第16話 絶対に幸せにしてみせます!
文字数 5,926文字
出版。
書籍化。
これらの言葉に、どれだけ憧れたことだろうか。
俺が初めて小説を書き始めたのは、小学校六年生の時からだった。
『小説家を目指そう』に投稿を始めたのは、中学二年生から。
初投稿から三年、幸運にも、『箱入り娘 俺がまとめて守ります!』という、総合一万ポイントを越える作品を書くこともできたが、それでもある一定以上は伸び悩み、諦めかけていた。
何度、夢の中で、書籍化の知らせを受け取り、その夢が覚めてガッカリしたことか。
文字通り、夢にまで見たその三文字が、実際に手の届くところまで来ている……。
「……それって、本当の話なのか?」
「うん、もちろん。ただ、運営の人からは、『詐欺の可能性もないとは言えないので、注意してください』とは書かれているけど」
「詐欺、か……それは怖いな……ちなみに、どこの出版社?」
「美海辺出版、って書いているけど……」
「……それって、結構有名じゃないか! そんなところから本当に来たのか……」
「どうなのかな、私、初めてだからよく分からないの……あ、和也君に転送するね」
ここで一旦電話を置いて、彼女からのメールを待つ。
ほんの二、三分だったと思うが、やけに長い時間に感じた。
そして赤い文字でダイレクトメッセージが届き、はやる思いでそれを開いた。
すぐに、彼女から電話がかかってくる。
「……どう、届いた?」
「ああ、今見ている……本当だ、美海辺出版って書いている……担当者の名前とかもあるし、何より運営を通している時点で、誰かのイタズラとかじゃなさそうだ……」
「……やっぱり、本当なんだ……ねえ、どうすればいいの?」
声色から、瞳は相当混乱していることが分かる。
「どうって、書いてあるとおりにするしかないな……『了承頂ける場合は期日までに連絡を』、か……。『未成年の場合、保護者の承諾が必要になります』……まあこれも当然だな……」
常識的な範囲内で、しかし、分かりやすく注意事項が書かれている。
ただ、共同執筆している場合についての注意書きはない。これに関しては、個別に問い合わせをするしかないだろう。
「……ねえ、どうすればいい?」
瞳から、また同じ質問が投げかけられた。
「……とりあえず、この『保護者の承諾』っていうところが問題だろうな……これが得られなければ、先に進められない」
「……うん、やっぱりそうだね……」
「君の両親は、趣味で小説を書いていることは知っているのか?」
「うん、それは言ってるけど、家族ではお姉ちゃんぐらいにしか見せたことはないよ」
「なるほど……学生のちょっとした趣味ぐらいにしか思っていないんだろうな……それがいきなり、『出版』なんて話ししたら、どうなるかな……」
「多分、ビックリすると思う……別に変な小説じゃないし、反対はされないと思うけど……とりあえず、相談してみる!」
「ああ、また結果、教えてくれ」
「うん!」
最初の困惑からは抜け出したようで、かなり元気にはなっていた。
ただ、気になる点としては、瞳の両親がかなり厳しい、ということだったが……。
……一時間が経過し、九時を過ぎたが、連絡はない。
さらに一時間経過、十時を回ったが、いまだ連絡はない。
長い……揉めているのか……。
と、ここでようやく瞳から電話がかかってきた。
「……も、もしもし、どうだった?」
「うん、あの……まあ、お母さんもお姉ちゃんも、凄くビックリして、喜んでくれたんだけど……」
「……だけど?」
「お父さんが……お父さんも、凄いじゃないかって褒めてくれたし、勉強に支障が出ないのであれば、趣味の延長としていいだろうって言ってくれたんだけど……」
「……だけど?」
彼女の、何か引っかかる点があるような言い方に、続けて同じ返答をしてしまう。
「その……共同執筆者がいて、それが同い年の男の子だって言うと、急に表情が変わって……」
……なんか、嫌な予感……。
