十 家族

文字数 3,007文字

 人の声がする。その声は遠くなったり近くなったりする。やがて、その声が聞こえなくなり、沈黙が世界に帳を下ろす。ぼんやりとしていた視界が徐々に開けて行き、はっきりと周囲が見えて来る。

「ここは?」

 ニヤは顔を動かして言ってから、自分がじめじめと、酷い湿気に包まれている薄暗い場所に座り込んでいる事に気付く。

「お母さん?」

 背後から声がした。

「誰?」

 ニヤは言い、声のした方向に顔を向ける。

「実験体?」

 その言葉を発したのは、ニヤの体と同じくらいの大きさの、赤、黒、茶、白、桃、その他にもいくつかの色でそこかしこを染めているスライムのような物体。

「赤ちゃん?」

「お母さん?」

 ニヤの言葉に応じるようにスライムのような物体が言う。

「あそこから出た?」

 研究室にいた時の事を思い出したニヤ言った。

「うん」

 スライムのような物体が言ってニヤの傍に来る。

「おいで」

 ニヤは言うと、スライムのような物体を両手で抱いた。

「温かい」 

 ニヤはスライムのような物体が言った言葉を聞きながら、かわいい子。と思う。薄暗い闇の中から、足音が聞こえ始める。徐々に足音が近くなり、ニヤ達の傍まで来ると、足音が止まる。薄暗い闇の中から現れた一匹の大型の犬が、ニヤの目を見つめると唸り出す。ニヤの腕の中からスライムのような物体が飛び出した。犬の悲痛な鳴き声が上がり、その鳴き声がニヤ達のいる空間にこだまする。

「ごはん」

 スライムのような物体が犬だった肉塊を引きずってニヤの傍に戻って来る。

「食べよう」

「うん」

 ニヤの言葉を聞いたスライムのような物体が言い、肉塊を食べ始めた。

「名前」

 ニヤは咀嚼した肉を飲み込んでから言った。

「名前?」

「うん。赤ちゃんに名前を付けないと」

 スライムのような物体の言葉を聞いてニヤは言う。

「お母さん。名前?」

 スライムのような物体が言い、肉塊から肉をむしり取る。

「ニヤ。赤ちゃんのお父さんが付けてくれた。でも、ここにはいない。だから、ニヤが名前を付けてあげないと」

 ニヤは言ってから名前を考え始める。

「お父さん、会いたい」

 スライムのような物体が言うと、その体が変形を始める。

「うん。ニヤも会いたい。これから会いに行こう」

 ニヤは言い、周囲を見る。スライムのような物体だった赤ちゃんが三歳児くらいの姿形になる。

「人」

 赤ちゃんが言う。

「うん。よくできてる」

 ニヤは言い、赤ちゃんの頭を撫でた。

「名前?」

 赤ちゃんが言って、黒色の円らな瞳をニヤに向ける。

「かわいい」

 ニヤは言うと赤ちゃんを抱き締める。

「お母さん、あったかい」

 赤ちゃんが嬉しそうに言う。

「名前。決めた。シヤ。お父さんの名前と、ニヤの名前から一文字ずつ」

「シヤはシヤ?」

 ニヤの言葉を聞いた赤ちゃん、シヤが言い、小首を傾げる。

「うん。シヤでいい?」

 ニヤは言ってシヤの顔をじっと見つめる。

「うん。シヤはシヤ」

 シヤが言い、嬉しそうに微笑んだ。

「かわいい」

 ニヤは言ってからシヤを抱いている手にぎゅっと力を入れる。

「行く?」

 シヤがニヤの体を抱き返そうとしながら言った。

「ごはんは、もういい?」

「うん。あっち」

 ニヤの言葉を聞いたシヤが言い、右手を動かすと前方に広がる薄暗い空間を指差す。

「分かるの?」

 ニヤはシヤが指を差す方向に目を向けて言う。

「うん」

 シヤが言ったので、ニヤは、分かった。と返事をすると、シヤを抱き上げて歩き始めた。

「外?」

 ニヤは呟くように言って、足を止めた。ニヤの立っている所から数十メートル先の所に、円形に切り取られているような形をしている、今いる空間よりも明るい場所が見える。

「外」 

 シヤが言った。ニヤは再び歩き出す。水の流れる音が聞こえて来る。薄暗い空間から円形に切り取られているような空間に出ると、ニヤの眼下に月明かりに照らされた豊かな水を湛えている川面が広がった。

