八 再生

文字数 12,678文字

「かわいそうに」

 麗子が小さな声を漏らすようにして出した。

「原初の実験体、野口偲の様子を見ているのか?」

 サムエルは、麗子が見ているモニターの中の映像を、背後から覗き込むようにして言う。

「隣に椅子を持って来て座って見たら?」 

 麗子が言って振り向く。

「二人並んで、不幸な男の姿を見るのか? 悪趣味過ぎる」

 サムエルは、麗子の方を見て言う。

「以前は、投薬と洗脳を受けているとはいえ、ちゃんとした日常を送れていたようだけど、今回は、ずっと同じような事の繰り返し。ニヤの事と、本来の自分の事が忘れられないんだわ」

「でも、本人には同じような事を繰り返しているという自覚はないんだろう?」

 麗子の言葉を聞き、サムエルは言った。

「そうみたいだけど、これはあまりにも残酷だわ」

 麗子が言うと、モニターの方に顔の向きを戻す。

「何もかも忘れて、普通の人間のように生きて行きたかったのか。それとも、ニヤだったか。あれと子供の為にと思って行ったのか」

 サムエルは、モニターに目を向けて言った。

「あの時の様子だと、ニヤ達の為に行ったんだと思う」

 麗子が小さな声で言う。

「俺だったらどっちを選んだんだろう」

 サムエルは言ってから、麗子の肩にそっと手を置き、顔を麗子の顔に近付ける。

「もう。まだ、仕事中。私も、あなたに甘えたい気分だけど、今は我慢しないと」

 麗子が言い、優しくサムエルの手を払う。

「少しくらいいいじゃないか。あんまり真面目だと損するぜ」

 サムエルは言って顔と手を引く。

「真面目ではないわ。さっきからこうやってあなたと話をしているんだから」

「これくらいはいいだろう? 仕事の手も止めてない」

 麗子の言葉にそうサムエルは応じる。

「実は止めているのよ。本当はニヤと子供の様子を見に行かないといけない時間なの」

 麗子が言いながら、モニターの電源を落とす。

「子供はもう生まれたと言っていたな。受胎してからまだ二週間なのに」

「あの子達には、何から何まで驚かされる。元が私達と同じ人間という生き物だとは思えないわ」

 サムエルの言葉を聞いた麗子が言い、椅子から立ち上がった。

「終わったら連絡をくれ。君の部屋に行く」

 サムエルは出入り口に向かいながら言う。

「あなたの部屋は? おいしいお酒を用意しておいてくれると嬉しいわ」

 麗子が言った。

「俺のが上がりが早いか。了解した。君の好きなチーズと白ワインを用意しておこう」

 サムエルは言うとドアを開け、麗子が来るのを待つ。

「楽しみにしておくわね」

 サムエルの横を通り過ぎる時に、麗子が言ってからサムエルの頬に軽くキスをする。

「おい。ずるいぞ」

「続きは後で」

 サムエルの言葉に麗子が笑顔でそう応じてから歩き去って行く。

「まったく。君にはいつも驚かされる」

 サムエルは姿の見えなくなった麗子に向かって呟くと、部屋のドアを閉じる。麗子が先ほどまで座っていた椅子の所まで行き、サムエルはゆっくりとそこに腰を下ろした。

「次の襲撃は、前よりも大掛かりになる、か」

 サムエルは独り言ちる。前回送り込まれた襲撃部隊の全滅は米軍の逆鱗に触れていた。唯一生き残ったサムエルに上層部はなんらかの罰を与えようとしたが、腕を失った事を利用してうまく立ち回った為に罰は受けずに済んでいた。

「次は成功して欲しいもんだ」 

 サムエルは腕を失っている方の肩に手を添えて言う。

「おっと。そうだった」

 ないはずの腕を無意識のうちに動かそうとして、三博士が義手を野口機関の兵器開発部門に発注してくれていた事を思い出し、サムエルは呟いた。今日はもう何も起こらないだろう。いや。この先も、しばらくは何も起こらない。定時の見回りはサボっても構わない。義手ができているか聞きにでも行ってみるか。サムエルはそう思うと椅子から立ち上がり、部屋の出入り口に向かった。

