電話ボックス

文字数 3,260文字

  海が嫌いだ。
 嫌いになるような出来事があった覚えはこれといってない。それでも物心ついた時にはもう嫌いだった。あのベタベタした潮風だとか、靴から髪の中に至るまで勝手に潜り込んでくる砂だとか、独特の匂いだとか、そういうもの全てが性に合わなかった。特に夏の海。ひとが多くて、そこら中から漂ってくる食べ物やオイルの匂いが浜の匂いと絡み合って訳が分からない化合物と化し、うっかりしていると後で酷い日焼けに泣く思いをして、海沿いの国道はずっと渋滞していて、景色が頭の中に浮かんだだけでうんざりした。


 そういう私が、なぜだか水族館は好きだ。展示される側にしてみればたまったものではないだろうとは思う。思うのだが、それでもあの薄暗くて、静かで、人気が少ない建物の中で見る海の生き物たちは、不思議と私の心を捉えて離さない。最近はナイトミュージアムなどという企画まであるらしく、そのうち行けたらいいなあと思うくらいに好きだ。


 話は変わる。何十年も前の話。
 若かった私は夜中によくふらふらと外を出歩いた。理由はあったり、なかったり。ある場合の筆頭が、電話。当時は携帯電話なんてものは一般的ではなく、固定電話を使うのがふつうだった。リビングに鎮座した電話機を使っての夜中の通話は、どれだけ声を押し殺したところで寝ている家族を起こしてしまう。長くかければ電話代だって気になった。
 そんなわけで、深夜にどうしても電話したい時は自然と外へと足が向かった。目的地は電話ボックス。あの頃、電話ボックスは、街中の見慣れた景色のひとつだった。
 とは言え私が電話したい相手は残念ながら一人暮らしのひとはほとんどいなかった。ということは、相手は私からの電話を私が逃げ出してきたような環境下で受けることになる。それとは逆に、相手が不在ということだってあり得た。その場合、私は相手の家族からの冷たい声にさらされた挙げ句、話したい相手と話すこともできないのだ。結果、電話ボックスの中へ入ったのは決して多くはなかったと思う。ただぼうっと眺めていただけのことがほとんどだったはずだ。

 私が深夜に足を向ける電話ボックスは家からすぐの公園の中にあって、電話ボックスが見える位置にベンチもあった。夜中、その電話ボックスが使われていることは皆無に等しく、無人の電話ボックスは公園の中にぽつねんと立っている。木々の緑と夜の闇に包まれる中、電話ボックスの明かりは私の目に眩しかった。それは夜の街を彷徨うひとを導く灯台のようにも見えたし、『夜』という海に住む生き物を飼う水族館のケースのようにも見えた。
 ベンチに腰掛けて電話ボックスを見ていると、色々なことが頭に浮かんだ。かける電話の向こう側にいるはずのひとの顔。声。仕草。周りの景色。反対に、あの中に入った私はどう見えるのだろう。迷子? それとも水族館のケースの中で泳ぐ魚のようだろうか。いやいや、溺れかけている遭難者、かもしれない。
 実際、夜中に電話をしたいだなんて、何かに溺れてでもいるのと大差なかっただろう。口にせずともそういう気持ちを共有していた女友達は、夜中に電話なんかしなくても夜中になる前に迎えに来てくれ、毎晩のように彼女と海沿いの道をドライブしていた時期もあった。

 公園に足を踏み入れた私はポケットの中の財布を握りしめる。中には、崩しておいたたくさんの小銭。それでも、どれだけ用意していても、かければすぐに消えてなくなってしまう。電話が繋がった瞬間、時間との戦いになるのだ。
 そのくせ電話が繋がって、相手の声が受話器の向こう側から流れてくると、途端に私の中から言葉が消え失せた。すぐに消えてしまうのは小銭だけではなかったのだ。それが分かっているから、なおさら電話ボックスの中に入れなかった。
 真夜中の公園で、電話ボックスが誘蛾灯のように私を誘う。誘われるまま入れればいいのに、と思う。捕まって出られなくなってもいいではないか。中が幸せであるならば。幸せならば、ずっと入っていたいとすら思うだろう。
 残念ながら、幸せ、と思えることはほとんどなかった。だからといって、幸せになりたいとも思っていなかった。そもそも幸せとはどういうことか、分かっていなかった。

