第2話 筆談

文字数 3,051文字

 僕に抱きついたまま、女子高生は離れようとしない。
 
 青山通りを行き交う人々はどう感じるか。
『仲の良いカップルだな』
『高校生はいいね! 羞恥心ゼロで』
『羨ましい。ミニスカJKに抱きつかれて』
 たぶん、こんなものだろう。
 
 僕は繰り返し彼女に抗議した。
「キミは失礼な人だ。すぐ手を離さないとキミの腕を掴んで引き離すぞ。僕は腕力あるからキミが
ケガしても知らない」
 彼女は僕の口元を見て、悲しそうな顔をしてるだけだった。
 彼女はまだ何も言わない。

(だんまり、か。誰なんだ、このJKは……)

 僕はふと思案してみた。

(僕が強攻策に出て、この子がケガをしたら暴行、傷害になるのか?)

 でも変な話だ。立場が逆なら、いまの状況は「強制わいせつ」だろう。僕は被害者の方だ。
 
 通りに立ったままの僕たちを周りの人々は「見て見ぬふり」だ。
 誰も何も言わない。日本人は、そんなものかもしれない。
 春の香りが漂う洗練されたこの街で、僕たち二人の空間だけは異質な別次元だ。
 両手を封じられていない僕は、スマホを服から取り出し、最後の警告をした。

「すぐ離れないと、警察に通報するよ」

 それでも彼女は悲しそうな表情で僕を見つめるだけで、離れない。
 次の瞬間、彼女は声を出した。低い苦しそうな声だった。

(風邪でもひいてるのか? でも具合が悪そうには見えない……)

 彼女は何度も何度も、わけわからない声を出した。
 僕は急に、あることが頭に浮かんだ。

(このJK、耳と口が不自由なのかもしれない)

 僕は、右手で何かを書く仕草を、彼女に見せた。
 彼女は嬉しそうにうなずいた。
 彼女は僕を抱きしめていた両腕を放したが、間髪を入れず、再び両腕で僕の左腕にしがみついた。
 ようやく歩けるようになったが、僕に張り付いている状況は同じだ。
 彼女が手を離したら、すかさず遁走しようと考えたが、残念なことに僕の目論見は頓挫した。

 青山通りのど真ん中から少し離れた場所に移動し、神宮外苑のベンチに二人で座った。
 早速、僕はデイパックからいつも持ち歩いてる大き目のノートにメッセージを書き、彼女に見せた。

 ★キミは誰なのか?

 彼女は僕の左腕から右手だけ放し、左手でしがみついたまま、右手でペンを握り文章を書いた。

 ☆私は星莉央です。いまの私は耳が聞こえず、言葉もうまく話せません。

(驚いた。このJK、僕と似たような字を書く)

 耳と口が不自由という説明に、やっぱり、と僕は納得したが、最も重要なことを問いただした。
 僕の書いた文字を見て、彼女はすぐノートに返信、書き込んで僕に渡す。その繰り返しだ。

 ★なぜ僕に抱きついたのか?
 ☆あなたに会いたくて。ようやく会えました。私は明後日まで、あなたと一緒にいます。
 ★明後日まで? 冗談だよね。
 ☆冗談ではありません。本当です。私には時間が無いんです。
 ★時間が無い、って、どういう意味?
 ☆まだ言えません。そのうち分かると思います。
 ★いますぐ僕がキミを振り切って逃げようとしたら、どうする?
 ☆あなたは優しい人だから、私の希望をかなえてくれると信じています。
 ★それは買い被りだよ。
 ☆本当のこと、事実です。

 僕は彼女を見たが、彼女はニコニコしながら僕の腕にしがみついたまま。
 僕はあることを思いついた。それでノートに書いた。

 ★キミは僕のことを知っているのか?
 ☆はい。知ってます。私は一年前、街中であなたに助けていただきました。

 僕は、あのときの? と独り言をもらした。

(半グレに小突かれてたヤンキーJKか……?)