「ここにいたんですか。大変なんです」

 兵器開発部門の入っている建物に出向き、調整をしないとまだ渡せませんという技術者に無理を言って既に完成していた義手を装着してもらい、チーズと白ワインを物資調達部門の売店に買いに行こうとしていたサムエルの背中に向かって、そんな言葉が聞き覚えのある男の声でかけられた。

「何事だ? 俺は後少しで上がりなんだが?」

 警備部の奴が慌ててなんの用だ? と思いつつ、サムエルは振り向かずに言葉だけを返す。

「新実験棟で、実験体が暴走しています」

 男が言った言葉を聞いたサムエルの脳裏に麗子の姿が浮かぶ。

「麗子は、いや、柳田先生は無事なのか?」

 サムエルは振り向きざまに男の胸倉を義手ではない方の手で掴んで言った。

「わ、分かりません。まだ、誰も中に入る事ができていないんです。三博士と柳田先生が中にいたはずなんですが、安否は不明です」

 男が怯えた表情を見せながら言う。

「俺の10式を回しておいてくれ。取りえずこのままで行く」 

 サムエルは男の胸倉から手を放しながら言った。

「10式の準備ができてから搭乗して行って下さい。実験体が巨大な上に凶暴で、建物に近付けないんです」 

 男が言う。

「どういう事だ?」

 サムエルは言い、男の目を見つめる。

「新実験棟のある地下の出入り口から、その、なんというか、スライムといえばいいのか、そんなような物体がはみ出して来てるんです。それが、近づく者達を皆食ってしまって。監視モニターを使って、建物内の様子を確認したんですが、その物体が建物の中全体を埋め尽くすように広がっていて何も見る事ができないんです」

 男が言って目を伏せる。

「俺以外の奴の10式は出てないのか?」

「今、現場に向かっている最中です」

 男の返事を聞いたサムエルは走り出す。

「待って下さい。危険です」

 背中越しに聞こえる男の言葉を無視して、サムエルは走る。麗子。頼むから無事でいてくれ。サムエルは走りながら強くそう思った。

 現場付近に着いたサムエルは、消毒液と血液と化学薬品のような物が混じり合った異様な臭いを嗅いで咳き込むと、口と鼻を覆うように残っている方の腕の上腕部分を顔に当て、新実験棟の上にあるカモフラージュ用の日本家屋の出入り口の方を見る。

「ええっと、こうだったか? 変形。三番」

 出入り口から溢れるように大量に出ていた、赤、黒、茶、白、桃、その他にもいくつかの色でそこかしこを染めているスライムのような物体に義手を向け、サムエルは言う。

「これは、何度見ても凄いな」

 小さな細かい音をたてながらパーツの移動を繰り返し、火炎放射器に変形して行く義手を見て、サムエルは思わず緊張感のない声を漏らしてしまう。スライムのような物体がサムエルの方に向かって動き始める。

「火葬にしてやる」

 サムエルは言い、変形を終えて火炎放射器となった義手から炎を撃ち出す。炎を避けるようにスライムのような物体が動き、サムエルの前に道が開かれる。サムエルは出入り口に辿り着くと、なくなっているドアの代わりにスライムのような物体で入れないようにされている出入り口に炎を当てる。避けることができない為に直に炎にあぶられたスライムのような物体が燃え出し、周囲に漂う異様な臭いに生き物が燃える時に発する独特な臭いが混じり始める。燃え出したスライムのような物体が不意に勢いよく溢れ出すようにして、サムエルに向かって襲いかかる。体を低くして間一髪でそれをかわしたサムエルに、追い打ちをかけるようにスライムのような物体が高速で近付く。サムエルは地面に片腕を付き、地面の上を転がるようにして、その攻撃をかわすと、襲われた事で止めてしまっていた炎を再度撃ち出し、襲いかかって来ていたスライムのような物体を焼く。

