ピアノの怪

文字数 4,560文字

夏休みの直前の金曜日、私は美術部員の私は顧問の先生から頼まれていたとおり、美術室で備品の確認や消耗品の在庫数のチェック、部員の作品整理に忙がしくしていました。

そんなとき、友人の白井ユリがやって来て私の都合も効かずに興奮ぎみに話し始めました。

私は「今そんな暇ないって」と私が言っても、彼女はいつもどおり「いいネタが入った」といって話しを続けました。

彼女は怖い話がとにかく好物で、インターネットで見つけて興味が引かれた投稿や、人づてに聞いた誰かの体験談をよく私に聞かせるのです。たいてい信ぴょう性が疑わしい話なのですが、その日彼女が持ち寄ってきたのは匿名の何処か遠くの話ではなく、私たちの通う雛城高校にまつわる七不思議の一つでした。

彼女が言うには、我が校の七不思議は時代が移り変わるに合わせて幾つか内容を変遷させてきたらしいのですが、音楽室に関する怪異は常にその中にレギュラーとして含まれており、昔から変わらず「ピアノの怪」と呼ばれている、ということでした。

この「ピアノの怪」の基本の話は、学校の音楽室にあるピアノが、夜中に勝手に鳴るというものです。そしていま現役で語られている「ピアノの怪」の内容は、雛城高校の音楽準備室にある予備のピアノに付いての話らしいのです。そのピアノは古くておそらく昭和の中頃に作られたものらしく、少なくとも40年以上はこの学校で使われているグランドピアノということでした。

そのピアノは普段はあまり弾かれることもなく、目立たない音楽準備室の奥のほうに置かれて居るということです。しかし何気なく生徒が廊下を歩いていると時折、その音楽準備室の中から鍵盤を乱雑に押した時のような調子の狂った不協和音が聞こえてくるそうです。その音を聞き怪訝に思った生徒が中を覗いてみると、奥のピアノはカバーはしっかり閉められているし、中には誰ひとりいないということです。

加えて恐ろしいのは、不協和音を聞いた生徒には嘘か誠か不幸が訪れるというのです。望まない人に好かれることになったり、想い人からは突き放されたりするというのです。

私は最初それを聞いて、それが怪異ではなくて単にピアノが古いせいで劣化したピアノ線が軋んだ音が出るのではないかと思いました。室内が暑くなりすぎたか、または急に温度が下がった時に起こる家鳴りに似たようなものではないかと。

しかしユリの飽くなき好奇心は話だけでは収まらず、私は先生の頼まれ仕事を中断して半ば強引に誘われるままに音楽室へ向かいました。彼女が言うには、「私は唯一霊感がある友人」だからという理由で・・・。

私はちょっと辟易してしながらも、彼女はそんなこと我知らずと言った感じで覇気を放ちながら大急ぎで階段をのぼって3階まで行くと、廊下を西の方へ向かってその突き当りにある音楽室まで行きました。

一番奥に音楽室、その右隣に音楽準備室があり、幸か不幸かどっちの扉にも鍵がかかっていました。

ユリは「施錠してやがる」と吐き捨てるように言って、それが廊下に虚しくこだましました。

今になって言わなくてよかったと思うのですが、私は美術室の鍵が入り口上部の梁の端に置いてあることを思い出して、「ひょっとして音楽室にも予備の鍵があるかも」とそのことを教えると、彼女は背伸びしながらその辺りを手を伸ばしその辺りを弄りました。するとユリは「なにかある!」と言ってその手を引いてみると、その中にホコリにまみれた古い鍵がありました。

彼女は破顔して飛び跳ねて喜ぶと、すぐにそれを準備室のノブに差し込んみました。そして意外にも簡単に錠は9回ってあっけなく鍵が空いてしまいました。

そして私たちは防音仕様の分厚い扉を開けて中に入りました。密閉された空間はまるで時間の停まったみたいに古臭い匂いがして、私はなんだか時間が巻き戻されたような奇妙な気分になりました。そして部屋の奥の西側の壁には、がっしりしたとした古いピアノが置かれていました。

ユリは「このピアノはもともと音楽室にあったんだって。でも今はメインで使われてなくなってからずっと置かれてるっていうから、たしかに調律が狂ってるかもね」と言いました。

「確かに古いね」と応えた私は、入り口付近から部屋の中央の方へ歩いて行きました。

古いピアノに近づいてみると、なぜかお香をたいたような芳しい匂いがしました。部屋の空気の古臭さのなかで、確かにある辺りだけ明らかに異質なよい匂いが漂っていて、その匂いの源を探すように私はくるりと辺りを見回してみました。東側の壁には小型の楽器類や楽譜など備品が上下に二段ある棚にさまざま整頓されていて、その真下の床には大きな金管楽器が置かれていました。そんな中に紛れて室内用フレグランスみたいな物が置かれて居るかもとおもいましたがそんなものは見当たらず、匂いはただの気のせいかとも思いました。でももう一度その辺りに戻って嗅いでみると、確かになにかいい匂いがしてそれは確かに女性用の香水だと確信しました。

その漂う匂いに集中していた私に、ユリは「ピアノ弾いてみる?」と聞いてきましたが、私はなんとなく嫌な感じがして「やめとくよ」と断りました。するとユリは「じゃあ、私が弾いてみるよ!」と言い放って、ピアノの前にちょこんと座って黒いカバーを開けると『エリーゼのため』にを弾き始めました。

ピアノの調律は噂どおり狂っていて、明らかに音はそれぞれあるべき音階から少しずつずれているみたいでした。聞いている方も調子もおかしくなりそうなブサイクなメロディでした。