「それで……正直に、春休み中と、その後の土、日に図書館で会ってたって話しして……あ、でも、お姉ちゃんが、『おばあちゃんの通夜に来てくれた男の子だよ』ってフォローしてくれて、ああ、あの子か、って言う話にはなったんだけど、こそっと、結構頻繁に会ってたっていうのが引っかかっているみたいで……もちろん、交際している訳じゃないって言ったんだけど……」
俺と彼女の両親は、あの通夜の時に会っていた。
厳格そうなお父さんで、ちょっと怖そうに見えたのをはっきりと覚えている。
「……だ、だけど?」
「その……一度、連れて来なさいって……」
――サッと、血の気が引くような思いだった――。
翌日。
土曜日のこの日、俺は、伊達家を訪れていた。
早朝、母親には簡単に事情を説明していた。
書籍化の話は、正直、まだあまりピンと来ていないようで、そういう文集みたいなもののコンテストに入選したぐらいにしか思っていないようだった。
それよりも、共同執筆している同い年の女の子がいること、それが病室で一緒だった子で、休日の度に会っていたことの方が意外だったらしい。
さらに、その子の家を今日訪れることと、彼女の名前と住所を伝えると、
「名家のお嬢様じゃない!」
と、一番驚かれた。
もうすぐ家を出ることを伝えると、
「そんなところに、私服で行くなんてとんでもない!」
と、制服であるブレザーに着替えさせられた。
母親もついて来かねない勢いだったが、さすがに話がややこしくなるので置いてきた。
伊達家を訪問し、まずはおばあさんの遺影のある仏壇に線香をあげて、その後客間に通された。
瞳とその両親、お姉さんが揃っている。
おじいさんは最近ずっと体調を崩しており、屋敷の奥で寝ているということだった。
「和也君、今日学校だったの? 帝大付属の制服、かっこいいね」
と、瞳の姉である泪(るい)さんが褒めてくれた。
わざわざ着替えてきたことは伏せて、お礼だけ言っておいた。
客間は純和風といった感じで、高級そうな大きな座卓があり、座布団が用意されていた。
彼女の父親、母親、姉が並んで座り、その対面に、俺と瞳が同じく並んで座る。
あまり正座をしたことのない俺だったが、この雰囲気の中ではあぐらをかく訳にはいかない。
たぶん、俺が相当緊張した顔をしていたのだろう、泪さんが笑いながら、
「結婚の申し込みに来た訳じゃないんだし、もっとリラックスしていいのよ」
と、冗談を言ってくれ、ちょっと緊張がほぐれる。
彼女のお母さんも笑顔だし、お父さんは苦笑い、といったところか。
そしてそのお父さんが真顔になって、
「瞳の父親の、伊達定典(だてさだのり)です……君と会うのは二回目だったね」
と挨拶してくれた……って、戦国武将みたいな名前に、厳格さがにじみ出ているような容貌で、ちょっと怖い。
「はい、おばあさんのお通夜の前に、思いがけず訪問させて頂いて以来です。加賀和也と申します」
自分ができる精一杯の丁寧な言葉を述べる。
すると、隣の女性二人は
「しっかりした男の子ね……」
と、感心してくれた。
定典さんは大きく頷き、
「……うむ、さすがに小説が出版されるほどの文章を書くだけのことはある。瞳だけでは到底そんなことはできなかっただろう……実際のところ、ほとんど君の功績なのじゃないのか?」
と褒めてくれたが、
「いえ、とんでもないです。自分だけで書いた小説もあるのですが、まったく受け入れてもらえていませんでした。瞳さんのすばらしい発想とストーリー展開があったからこそ、編集の方にも目をつけてもらえたんだと思っています」
俺は本音を言ったのだが、隣で瞳は
「そんなでもないんだけどね……」
と照れ笑いをしていた。
「ふむ……想像以上にしっかりしているな。だが……たしかに出版社の方に認めてもらえたというのは光栄な事だろうとは思うが、それと同時に、出版などというのは、まだ早いようにも考えている。学生の本分は、やはり勉学ではないだろうか」
定典さんの厳しい一言に、場が凍り付く。
だが、事前に瞳から、そんな懸念を持たれているという情報は得ていた。
「はい、それはそう思っています。けれど……僕は部活には入っていませんが、文武両道で頑張っているような生徒もいます。僕はそれに負けないように、頑張れると思っています」