「燃料が切れたか」

 炎が突然止まったのを見てサムエルは言う。

「容量が少な過ぎる。変形。一番」

 サムエルの声に反応して変形を始めた義手が今度はガトリングガンになる。撃ち出された銃弾が再び襲いかかって来ようとするスライムのような物体を細かい肉片に変え始める。この腕は凄いが、やはり銃弾も燃料も少ない事が問題だ。サムエルはそう思いながら、スライムのような物体をひたすらに撃つ。銃弾が底を突き、ガトリングガンの銃身が空回りを始める。

「変形。二番」

 サムエルは言って出入り口から離れ、ある程度の距離を取った所で足を止める。ロケットランチャーに変形を終えた義手の砲口を出入り口に向けると、サムエルはロケット弾を撃った。出入り口を埋めているスライムのような物体の中にロケット弾が撃ち込まれ、炸裂し、辺り一面にスライムのような物体の破片が飛び散る。

「これは、かなり効いたみたいだな」

 スライムのような物体が、出入り口から離れ、建物の奥に戻って行くのを見てサムエルは言った。サムエルは再度出入り口に近付き、中を覗くように見る。天井にある電灯が破壊されていて、暗闇に包まれている建物内だったが、所々にある非常灯が生きている為にかろうじて中を見る事はできる。スライムのような物体の姿はサムエルの目で見える範囲にはどこにもいない。サムエルは振り返ると、辺りを見回す。

「10式を待つか、それとも」

 言った瞬間、背後から下水の中を大量の汚水が流れるような音がした。油断した。と思った時には、サムエルの体はスライムのような物体の体内に取り込まれていた。

「変形。五番」

 サムエルは叫んだが、口の中にスライムのような物体は流れ込んで来ただけで、その叫びは声にはならない。義手の変形は音声認識によって行われていたので、サムエルの声が声にならなければ、義手は変形する事ができない。

「くっそう。息ができない」

 サムエルは声にならない声を漏らす。このままだと窒息する。どうにかしなければ。この状態ではロケットランチャーは使えない。義手を近接武器に変形させる事もできない。いや。ロケットランチャーを使ってしまうか? だが、ここで撃ったら、自分の身も危ない。それでも、このままここで、何もしないで殺されるよりはましか? サムエルはそう思うと、銃火器の使用は、義手に力を込める事でできるようになっているので、義手に力を込めようとする。スライムのような物体がサムエルの体を締め付け始める。義手が悲鳴のような音をたて、サムエルの体から、もぎ取られて行こうとする。サムエルは義手に力を込めた。ロケット弾が発射されるはずであったが、ロケット弾は発射されない。サムエルは、すぐに、己の判断が遅かった事を悟った。義手と筋肉との接続が断たれたか。俺は、ここで終わりか? このまま俺はここで何もできずに死ぬのか? そんなふうに思った時、傭兵業の中で培われた不屈の精神がサムエルの中で鎌首をもたげた。駄目だ。まだだ。まだ何かあるはず。このまま何もできずに殺されるなんてくそ食らえだ。そう思うサムエルの体を締め付けるスライムのような物体の力が更に強くなる。骨が軋み、肉が捩れて行く感覚がサムエルを襲う。スライムのような物体の力は恐ろしいほどに強い。この圧倒的な力の前では、サムエルは幼子のように無力だった。

「ふざけるな。俺は負けない」

 サムエルは声にならない声を上げる。呼吸ができなくなってからどれくらいの時間が経過したのか。意識が遠退き始める。サムエルの胴体に一際強い力が加わる。体が真っ二つにされるのか? と思うと、今度は、体が強く引っ張られる。スライムのような物体から体が引き抜かれるような感触があってから、サムエルの喉に空気が戻って来た。

