始まりの年

文字数 2,852文字

一、

「そこまで! 」
その宣言に会場は大きく沸き上がり、闘技場の中心に一人の勝者が決まった。
「強い! やはり『英雄』の名は彼にこそふさわしい! 」
 この大会の進行を務める男が大きく声を張り上げているが、悲鳴のような歓声をあげる人々の耳にその声が聞こえているとは思えない。そんな喧騒の中心にありながら、未だ緊張と静寂の保たれたフィールドで、女は勝者をただ見上げていた。
「君」
 勝利の末英雄の名を守り切った彼は、ゆっくりと近づいてきて女に手を差し伸べる。
「強かった。今まで出会った誰よりも」
 もとより癖のある金色の髪は先ほどの仕合により乱されていた。それもこの男の美貌をもってすればとるに足らないことだ。快活そうな笑みを向けて健闘を称える模範的な言葉をしゃべる。しかし女を見つめる紫色の輝く瞳は、けして笑っているようには見えない。
 これは女の被害妄想であるのかもしれなかった。
確かに、嘗て大会で見てきたどんな戦士よりも己は強かったと自負がある。誰よりも彼を追い詰め、彼の実力をすべて出し切らせただろう自信は確かにあった。だが、それではダメなのだ。彼女は誰よりもこの大会で勝利を望んでいた。英雄になりたかったのかはわからない。だが、賞賛を一身に浴び英雄という名を持つ男が妬ましくてしょうがなかったことは事実だ。
「ありがとう。でも負けは負けだ。悔しいよ」
 胸に渦巻く怒りと憎しみを押し殺して、女もまた完璧な笑顔を向けた。当たり障りなく模範的な回答と共に英雄の手を取る。
立ち上がり、そのまま仕合後の握手として手を握りなおす二人に皆が拍手を送り、国中にこの結果を知らせるべく幾つものレンズが向けられていた。きっと、遠く離れた地でも皆同じように拍手を送っているだろう。
「またここで戦おう。君の名を教えて欲しい」
 男は悪意の欠片もない顔で笑う。それが当たり前であるように。
しかし女はその言葉を聞いて衝撃を受けた。まさか刃を交える相手にすら己の名が届いていないとは思いもしなかったからだ。彼の目に留まりたかったわけではない。だが英雄になりたかった。いや何か地位を得て己を認められたかった。誰かに自分を認めさせたかった。何者かになりたかった女にとって、目の前の男にすら興味を持たれていなかった事実はとどめの一撃となり、絶望に突き落とされるには十分の威力であった。
「……アノニス。私の名はアノニスだ。覚えておけよ英雄」



──嘗てこの国を災いより救ったとされる英雄。
彼は災いを治め、その後も国を守り続けたと言われている。
そんな伝承の英雄に倣い、この国を守る役割を負うのが現代まで続く『英雄』という肩書の者である。そしてそれを選定するための作業が、年に一度行われる闘技会なのだ。トーナメント形式で行われるそれは、頂点に勝ち上った一人に英雄と戦う権利を与える。そして、現在英雄の座に立つものを下した者が唯一『英雄』の座に就くというわけだ。
 そんな伝統ある大会も、そして英雄という肩書すらも、近年ではその価値を失いつつあった。それを覆し、国中に英雄の名を再び叩き付け国民に伝承の存在を呼び起こした者が、現英雄のユシャであった。
癖のある金の髪に、宝石のように美しい紫の瞳。体格は細すぎずしっかりとした体つきで、鍛えられていることは一目見ればわかるだろう。そして何より、この男の鮮烈さは強さであった。慣例通り十五歳で初めてこの闘技場に立った彼は、これまでの闘技会など生ぬるいお遊戯会であったかのように圧倒的な強さを見せ観客の心をつかんだのだ。長年英雄の座を務めた知恵も経験も体格も勝るであろう相手を下し、見事英雄の座についたまま今年で二年目となる。
 彼の登場によりこの大会は息を吹き返すように盛り上がった。皆彼を見るために闘技上の入場券を求めるようになったのだ。当然彼の力を十二分に引き出すような相手は、現れることなどなかったけれど、それでも彼の容姿があれば埋められるような欠点であった。もちろんこの復権は彼だけではなく、彼の英雄性を存分に引き出すバックのプロデュース力もあってのことだ。英雄が新しくなるのと同時期に、国が長年続けてきた大会はとある大企業へと譲渡されたらしい。そうでなければ例え英雄が変わったとてこれほどの爆発的人気も出なかっただろう。大会規約も改められ、これまで少年のみが持っていた大会参加資格は、性別に関係なく十五歳の男女全てに与えられるようになった。それでも女が参加を望むのはごく稀ではあったが。
とにかく、伝承を現在に繋ぐ闘技会は嘗て以上の熱狂を取り戻したのであった。十五歳の少年に訪れる通過儀礼として行われてきた大会も、ずいぶんと変わり今では国を彩る見世物の一つだ。



闘技場の真ん中に五人の男女が並んでいる。
大会の勝者は英雄になる。それは前述のとおりであるが、トーナメントの優勝者から以下四名は英雄の従者として選ばれる。これは大会の運営が引き継がれてからできた新たな決まりだった。それは単純に英雄の仕事を分配するためか、あるいは他の者たちも英雄に続くように人気を持たせることで収入源を増やすのが狙いであったか、それとも単なる英雄の引き立て役であるのかもしれない。
確かにこれまでの英雄がお飾りであったのに比べれば、現在の英雄の仕事は多い。テレビ出演や各メディア媒体の撮影、各地への訪問。体がいくつあっても足りない場面で、英雄一団として仕事を分配すること、また一人一人が新たな仕事を得ることができれば企業としての収入も増えただろう。しかし、その二つが目的であったとするならば、それは既に失敗しているといえる。なぜなら従者たちは皆一年で顔ぶれが一新され、英雄ほどの人気を築く間もなく姿を消すからだ。英雄がトーナメントの勝者を迎え撃つように、従者たちは次年のトーナメントでそれぞれ新たな挑戦者を迎え撃つ。徐々に大会の熱が高まり、質が向上し始めたとはいえ、まだユシャ以外の実力など大差ないお遊びのトーナメントだ。一度勝ち上った結果など簡単に覆されてしまう。結局この二年も、そして三年目にあたる今年の大会でもまた従者は一新され誰一人として継続してその地位に立つものは現れていない。これでは到底英雄の代わりは務まらない。個々の仕事を得ることも難しいだろう。となれば、今ユシャの周りに集められた四人は精々引き立て役がいいところだろうか。
結局英雄以外の肩書には何の価値もないのだ。笑顔で民に手を振る英雄の横に立ち、女は怒りを必死にこらえる。英雄の首を取ることのできなかった実力不足の己が何より憎らしかった。それでもこんなところでみっともなく感情の全てを見せてやるわけにはいかない。幸いにして女は取り繕うことも人の機嫌を取ることも、自分を押し殺し役割を全うすることも全て得意としていた。英雄に倣い愛想を振り撒きながら、手を振って見せる。他の従者に選ばれた三人の男たちが心底満ち足りた顔をするなか、女は全くと言って満たされることなどなかった。
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