。
 大家さんは自分がいいたいことをいったら気が済んだらしく「じゃあ、仲良くやんのよ」と上機嫌で帰っていった。
 残されたのは、わたしとあの男。
「あんた、なに大家さんに取り入ってんのよ」
 朝っぱらからぐったりと疲弊して、わたしは力なくつぶやく。相手が大家さんじゃ、わたしに勝ち目はない。トボトボと寝室に戻る。
「月子さん」
 振り向くと、男は玄関先に立ったまま、相変わらずなにを考えているのかわからないきれいな瞳でわたしを見ている。
「開けっぱなしだと寒いじゃない。早く入ってドア閉めてよ」
 ああ、今まで、しつこいセールスはこてんぱんに撃退してきたのに、ついにはじめて負けてしまった。
 こうして、大家さんのお墨付きで「彼」との共同生活が(ほぼ強制的に)始まり、現在に至るわけで。
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