「無事ですか?」

 聞き覚えのある男の声がサムエルの耳に入る。

「警備部、なのか?」

 サムエルは咳き込みながら言い、閉じていた目を開くと、声の主の姿を探す。

「はい。警備所属の10式三機。ただ今到着しました」

 サムエルの目に、自分を片腕で抱き、見下ろすようにしている10式が映る。

「俺の10式は?」

「もちろんありますが、この状況です。休んでいて下さい」

 サムエルの言葉を聞いた男が言い、サムエルを抱いている10式がゆっくりと後退を始める。

「冗談じゃない。これだけの事をされたんだ。助けてくれて本当にありがとうな」

 サムエルは言って、10式の腕の中から抜け出ると顔を巡らせて自身の10式を探す。

「反撃開始だ」

 サムエルは自身の10式に近付き、ハッチを開け、搭乗しながら言う。

「本当にやるんですか?」

「ああ。俺はお前らよりはあれの事を知っている。大丈夫だ」

 男の言葉にサムエルはそう応え、コクピットのハッチを閉じる。

「警備部所属10式三機。ついて行きます」

 男が言う。

「おう。背中は任せる」

 サムエルは言って、10式を前進させる。重々しくも喧しい音をたてて10式が歩き出す。10式を前進させたまま、メインモニター上のタッチパネルを操作し、携行している銃火器をサムエルは確認する。

「火炎放射器、百二十ミリ滑腔砲、鎖鋸刀に、短銃身散弾銃か」

 サムエルは言いながら、まずはさっきと同じ火炎放射器からだ。と思うと、10式の腕を動かし、10式の背中にあるガンラックから火炎放射器を取る。火炎放射器をいつでも撃てる状態にしてから、今度は、スライムのような物体の様子を見る為に、10式のメインカメラの倍率を調整する。スライムのような物体は、サムエルを救助する際に行われた警備部の10式の攻撃を受けて、また建物の奥の方に戻っているようだった。

「突入する」

 サムエルは言いながら出入り口に10式を近付けると、躊躇する事なく建物の中に10式を入れた。

「後に続きます」

 警備部の男が言い、三機の10式がサムエルの10式の後に続く。

「熱線映像装置を起動した。廊下の前方、十メートル先に、奴がいる。そうだ。麗、いや、中にいる二人の情報は何かあるか?」

「はい。建物の壁を通して行った音響測定調査で、地下二階最奥部にある実験室に四つの心拍音が確認されています。実験体二体を含む四人が存命しているとの事です」

 自分の言葉に返って来た男の言葉を聞いて、嬉しさのあまりに、サムエルは思わず、拳を握って腕を振る。

「いたたたっ」

「どうしたんですか?」

 モニターの角に拳をぶつけたサムエルが呻くと、男が即座に反応した。

「なんでもない」

 サムエルは言い、10式の足を止め、10式の腕を動かすと、火炎放射器をガンラックに戻す。

「生存者があるとの事なので、建物の延焼の事を考え、火炎放射器に変えてまずは滑腔砲を使う。地下二階に入ったら短銃身散弾銃に武装を変更。生存者のいる実験室付近に到達したら、更に武装を変更し、鎖鋸刀にする。生存者の保護を最優先に考えてくれ」

 サムエルは言いながら、10式に滑腔砲を構えさせる。

「まだ後方を警戒する必要はないので、我々も砲撃に参加します」

 男の声がし、警備部の10式三機がサムエルの10式の左右に並ぶようにして立つ。

「オーケーだ。一気にあれを奥まで追い込んでやろう」

 サムエルは言いながら、実験体の反乱時における動力付装甲服部隊の運用を想定して、建物の出入り口や内部をかなり広く作っているとは聞いていたが、10式がこんなふうに並べるほどとは。中に入る時は意識していなかったからか、余計に広く感じるな。と思う。