「……なるほどな……だが、出版となるとお金が入ってくることになる。それに実際に、本として全国の書店に並ぶわけだろう? さっきも言ったように、それ自体は名誉なことなのだろうが、夢中になりすぎやしないかと心配しているんだ。そこが、親としては、まだ早いのではないかと懸念している点だ」
「……たしかに、僕自身も驚いています。こんなに早く、夢の扉が開かれるとは思っていませんでしたので。でも、だからこそ、道を見誤らないように努力していこうと考えています。明確な目標ができたことで、より一層努力できると思っています」
「……つまり、さっき言った両立ができる、ということか……確かに、君ならしっかりしているからできるかもしれないが、瞳、お前はどうだ?」
「……私も、頑張ります! 勉強も、小説も両方!」
彼女も真剣だ。
「……それが例えば、高校の文学部で賞を取るため、とかであれば私も両手を挙げて賛成しただろう。けれど、商業出版ということは、仕事だ。つまり、失敗すれば大勢の人に迷惑をかけることになる。その責任は感じられているか? 重圧に耐えられるか?」
定典さんの重い言葉に、瞳は口を噤(つぐ)む。
そして彼の視線は、俺に向けられた。
「……確かに、今までに無い責任を負うことになると思いますし、そのプレッシャーは感じています。でも、遅かれ早かれ、経験することだと思っています。出版の話が出た時に、それは覚悟していました。そんなときに、先月テレビで見た場面を思い出しました。ある芸能人……アーティストが、卒業式のゲストとして呼ばれたときに、卒業生に言葉を贈っていたのですが、それに感銘を受けたんです」
「……ふむ、どんな言葉を?」
「夢を叶えるために、高い志を持ち、強い意志を貫き通せ、と……」
「……ほう……」
定典さんは少し顔をほころばせ、深く頷いた。
「だから、僕はその言葉を胸に、夢に向かって、瞳さんと一緒に努力していくつもりです。ですから……どうか、僕たち二人の夢を、認めてください!」
そう言って、頭を下げる。
「……お願いしますっ!」
すぐ隣で、瞳も同じように頭を下げているのが分かった。
「……そんなにかしこまらなくても構わないよ。二人とも、頭を上げて……いいだろう、和也君となら大丈夫だ。二人で精一杯、やってみなさい」
その言葉に、頭を上げた俺と瞳は、お互いの顔を見て頷き、喜び合った。
瞳はこころなしか、目に涙を浮かべている。
「……和也君、君の言葉は聞くものの心を打つ……そういう文章も書けるのだろう。君なら、立派な小説家になれる。どうか、娘を引っ張って行ってほしい」
「……はい、ありがとうございます! 精一杯努力します!」
「うむ。ふつつかな娘だが、幸せにしてやってほしい」
「はい、絶対に幸せにしてみせます……えっ!?」
自分で発した言葉の違和感を感じ、あたりを見渡す。
すると、満足げな表情の定典さんはともかく、瞳と、お姉さん、お母さんは、目を点にして固まっている。
「……あの、お父さん……私達、まだ、付き合っている訳でもないんだけど……」
瞳が赤くなりながら、そう言葉にした。
「うん? ……ああ、そうか。すまない、ちょっと予行演習みたいに考えていたからな……」
照れたようにそういう定典さんの言葉に、女性三人は、一斉に吹き出すように笑った。
「もう……またお父さんの天然が炸裂したね……」
泪さんも、瞳と同じく泣き笑いしている。
そうか、定典さん、見た目はちょっと怖いけど、天然だったのか……。
「……でも、この際、交際も認めてもらったら? 『まだ』ってことは、少なくとも瞳は好きなんでしょう?」
優しそうなお母さんが、娘にそう促した。
すると彼女は、真っ赤になって、小さく頷いた。
その、とてつもなく可愛いらしい仕草に、俺も顔が熱くなるのを感じながら、同じように頷いた。
「……まあ、いいだろう。高校生らしい健全な付き合いをするように」
定典さんの一言に、心がすっと軽くなった。
そして嬉しそうに、恥ずかしそうにしている瞳と目があったが……照れてしまって、お互いずっと見続けることができなかった。
その様子を見た泪さんが、
