第5話 回帰

文字数 4,179文字

 救急車で運ばれた莉央は、ICUつまり病院の集中治療室に入ったが、生還することはなかった。
 
 彼女は死んだ。
 僕は、現実をすぐに理解することはできなかった。
 路上で彼女と僕がトラブルに巻き込まれていたことを認識していた警察官を通じ、所轄の警察署
から刑事も病院に姿を見せた。
 刑事は僕や駆け付けた彼女の母親、それに彼女の担当医から聴取をしたが、死因は彼女の持病の
悪化と分かり、早々と帰って行った。

 彼女の母親にも刑事にも、僕は本当の事を言わなかった。言えなかった。
 彼女、星莉央と三日間一緒にいた、ということについて。
 僕は、偶然路上で会ったのです、と嘘の説明をしていた。
 僕を覚えていた彼女の母親からは、また助けていただき感謝します、とお礼まで言われた。
 僕は、なんて情けない男だ、と繰り返し心の中で自分を責めた。

 莉央は心臓に疾患があった。
 病状悪化で近々入院する予定でした、と彼女の母親は涙ぐみながらも僕に説明した。
「娘は、あなた様に会いたい、会ってお礼を言いたい、と言っておりました。亡くなる前に南様に
偶然出会えて、あの子も、さぞ嬉しかったことだろうと思います」
 我が子の急逝に直面しても、気丈な女性だった。

 母親はこうも言った。
「娘はあなた様に会えるような自分になる、身も心も変える、と常々話していました」

 僕は、そうか。それで真面目系女子に変わっていたんだ、と納得できたものの、このときの
 僕は自分の体が宙に浮くような抜け殻状態で、簡単なお悔み言葉だけが口から出ていた。
 
 倒れたとき莉央の髪から落ちた、スワロフスキークリスタルが一粒付いた「ボールピン」を、
僕は彼女の母親に差し出したが、母親は、南様にお持ちいただければ、と僕に預けてくれた。
 これが彼女、星莉央の形見となった。僕は、遺体になった彼女と対面することはなかった。

 病院の受付ロビーで椅子に座り、僕は泣いた。嗚咽の声を病院関係者は聞いただろう。
(母さんが死んだときも、これほど泣かなかったのに……)

 僕は自分の一部が消えたような、激しい喪失感に襲われていた。
(莉央、嘘だよね。ほんの少し前まで元気だったのに……)
 
 涙が枯れるほど泣いた僕は、急に彼女の筆記が見たくなって、デイパックに収納していたノートを
取り出し、この三日間でノートに残った彼女の言葉を見て読んだ。

 ページを繰るうちに、僕は彼女の新しい筆記に気がついた。
 昨夕、僕が自宅で入浴していたときに、彼女はノートに文章を記していた。
 入浴後は、ホワイトボードで筆談をしたので、僕はノートを見ていなかった。
 二人の筆談ページの後に、彼女は自分の気持ちを残していた。


 ☆南颯さん。
  二日間、ありがとう。
  明日で最後です。明日もよろしくお願いします!
  いろいろと私は、わがまま言って、ごめんなさい。
  どうしてもあなたと一緒にいたくて、自分の主張を押し通してしまいました。
  事情があって、私は長く生きられません。
  三日過ぎたら、もう、あなたとお会いすることもないでしょう。

  私は耳が聞こえません。目の前の人の気持ちをすぐ分かりません。
  私は口で話せません。自分の気持ちをすぐ相手に伝えられません。
 
  私と違い、はやてさんは耳も口も普通です。
  はやてさんは、自分の考えを速く主張し、相手の意見も速く理解できます。
  はやてさんは、私より可能性が多くあります。
  これからも先の時代へと進んでください。経験を積んでください。

  私は、いつでもどこでも、あなたを応援しています。
  星莉央


 ノートに書かれた彼女の言葉を読んで、僕の枯れたはずの涙は再びあふれ、滴り落ちた。
 頭の中に彼女の笑顔が浮かび、彼女の名前を呼びながら、僕はその場で眠りに落ちた。



 時間が経ち、僕は目が覚めた。
 僕はベッドに寝ていて、目に病院の病室、天井らしいモノが見えた。
(病院のロビーで眠ったらしい。病院スタッフが僕を運んでくれたんだろう。情けないな……)

 僕は体を起こそうとしたとき、足にひんやりとした感覚があった。
 自分の足を見たとき、驚愕した。
(なんだ、これ! ミニスカじゃないか! 僕がミニスカ履いてるわけない)

 さらに体を起こすと、肩から髪の毛が垂れた。
(え!? 髪の毛が長い! 長すぎる!)
 
 僕は自分の髪の毛を手で触れた。サラサラとした女子の髪の毛。手の指は細く繊細な感じ。
 混乱した僕は声を出した、はずだった。
(声が頭に響く。なんか変だ……)

 周りから音はしない。妙なボーとした感覚が耳に来ている。自分の低い声が自分の頭に響く。
 体の異変を感じ、僕は自分の胸に触れた。
(え!? 胸が膨らんでる! ……まさか)

 次に僕は下腹部をまさぐった。あるべきモノは無かった。
(嘘だろ! ……僕は女子になってる!)

 そのとき、ベッドを覆うカーテンが開いた。
 30歳ほどの女医らしい人物は僕を見て、手を動かし始めた。

(手話か…… 僕には分からないよ)

 このとき僕は、ハッと気づいた。いまの自分は耳が聞こえないのだ、と。

(これは、まさか……)

 僕は、身ぶりでペンを使うしぐさを女医に見せた。
 彼女は少し不思議そうな顔をしたが、星莉央が使ったようなホワイトボードを持ってきて、
それに何かを書いて僕に渡した。

★体は、だいじょうぶ? 気分、悪くない?