 あのときの彼女は髪を染め、耳にイヤリングかピアスを付けていたが、いまは違う。
 ミニスカではあっても清楚な雰囲気が漂う、真面目系女子、に見える。
 僕は彼女に通告した。

 ★僕から離れないと警察に通報するよ、と決めたらどうする?
 ☆困ります。やめてください。私、あなたのそばにいるのは三日間だけです。
 ★朝から晩まで僕と一緒にいる、ということ?
 ☆はい。
 ★無理だよ。キミのご両親も許さないだろうし。
 ☆父と母は関係ありません。私には時間がないので、許可がどうこう言ってられないのです。

 僕は、警察に通報するしかないな、と感じたが、彼女の顔を見て、急に頭の中で妙案が浮かんだ。

(そうだ。質問を三つ、四つして、それに回答できなければお引き取り願おう。どう考えても、普通のJK
には、100パーセント分からないものがいい。そう。それがいい。これで終了だ)

 僕は彼女を見て、提案をしてみた。
 ★僕は本が好きなんだけど、特に文学や書誌関係に関心は強い。キミはどう?
 ☆私も本は大好きです! 本の世界のこと、いつも調べてます!
 ★本好きの僕に相性のいい子か、いま訊きたいことあるのだけど、いい?
 ☆はい。どうぞ。
 ★これから、四つ質問するから。そのうち一つでもキミが正解なら、キミの希望通りにする。もしキミ
が一つも答えられないのなら、僕から離れ、すぐ退散してもらう。これでどう?)
 ☆はい。それでいいです。

 彼女は全く動じない。余裕しゃくしゃくに見える。
 
(まあ、絶対答えられないけど、ね)

 僕は、最初から超難問をノートに書き込むことにした。

 ★大逆事件は知ってる?
 ☆はい。無政府主義者が処刑された事件です。
 ★幸徳秋水も知ってる?
 ☆はい。思想家、ジャーナリストです。
 ★幸徳秋水が半ば秘密出版して、石川啄木も読んだのではないかと言われる本の書名は何?
 ☆ピョートル・クロポトキンの『麺麭の略取』です。

 僕は言葉を失った、と言うより、脳天に一撃を食らった心境になった。

(もう正解って? このJK、何者なんだ。僕は初戦で敗北か……)

 気を取り直して、僕は彼女に質問を続けることにした。

 ★キミは正解したから、約束通り、キミの言う通りにするよ。
 ☆ありがとうございます♡
 
(うわっ! いきなり♡か。完璧「彼女」気分だな、このJK)

 ★他にも訊いていい? 次からの質問に答えられなくても約束は守るから。
 ☆はい。どんどん訊いてください。
 
(本当に余裕だな)

 ★エドガー・アラン・ポーが自費出版した稀覯本の書名は?
 ☆『タマレーン、その他の詩集』です。
 ★北原白秋の実在を疑われている幻の本の書名と、その特徴は?
 ☆書名は『わすれなぐさ』です。これは宝石入り本で、ダイアモンド嵌め込みの本もあったそうです。
  
 僕は焦燥感があふれてきたものの、最後に勝負してみた。

 ★ウイリアム・モリスを知ってる?
 ☆はい。美術工芸家、詩人、社会主義運動家です。
 ★モリスと対立し、意趣返しにモリスを揶揄するような挿絵を描いた画家の名前と、その書名は?
 ☆オーブリー・ビアズリーです。『アーサー王の死』で挿絵を描きました。デント社が出版してます。

 ここまでで、僕は完全なる敗北を悟った。

 結局、彼女は僕と行動を共にすることになった。三日間も、だ。
 まず僕の自宅へ戻ることになったが、帰路の途中でスーパーに立ち寄り、僕の部屋に滞在する間の下着や
スウェットトレーナー、それに歯ブラシセットなどを、彼女は購入した。
 下着を選ぶときに、僕に付き添いを強く頼み、選んでる途中はなぜか、すごく恥ずかしそうだった。

 (女子って、こんな感じか……)

 「彼女いない歴17年」の僕には、新鮮さより摩訶不思議の世界に見えた。

 この日の夜。僕は、再び大問題に直面することになった。
 彼女が、僕と一緒に寝る、と言い出した(正確には筆談用ノートに書いた)からだ。
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