「砲撃を始める」

 サムエルは声を上げ、砲撃を開始する。警備部の10式も砲撃を開始し、四つの砲口から撃ち出された砲弾がほぼ同時にスライムのような物体に着弾する。スライムのような物体の内部に深く突き刺さった砲弾が炸裂すると、スライムのような物体の体液と肉片が周囲に飛び散った。スライムのような物体が凄まじい勢いで後退を始めたのを見たサムエルは、10式を前進させつつ、連続砲撃を開始する。

「効いていますね。さすが、Eシリーズの砲弾だ」

 男が言う。

「Eシリーズか。心強いな」

 サムエルは言い、対実験体用の兵器か。初めて使うが、その名の通り大した効き目だ。と思う。

「三博士と柳田先生の命がかかっていますから」

 男が言った。砲撃を続けつつ、前進して行ったサムエル達は、地下二階に到達する。

「武装を変更する」

 サムエルは言って、10式の足を止めると、滑腔砲から、短銃身散弾銃に武装を変える。

「了解です。武装変更ののち、一機を退路の確保の為にここに残します」

 男の声が返って来る。

「了解した。待機中、何かあったらすぐに連絡をくれ」

「了解です」

 この場を守る事になった10式の搭乗者が言う。

「今の所は順調だが、このまま行けるかどうか」

 サムエルは呟くように言ってから、短銃身散弾銃を発砲し、10式を前進させ始める。短銃身散弾銃から撃ち出されるタングステン弾子に削るようにして砕かれた、スライムのような物体が後退して行く中を、サムエル達の駆る三機の10式は進んで行き、最奥部にある実験室まで残り十メートルの所まで辿り着く。

「武装を変える」

 サムエルは言って、10式の足を止め、10式に鎖鋸刀を装備させる。鎖鋸刀の発動機が轟音を上げながら回転させる刃部分をスライムのような物体に当てると、バターでも斬っているかのように鎖鋸刀の刀身がスライムのような物体の中に入る。飛び散る肉片と体液を浴びながら、再度後退を始めたスライムのような物体を追うようにして三機の10式は前進を開始する。

「通気口を使って、実験体が後ろに回り込んで来ています。できるだけ急いで下さい」

 退路確保の為に残った10式の搭乗者から通信が入った。

「了解。すぐに応援を行かせる。二手に分かれよう。一機はここに残ってくれ。もう一機は応援に」

 サムエルは言う。

「自分は残ります」

「では、自分は応援に回ります」

 警備部の男達が言う。

「二人とも頼む」

 サムエルの言葉を聞くと、一機が応援に向かう為に移動を開始した。

「スライムの後退が止まりましたね。どうしますか?」

 しばらく進んだところで、残った一機に搭乗していた男が言う。

「ここからは、こいつの中を鎖鋸刀で斬りながら進んで行く。何が起こるか分からない。お前はここに残ってくれ。もしもの時は援護を頼む」

「中に入る前に滑腔砲を撃ってみるというのはどうですか?」

 サムエルの言葉を聞いた男が言う。

「生存者達のいる実験室が近い。何かあったら困る」

 サムエルは言い、男の返事を待たずに鎖鋸刀で斬り裂いた場所から、後退しなくなったスライムのような物体の内部に10式を進ませる。

「開口部が閉じて行きます。できるだけ早く戻って下さい」

 スライムのような物体の外に残った男から通信が入る。

「ああ」

 答えるサムエルの10式の周りを取り囲んでいるスライムのような物体が、10式を押し潰そうとし始める。押し潰そうとして来るスライムのような物体を鎖鋸刀で斬ってしまうかどうか迷ったが、進行方向の空間を確保していた方がいいと判断すると、サムエルはそのまま10式を前進させる。機体が軋みを上げ始め、10式の歩行速度が徐々に落ちて行く。