 僕はホワイトボードに返信して、すぐ女医に渡した。

☆だいじょうぶです。ここは、どこですか?

 女医は再びホワイトボードに書き込んだ。

★覚えてないの? ここは学校の保健室よ。
★あなたは廊下で具合が悪くなって、私は駆け付けて、救急車を呼ぶ? と
 あなたに訊いたら、少し保健室で休みたい、と言ってここで寝たの。

 僕は急に嫌な予感がして、女医が差し出した手を握りながら、ベッドから起き上がった。
 壁に鏡が見えた。
 僕はベッド下にあった上履きに足を入れ、ゆっくりと歩き、恐る恐る鏡の前に立った。

 僕の目に見えた自分の姿は……星莉央だった!

(僕は莉央になってる! そんな、あり得ない! でも髪の毛に、あのボールピンは付いてる)

 僕は莉央の母親に差し出したボールピンを思い出して、髪に付いてるそれに触れた。
 間違いなく、あのボールピンだった。

(これは夢か? ……コミックやアニメ、小説やドラマでは転生もあるけど……)

 女医は僕を心配そうに見て、再びホワイトボードに書いて僕に渡した。

★体は本当にだいじょうぶ? あなたのお母さんは放課後までに来るそうよ。

 女医は、壁のインターホンらしいモノを操作しだした。
 やがて看護師らしい女性が現れ、女医と会話した後、僕に体の状況を手話で訊こうとしたが、
女医からホワイトボードを手渡されたので、それにいろいろと質問内容を書いた。
 僕はそれを見て、体の状況をホワイトボードに返信した。
 女医と女性看護師は会話を始めた。

 改めて部屋を見回すと、隅に電子黒板があった。机上にはデジタルの置時計も見つけた。
 机まで行き、それを手に取った僕は、その表示を見て驚愕した。

(この電波時計……今日は一昨日だ! 莉央に出会った日だ! いまから一時間半後だ!)

 僕はそこで固まってしまった。その場で頭の中を整理した。そしてようやく理解した。

(もしこれが現実なら、いま僕の体は星莉央だ。……そうか。僕は謎が解けたよ、莉央)

 僕は再び鏡の前に行き、鏡に映った彼女の顔を見ながら、心の中で語り続けた。

(僕が出会ったキミは、キミの体に入った僕だったんだ。そういうことだよね、莉央)

 振り返って見ると、女医と女性看護師はまだ会話を続けている。
 僕は鏡を見ながら、鏡に映った莉央に言葉をかけ続けた。

(僕と似たような字を書き、本に詳しい。女子の下着を選ぶとき異常に恥ずかしがる。僕のマンション
僕の部屋も知ってるような行動をとる。料理の手順は僕とそっくりだ。神保町で僕と同じ店舗を好む。
夜、僕の体を気にせず触れる。アキバで僕の好みを理解する。最後は、八卦掌まで使った……)

 僕は不思議だった。
 なぜ星莉央は、僕が青山通りにいることを知ってたか、ということを。
 理由は簡単だ。莉央は僕だったから。
 
 僕はいまの自分の服、莉央の着ている制服のポケットあちこちに手を入れた。
 スマホ、財布、身分証が入っていた。
 僕は身分証を手に取って、よく見た。

(彼女の顔写真。学校名は……この学校、聞いたことがある。ここは渋谷から近い)

 僕は改めて鏡の自分、星莉央を見た。そしてゆっくりと、心の中で語りかけた。

(キミのお母さんは、キミが僕に会いたいと。きっと、キミの強い願望が僕の意識、僕の魂を
キミの体に引き寄せたんだろう。キミは最後の三日間を僕に託したんだね。それと、精神的に
不安定な僕がやり直せるように、キミはキミの体を僕に貸してくれたのかもしれない)

 僕が鏡を見ていると、映った莉央は微笑んだ。それは気のせいだったのか……

(莉央。決めたことがあるんだ。
 僕はもう少し、先の世界に進んでみるよ。
 これから何が起きるのか。
 地球温暖化の気候変動で、環境は激変するのか。
 日本経済の危機で、国民の生活は困窮するのか。
 戦争が起き、日本は危急存亡の秋を迎えるのか。
 それとも、深刻なことは何も起きず、いまと同じ平和な日々が続くのか。
 僕は、それらを全て見てくるよ。
 そして笑顔で再会できたら、僕の体験したこと、歩んだ人生を、キミに伝えたいと思う)

 
 僕はホワイトボードを借り、女医と女性看護師にメッセージを書いた。

☆校舎を回って外気に触れたいので、下履きに履き替えるところまで同行してください。

 僕のメッセージを見た後で、女医は僕に付いてきてくれた。
 僕の下履きを用意してくれ、ホワイトボードを僕に見せた。

★一回りしたら、すぐ帰って来るのよ。

 僕は頷き、女医を見た。ちょうど彼女に声をかける生徒が来て、女医はそちらに向かった。
 僕は、あの人は養護教諭なんだな、と感じた。

 
 僕は、ゆっくりと歩いた。
 躊躇することなく、校門から外へと足を踏み出した。
 初めて見た街の景色が僕の瞳に映る。春の匂いを感じながら、深呼吸してみた。
 心地よい春風は、僕の頬を優しく撫でた。
 前をしっかりと見て、僕は青山通りを目指し、歩き始めた。

 僕に会える、あの場所へ。
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