「えーっ、ずるい! 私の時はあんなに反対されたのにっ!」
と文句を言っている。
「その前に、家に連れてきなさいって言ったのに、連れて来なかったじゃないか」
「……娘の父親にそんな言い方されたら、男の子はなかなか来られないよ」
「だが、和也君は来てくれた。その違いだろう?」
「……だって、あのときとは状況が……って、もういいけどね……」
泪さんは、ちょっと拗ねていて、それがまた笑いを誘った。
「和也君は好青年だよ……ただ、男同士、ちょっと二人だけで話がしたい。みんな、席を外してくれないか」
定典さんが真剣にそう言うと、また場の雰囲気が変わった。
「……大丈夫だ、俺は今言ったことを覆したりはしない」
女性陣は顔を見合わせ、母親が代表して、
「……じゃあ、私達、お祝いの食事用意しているから、終わったら来てくださいね」
と、揃って部屋を後にした。
そんなの、用意してくれるんだ……。
いや、それより、このお父さんと二人っきりという状況は、全く想定していなかった。
いきなり殴られたりするんじゃないかと、ちょっと過剰に緊張してしまう。
それを察したのか、定典さんは、笑顔で切り出してくれた。
「いや、大したことじゃあないんだが……実は私も、小説家を目指していたことがあるんだ」
「……えっ、お父さんも、そうなんですか?」
ここで『お父さん』っていう言葉を使って、あっと思ったのだが、定典さんは気にしていない様子で言葉を続けた。
「ああ。結局、その夢は叶わなかったのだが……まあ、それでちょっとひがみみたいなものがあったのかもしれない。それで、君に謝らなければならないことがあるんだ」
「……僕に、ですか?」
話しの展開が読めず、とまどってしまう。これが定典さんの天然なんだろうか……。
「君のところに、『ヒカル』を名乗る人物からメッセージが届いていたと思う」
「ヒカル……あ、はい、確かに、僕のところにメッセージ、来てました」
意外な名前に、さらに戸惑う。
「……ヒカルの正体は、私だ」
「……ええーっ!」
予期せぬ一言に、大声を上げてしまった――。
書籍化。
これらの言葉に、どれだけ憧れたことだろうか。
俺が初めて小説を書き始めたのは、小学校六年生の時からだった。
『小説家を目指そう』に投稿を始めたのは、中学二年生から。
初投稿から三年、幸運にも、『箱入り娘 俺がまとめて守ります!』という、総合一万ポイントを越える作品を書くこともできたが、それでもある一定以上は伸び悩み、諦めかけていた。
何度、夢の中で、書籍化の知らせを受け取り、その夢が覚めてガッカリしたことか。
文字通り、夢にまで見たその三文字が、実際に手の届くところまで来ている……。
「……それって、本当の話なのか?」
「うん、もちろん。ただ、運営の人からは、『詐欺の可能性もないとは言えないので、注意してください』とは書かれているけど」
「詐欺、か……それは怖いな……ちなみに、どこの出版社?」
「美海辺出版、って書いているけど……」
「……それって、結構有名じゃないか! そんなところから本当に来たのか……」
「どうなのかな、私、初めてだからよく分からないの……あ、和也君に転送するね」
ここで一旦電話を置いて、彼女からのメールを待つ。
ほんの二、三分だったと思うが、やけに長い時間に感じた。
そして赤い文字でダイレクトメッセージが届き、はやる思いでそれを開いた。
すぐに、彼女から電話がかかってくる。
「……どう、届いた?」
「ああ、今見ている……本当だ、美海辺出版って書いている……担当者の名前とかもあるし、何より運営を通している時点で、誰かのイタズラとかじゃなさそうだ……」
「……やっぱり、本当なんだ……ねえ、どうすればいいの?」
声色から、瞳は相当混乱していることが分かる。
「どうって、書いてあるとおりにするしかないな……『了承頂ける場合は期日までに連絡を』、か……。『未成年の場合、保護者の承諾が必要になります』……まあこれも当然だな……」
常識的な範囲内で、しかし、分かりやすく注意事項が書かれている。