 電話にコインを入れる。コインが落ちる音が夜に響く。電話が繋がり、私の耳元に聞きたかった声が届く。その時の私は、繁華街のネオンにも負けないくらいの色鮮やかな熱帯魚だろうか。それとも夜の底深くを這うように動く深海魚だろうか。ベンチに座って眺める深夜の電話ボックスは、照明の当たる水族館のケースから昏くて深い海の底まで、言葉のない世界を私に繋げてみせた。


 時は流れ、今の私は立派な中年だ。体型や健康が気になる昨今、時間を作って夜、走るようになった。走るコース途中に電話ボックスがある。電話ボックスは今では少なくなっているらしい。走りながら、時に私の心は電話ボックスへと向かう。そうして電話ボックスが繋ぐ、夜の海を泳ぐ。嫌いなはずの海を。
 どうして泳ぐのか。トライアスロンに挑戦したいわけではない。届けたくて未だ届けられていない言葉、深海にまで潜ってでも引きずり上げて通話口の向こう側に届けたい言葉を掴むため、だ。かつての私が財布を握る。繋がった瞬間、伝えたい伝えようと思う言葉を心の中で握りしめる。どれだけ事前に握りしめても、でも、それらの言葉をきちんと口にできた試しがなかった。大切な言葉ほど言えなかった。
 今でも大切な言葉を舌の上に乗せようとする時に限って、私の口は動かなくなる。どうでもいいおしゃべりならいくらでもできるのに。携帯電話でアプリを使えばいくらでも無料で直接相手と通話できる時代になったというのに、私のそういうところだけは変わらない。
 ただ、今の私はきっと幸せだし、もっと幸せになりたいとも思っている。そうして、言葉を口にできないのであれば、短くていいから文字として記せばいいのではないかとも考える。

 文字を送る手段など手紙しかなかったあの頃からすると、今は書き言葉もびっくりするくらい手軽になった。こんなにも容易く気安く文字も送れるようになるだなんて、あの頃、一体、誰が想像できただろうか。
 入力した文字がスマホの画面上で光る。画面上の言葉は手書きの文字とは違い、目に眩しく、うつくしい。それなのに、どうしたことだろう、やっぱり私は送ることができないのだった。届けたいのに。伝えたいのに。かつて財布を手にしていた私は、今はスマホを持ったまま立ち往生する。文字通り、伝えたい言葉を握りしめた私が立ち竦む。
 そんな私の背中をスマホが再び後押しする。
 言葉を口にして言えないのなら。言葉を文字にしても送れないのなら。会いに行けばいい、今すぐに。行って、何ひとつ言えなくても構わない。行って、文字ひとつ見せられなくても構わない。ただ行けばいい。スマホがそう私に語りかけてくる。
 そうなのだ。あの頃と比べたら会うことだって容易になった。場所さえ分かればどこであれ、スマホが経路、所要時間までをもすぐに教えてくれるのだから。
 
 こんな年になっても私は若い時とちっとも変わらない臆病者で、こんな年になっても知らないこと分からないことばかりだ。ただ、こんな年になったからこそ、あの頃にはなかった物が私を助けてくれることもある。年を重ねると、時に思ってもみなかったことが起きる。せっかくこんなにも後押ししてもらえるのなら、ならばこんな私でもできるだけのことはしておこうかと思うのだった。
 あの頃は電話線のその先を。そうして今は、光る画面の向こう側を。もしかしたら私はただずっと夢想しているだけだったのかもしれない。怯えつつ、焦がれつつ。
 だったら、後押しの力を借りて、一歩、踏み出してみることにする。踏み出して、向こう側まで行ってみることにする。


 言葉にも文字にもできなくてもいい。ただ一緒に見たいとだけ願っておく。
 景色を。輝く夜の電話ボックスを共に、と。


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