「ここは?」

 ニヤは言いながら足を止めて、周囲を見る。

「逃げて、この穴、入った」

 シヤが言い、ニヤの顔を見つめた。コンクリート製の大きな穴とその前に広がる川。ニヤはシヤを抱き、川の護岸の部分と穴の出口の境目の辺りに立っている。

「お父さんどこ?」

 シヤが言う。ニヤもう一度周囲を見た。

「いたぞ。あそこだ」

 男の声がし、懐中電灯の丸い光がニヤの横顔に当たると、すぐに複数の懐中電灯の光がニヤとシヤの顔や体に殺到する。

「シヤはここにいて。ニヤが、お母さんが全部殺す」

 ニヤは言って、シヤを護岸の上に下ろす。

「シヤもやる」

「分かった。シヤ。気を付けて」

「うん」

 ニヤとシヤは近付きつつあった男達に向かって歩き出した。

「向かって来たぞ。10式を前に出せ」 

 男のうちの一人が言うと、一機の10式が男達の背後から姿を現す。

「お母さん」

 シヤが足を止め、怯えた声で言う。

「大丈夫」

 ニヤは言って走り出し、男達の間を抜けて10式の背後に回ると、ハッチの部分に飛び付き、ハッチをこじ開けようとし始める。10式の両手が背後に向かって回り、ニヤの胴を掴んでニヤの体を握り潰して行く。ニヤの背骨が折れる音が響き、支えを失ったニヤの体が不自然な形に折れ曲がった。

「一体はやったか。後はこっちだけだが、こいつも頼めるか?」

 10式の方に懐中電灯を向けて、一人の男が言う。だが、10式は反応しない。

「おい。どうした? なぜ動かない」

 それがその男の最期の言葉となった。シヤが体をスライム状の物体に変えるとその場にいたすべての人間を飲み込んだ。

「お母さん。お母さん」

 シヤは人の姿に戻ると、ニヤの傍に駆け寄る。

「シヤ。ありがとう」

 ニヤは言って、10式の手の中から抜け出た。

「どうやったの?」

 シヤが10式に近付き、ハッチの部分をじっと見つめると、小首を傾げる。

「へこませて、指を入れて、こじ開けた」

 ニヤは自分が歪ませたハッチの一部分を見て言う。

「お母さん、凄い」

 シヤがニヤを見る。

「かわいい」

 ニヤは言って、シヤを抱き上げる。

「人、たくさん殺す。お父さん、来る?」

 シヤが言う。

「うん。きっと来る。そうしよう。探すのは無理」

 ニヤは搭乗者が死に、ただの鉄塊と化している10式に目を向けた。

「お母さん?」

「これ、動かせるかやってみる」

 シヤの言葉にニヤはそう応じて、シヤを足元に降ろし、10式に近付いた。ハッチを完全に開くと、搭乗者の死体を引きずり出してから、コクピット内に入りコントロールパネルや操縦桿などを触り始める。

「動く?」

 シヤが言う。

「駄目。動かせない」

 ニヤは返事をし、コクピットから降りる為に体の向きを変える。

「シヤが動かす」

「うん?」

 シヤの言葉を聞いたニヤは言って、シヤの方に顔を向けた。

「シヤがやってみる」

 ニヤはシヤの顔をじっと見つめながら、10式のコクピットの中から出る。

「どうするの?」

「こうするの」

 シヤの体がスライム状の物体に変わり、10式を包み込む。

「お母さん。乗って」

 シヤが言うと、コクピット部分を覆っていたスライム状の物体が動き、ぽっかりと穴が開いた。

「シヤ。大丈夫?」

「うん」

 シヤの返事を聞いたニヤはコクピットの中に入った。

「行くよ」

 シヤの体に覆われ、スライム状の物体の塊のようになった10式がゆっくりと歩き出す。

「シヤ。気を付けて」

「うん」

 シヤが言うと、10式の片腕が動き、背中にあるガンラックから、ベルト給弾式多銃身型機関銃を取った。

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