ただ、共同執筆している場合についての注意書きはない。これに関しては、個別に問い合わせをするしかないだろう。
「……ねえ、どうすればいい?」
瞳から、また同じ質問が投げかけられた。
「……とりあえず、この『保護者の承諾』っていうところが問題だろうな……これが得られなければ、先に進められない」
「……うん、やっぱりそうだね……」
「君の両親は、趣味で小説を書いていることは知っているのか?」
「うん、それは言ってるけど、家族ではお姉ちゃんぐらいにしか見せたことはないよ」
「なるほど……学生のちょっとした趣味ぐらいにしか思っていないんだろうな……それがいきなり、『出版』なんて話ししたら、どうなるかな……」
「多分、ビックリすると思う……別に変な小説じゃないし、反対はされないと思うけど……とりあえず、相談してみる!」
「ああ、また結果、教えてくれ」
「うん!」
最初の困惑からは抜け出したようで、かなり元気にはなっていた。
ただ、気になる点としては、瞳の両親がかなり厳しい、ということだったが……。
……一時間が経過し、九時を過ぎたが、連絡はない。
さらに一時間経過、十時を回ったが、いまだ連絡はない。
長い……揉めているのか……。
と、ここでようやく瞳から電話がかかってきた。
「……も、もしもし、どうだった?」
「うん、あの……まあ、お母さんもお姉ちゃんも、凄くビックリして、喜んでくれたんだけど……」
「……だけど?」
「お父さんが……お父さんも、凄いじゃないかって褒めてくれたし、勉強に支障が出ないのであれば、趣味の延長としていいだろうって言ってくれたんだけど……」
「……だけど?」
彼女の、何か引っかかる点があるような言い方に、続けて同じ返答をしてしまう。
「その……共同執筆者がいて、それが同い年の男の子だって言うと、急に表情が変わって……」
……なんか、嫌な予感……。
「それで……正直に、春休み中と、その後の土、日に図書館で会ってたって話しして……あ、でも、お姉ちゃんが、『おばあちゃんの通夜に来てくれた男の子だよ』ってフォローしてくれて、ああ、あの子か、って言う話にはなったんだけど、こそっと、結構頻繁に会ってたっていうのが引っかかっているみたいで……もちろん、交際している訳じゃないって言ったんだけど……」
俺と彼女の両親は、あの通夜の時に会っていた。
厳格そうなお父さんで、ちょっと怖そうに見えたのをはっきりと覚えている。
「……だ、だけど?」
「その……一度、連れて来なさいって……」
――サッと、血の気が引くような思いだった――。
翌日。
土曜日のこの日、俺は、伊達家を訪れていた。
早朝、母親には簡単に事情を説明していた。
書籍化の話は、正直、まだあまりピンと来ていないようで、そういう文集みたいなもののコンテストに入選したぐらいにしか思っていないようだった。
それよりも、共同執筆している同い年の女の子がいること、それが病室で一緒だった子で、休日の度に会っていたことの方が意外だったらしい。
さらに、その子の家を今日訪れることと、彼女の名前と住所を伝えると、
「名家のお嬢様じゃない!」
と、一番驚かれた。
もうすぐ家を出ることを伝えると、
「そんなところに、私服で行くなんてとんでもない!」
と、制服であるブレザーに着替えさせられた。
母親もついて来かねない勢いだったが、さすがに話がややこしくなるので置いてきた。
伊達家を訪問し、まずはおばあさんの遺影のある仏壇に線香をあげて、その後客間に通された。
瞳とその両親、お姉さんが揃っている。
おじいさんは最近ずっと体調を崩しており、屋敷の奥で寝ているということだった。
「和也君、今日学校だったの? 帝大付属の制服、かっこいいね」
と、瞳の姉である泪(るい)さんが褒めてくれた。
わざわざ着替えてきたことは伏せて、お礼だけ言っておいた。
客間は純和風といった感じで、高級そうな大きな座卓があり、座布団が用意されていた。
彼女の父親、母親、姉が並んで座り、その対面に、俺と瞳が同じく並んで座る。
あまり正座をしたことのない俺だったが、この雰囲気の中ではあぐらをかく訳にはいかない。