そのせいなのかわかりませんが私はその時変な気分に襲われて、ここに私たちは歓迎されておらず、そもそも入ってはいけない場所のような気がして圧迫感を感じ始めました。

すぐrに私は「やめてもうここから出よう」といいましたが、ユリはまるで聞こえないふりをしたみたいにピアノに集中して曲を弾き続けていました。そしてそのうち突然演奏が止まったんです。


私はユリの顔を窺いました。すると彼女の顔色は明らかに異変が起きていて血の気が引いて目は焦点が合っていないようでした。

彼女は「あれ・・・?」とつぶやきながら指は鍵盤から少し離れた場所で中に浮きながら微妙に震えていました。まるで鍵盤を必死に押そうと頑張って手を動かそうとしているようにも思えましたが、彼女の手はまるで操り人形みたいに釣られているかのようでした。

そして突然ピアノが大きな音を立てて不協和音を鳴らしたのです。

それは誰かが明らかに力を使って鍵盤を叩いたような音でした。彼女も私も手を触れていません。ユリと私は思わず息を呑みました。私たちは唖然としてその場に硬直するのみでした。

私は自分の心臓が高鳴っていくの感じながら同時に背筋に悪寒を感じ、それは背中を頭に向かって駆け上がっていっていって頭上へ抜けるのを感じました。そして私は反射的にピアノから一歩後ずさりすると、ユリも椅子から飛び跳ねるように立ち上がりました。

そして私たちの間を冷たい風が吹き抜けていきました。防音設備のある密室で外窓も扉もしまったままの室内でそんなことは在り得ないとわかっていますが、確かに何かが吹き抜けていったのです。もちろん室内に私たちの他に誰もいません。

そんな中で今度はカタンという何か小さな物音がして、それが聞こえてきた方を見ました。よく見るとピアノ側の上方にある棚の上に伏せられた状態の写真立てがあることに気づきました。

どのくらい長い間その状態だったのかホコリが積もった写真立てを立て直してみると、中にはメガネをかけた中年男性のポートレイト写真が入っていました。背景からして撮影されたのはこの雛城高校の音楽室のようで、その男性はカメラに笑っていましたが、なにか複雑な表情にも見えて、私にはその目の中になにか悲しげなものを感じたのです。

その写真を見ているうちに、昔に雛城高校にいたある音楽の先生についての噂話を思い出しました。それは私が一年生の後半に合唱コンクールのためにヘルプで頼まれてコーラスに参加していたときに聞いた話です。

昔この学校に長年勤務して音楽を教えていたある男性教師がいて、彼はある雨の降っている朝に交通事故に遭って亡くなってしまったそうです。その先生は女子生徒たちからとても人気があって、多くの生徒が悲しんだそうです。

しかし一方で彼の死の前に、彼の教え子の一人の女子生徒が自死する事件が学校内で起きたということです。そしていつしか生徒の中である噂が囁かれるようになりました。彼は呪いによって殺された・・・・そんな恐ろしい話でした。その話を聞いたらユリちゃんが喜びそうなので私は話さないようにしていたのですが、どうもこの学校では代々生徒の中で語られてきた有名な怪談話らしいです。

学校の七不思議の『ピアノの怪』の噂と、その亡くなった音楽教師の怪談話が私の心の中で稲妻のようにリンクする、そんな感覚が走りました。

私の全身の毛が逆立って、漂っていた謎の香水の香りの謎が腑に落ちました。

「もう出よう!!」と私は叫ぶように言って、ユリちゃんの手を引っ張って準備室からすぐに出ました。逃げる途中にもピアノの音色が後方から聞こえていました。その音は調律が狂ってなく美しいメロディーでした。どこかで聞いたことのある悲しい旋律で確か昔に流行った曲だったと思うのですが、曲名が思い出せませんでした。

マイナーコードで奏でられるアルペジオのスローバラードできたが、私たちは廊下を駆け抜けているうちにその旋律は遠くなり、そのまま駆ける速さを落とさずに校舎を飛び出てみると、外は雨が降りはじめてました。私たちは雨に濡れながら校門を早足で出ました。

そこまで来て少し安心したのかユリは「指が動く」と言って掌を開閉していて、私も少しホッとしました。私たちは校舎を振り返りながら顔を見合わたあと、ユリは涙目になって「ごめん」と私に一言謝りました。

「もう大丈夫?」と私が尋ねると、彼女はバツがわるそうにして「実はさ・・・あのピアノは呪いがかけられていて、誰かが弾くとその人の指が動かなくなるんだって。試しに弾いてみたんだけど本当に動かなくなっちゃった。マジ怖かったよ!」と言いました。

私は内心、その噂はちょっと違うよ、と思いながらもそれを胸にしまったまま「そうだね」と頷いてそのまま私たちは学校を後にしました。

結局その後数日おかずにユリは「あの時やばかったね!」と言って笑い話にして、懲りた様子はなかったのですが、それ以来私たちは特に用事もなく音楽準備室に入ることはありませんでした。

私にとってはこの体験は怖い思いをしたというよりも、切ない思いが先に立ちます。ピアノが勝手に鳴らした旋律を思い出すと、なぜか今もとても胸が苦しくなります。

間もなく桜が咲きはじめて新入生が入ってくるでしょう。もしかすると彼らの中に私たちと同じように近い未来この雛城の校舎で在り得ない経験をする人が居るかもしれません。そしてピアノにまつわる噂が新たに言い伝えられるでしょう。だからどんなに時間が経ったとしても7つのうち『ピアノの怪』のエピソードだけずっと変わらず雛城高校の七不思議の一つとしてこれからも数えられていくのだと思います。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み