たぶん、俺が相当緊張した顔をしていたのだろう、泪さんが笑いながら、
「結婚の申し込みに来た訳じゃないんだし、もっとリラックスしていいのよ」
と、冗談を言ってくれ、ちょっと緊張がほぐれる。
彼女のお母さんも笑顔だし、お父さんは苦笑い、といったところか。
そしてそのお父さんが真顔になって、
「瞳の父親の、伊達定典(だてさだのり)です……君と会うのは二回目だったね」
と挨拶してくれた……って、戦国武将みたいな名前に、厳格さがにじみ出ているような容貌で、ちょっと怖い。
「はい、おばあさんのお通夜の前に、思いがけず訪問させて頂いて以来です。加賀和也と申します」
自分ができる精一杯の丁寧な言葉を述べる。
すると、隣の女性二人は
「しっかりした男の子ね……」
と、感心してくれた。
定典さんは大きく頷き、
「……うむ、さすがに小説が出版されるほどの文章を書くだけのことはある。瞳だけでは到底そんなことはできなかっただろう……実際のところ、ほとんど君の功績なのじゃないのか?」
と褒めてくれたが、
「いえ、とんでもないです。自分だけで書いた小説もあるのですが、まったく受け入れてもらえていませんでした。瞳さんのすばらしい発想とストーリー展開があったからこそ、編集の方にも目をつけてもらえたんだと思っています」
俺は本音を言ったのだが、隣で瞳は
「そんなでもないんだけどね……」
と照れ笑いをしていた。
「ふむ……想像以上にしっかりしているな。だが……たしかに出版社の方に認めてもらえたというのは光栄な事だろうとは思うが、それと同時に、出版などというのは、まだ早いようにも考えている。学生の本分は、やはり勉学ではないだろうか」
定典さんの厳しい一言に、場が凍り付く。
だが、事前に瞳から、そんな懸念を持たれているという情報は得ていた。
「はい、それはそう思っています。けれど……僕は部活には入っていませんが、文武両道で頑張っているような生徒もいます。僕はそれに負けないように、頑張れると思っています」
「……なるほどな……だが、出版となるとお金が入ってくることになる。それに実際に、本として全国の書店に並ぶわけだろう? さっきも言ったように、それ自体は名誉なことなのだろうが、夢中になりすぎやしないかと心配しているんだ。そこが、親としては、まだ早いのではないかと懸念している点だ」
「……たしかに、僕自身も驚いています。こんなに早く、夢の扉が開かれるとは思っていませんでしたので。でも、だからこそ、道を見誤らないように努力していこうと考えています。明確な目標ができたことで、より一層努力できると思っています」
「……つまり、さっき言った両立ができる、ということか……確かに、君ならしっかりしているからできるかもしれないが、瞳、お前はどうだ?」
「……私も、頑張ります! 勉強も、小説も両方!」
彼女も真剣だ。
「……それが例えば、高校の文学部で賞を取るため、とかであれば私も両手を挙げて賛成しただろう。けれど、商業出版ということは、仕事だ。つまり、失敗すれば大勢の人に迷惑をかけることになる。その責任は感じられているか? 重圧に耐えられるか?」
定典さんの重い言葉に、瞳は口を噤(つぐ)む。
そして彼の視線は、俺に向けられた。
「……確かに、今までに無い責任を負うことになると思いますし、そのプレッシャーは感じています。でも、遅かれ早かれ、経験することだと思っています。出版の話が出た時に、それは覚悟していました。そんなときに、先月テレビで見た場面を思い出しました。ある芸能人……アーティストが、卒業式のゲストとして呼ばれたときに、卒業生に言葉を贈っていたのですが、それに感銘を受けたんです」
「……ふむ、どんな言葉を?」
「夢を叶えるために、高い志を持ち、強い意志を貫き通せ、と……」
「……ほう……」
定典さんは少し顔をほころばせ、深く頷いた。
「だから、僕はその言葉を胸に、夢に向かって、瞳さんと一緒に努力していくつもりです。ですから……どうか、僕たち二人の夢を、認めてください!」
そう言って、頭を下げる。
「……お願いしますっ!」
すぐ隣で、瞳も同じように頭を下げているのが分かった。
「……そんなにかしこまらなくても構わないよ。二人とも、頭を上げて……いいだろう、和也君となら大丈夫だ。二人で精一杯、やってみなさい」
その言葉に、頭を上げた俺と瞳は、お互いの顔を見て頷き、喜び合った。
瞳はこころなしか、目に涙を浮かべている。
「……和也君、君の言葉は聞くものの心を打つ……そういう文章も書けるのだろう。君なら、立派な小説家になれる。どうか、娘を引っ張って行ってほしい」
「……はい、ありがとうございます! 精一杯努力します!」
「うむ。ふつつかな娘だが、幸せにしてやってほしい」
「はい、絶対に幸せにしてみせます……えっ!?」
自分で発した言葉の違和感を感じ、あたりを見渡す。
すると、満足げな表情の定典さんはともかく、瞳と、お姉さん、お母さんは、目を点にして固まっている。
「……あの、お父さん……私達、まだ、付き合っている訳でもないんだけど……」
瞳が赤くなりながら、そう言葉にした。
「うん? ……ああ、そうか。すまない、ちょっと予行演習みたいに考えていたからな……」
照れたようにそういう定典さんの言葉に、女性三人は、一斉に吹き出すように笑った。
「もう……またお父さんの天然が炸裂したね……」
泪さんも、瞳と同じく泣き笑いしている。
そうか、定典さん、見た目はちょっと怖いけど、天然だったのか……。
「……でも、この際、交際も認めてもらったら? 『まだ』ってことは、少なくとも瞳は好きなんでしょう?」
優しそうなお母さんが、娘にそう促した。
すると彼女は、真っ赤になって、小さく頷いた。
その、とてつもなく可愛いらしい仕草に、俺も顔が熱くなるのを感じながら、同じように頷いた。
「……まあ、いいだろう。高校生らしい健全な付き合いをするように」
定典さんの一言に、心がすっと軽くなった。
そして嬉しそうに、恥ずかしそうにしている瞳と目があったが……照れてしまって、お互いずっと見続けることができなかった。
その様子を見た泪さんが、
「えーっ、ずるい! 私の時はあんなに反対されたのにっ!」
と文句を言っている。
「その前に、家に連れてきなさいって言ったのに、連れて来なかったじゃないか」
「……娘の父親にそんな言い方されたら、男の子はなかなか来られないよ」
「だが、和也君は来てくれた。その違いだろう?」
「……だって、あのときとは状況が……って、もういいけどね……」
泪さんは、ちょっと拗ねていて、それがまた笑いを誘った。
「和也君は好青年だよ……ただ、男同士、ちょっと二人だけで話がしたい。みんな、席を外してくれないか」
定典さんが真剣にそう言うと、また場の雰囲気が変わった。
「……大丈夫だ、俺は今言ったことを覆したりはしない」
女性陣は顔を見合わせ、母親が代表して、
「……じゃあ、私達、お祝いの食事用意しているから、終わったら来てくださいね」
と、揃って部屋を後にした。
そんなの、用意してくれるんだ……。
いや、それより、このお父さんと二人っきりという状況は、全く想定していなかった。
いきなり殴られたりするんじゃないかと、ちょっと過剰に緊張してしまう。
それを察したのか、定典さんは、笑顔で切り出してくれた。
「いや、大したことじゃあないんだが……実は私も、小説家を目指していたことがあるんだ」
「……えっ、お父さんも、そうなんですか?」
ここで『お父さん』っていう言葉を使って、あっと思ったのだが、定典さんは気にしていない様子で言葉を続けた。
「ああ。結局、その夢は叶わなかったのだが……まあ、それでちょっとひがみみたいなものがあったのかもしれない。それで、君に謝らなければならないことがあるんだ」
「……僕に、ですか?」
話しの展開が読めず、とまどってしまう。これが定典さんの天然なんだろうか……。
「君のところに、『ヒカル』を名乗る人物からメッセージが届いていたと思う」
「ヒカル……あ、はい、確かに、僕のところにメッセージ、来てました」
意外な名前に、さらに戸惑う。
「……ヒカルの正体は、私だ」
「……ええーっ!」
予期せぬ一言に、大声を上げてしまった――。