「お前の力はそんな物じゃないはずだ」

 サムエルは言い、10式の出力を上げる。最大出力二千馬力を誇る発動機が唸りを上げ、10式の歩行速度が、速度が落ちる前よりも上がった。鎖鋸刀が斬り開いて行く先に、実験室の外側に向かって大きく、くの字に折れ曲がった実験室の扉が現れる。

「実験室の扉か」

 サムエルは呟き、10式の足を止めた。麗子の状態が分からない。これ以上このまま、鎖鋸刀を使用している状態で10式を進めると、麗子を傷付けてしまうかも知れない。サムエルはそう思いながらメインモニターに映っている扉を見つめる。

「どうしたんですか?」

 スライムのような物体の外に残った男から通信が入る。

「これ以上鎖鋸刀を使用したまま進むと生存者を傷付けてしまうかも知れないと思ってな」

「砲撃をしてみますか? スライムが後退するかも知れません。先ほどとは状況が違って、サムエルさんが間に立っています。10式の装甲ならEシリーズの砲弾が直撃しても七、八発は余裕で耐えられるはずです」

 サムエルの言葉を聞いた男が言う。

「それはいいアイディアだな。やる価値はありそうだ。だが、俺の事も少しは心配してくれ」

 サムエルは言った。

「恋人の為なんですから頑張って下さい」

 男が言う。

「ん? どういう意味だ?」

 急に何を言っているんだ? と思いつつサムエルは言った。

「そのままの意味です。お二人が付き合っている事は皆知っていますよ。自分は、柳田先生が、とても嬉しそうに、サムエルさんの話を友達らしき人に電話で語っているのを見た事がありますし」 

「な、何?!」

 男の言葉を聞いたサムエルは思わず大きな声を上げてしまう。

「そんなに、驚く事ですか?」

 男が、余計な事を言ってしまったか? という思いを、言外に滲ませるような気まずそうな声を出す。

「俺は、付き合っている事を秘密にしていたつもりだったし、麗子にも誰にも知られないようにした方がいいと、言っていたんだが」

「柳田先生は、隠したくなかったんじゃないですかね。電話では凄くいい人なのよって自慢していましたから」

 サムエルの言葉を聞いた男が言った。

「そ、それは本当か?」

 サムエルは自分の顔が火照るのを感じながら言う。

「はい。こんな事で嘘は言いません」

 男が言った。 

「そうか。自慢していたのか」

「はい。それはもう本当に楽しそうに、幸せそうに」

 サムエルは自分の言葉を聞いて男が言った言葉を聞き、更に顔がかっと火照るのを感じる。

「オーケー。オーケー。その話は、恥ずかしいから、もういい。まったく、なんでこんな時にこんな話になったんだか」

 サムエルはそこまで言って、咳払いを一つする。

「俺の方はいつでもいい。まずは、一度撃ってみてくれ。効果の有無を確認したのち、効果がなければ再度砲撃。効果があれば、俺の次の指示を待ってくれ」

「了解です。では、始めます」

 サムエルの言葉を聞いた男が言い、砲撃が行われる。スライムのような物体の中に深々と突き刺さった砲弾が炸裂すると、スライムのような物体が凄まじい勢いで後退を始める。

「大丈夫ですか?」

 男が言う。

「ああ。俺の方は問題ない。しかし、効果覿面だったな。俺の機体をここに残したまま、研究室の中に戻って行くとは」

 サムエルはメインモニター越しに周囲を見ながら言った。

「どうしますか? 中に入りますか?」

 男が自分の機体を一歩前進させつつ言う。

「少し待とう。こいつにはもう後がない。ここから外に出ようと思っているのなら、まだ、何か」

 サムエルは、研究室の中からスライムのような物体が猛烈な勢いで溢れ出て来たのを見て言葉を切った。

「退避する時間はない。機体の安定を保て」

 サムエルは声を上げる。

「了解です」

 男が大きな声で言う。スライムのような物体がサムエルの駆る機体に衝突し、総重量十八トンの機体が大きく揺れる。

「さすが、10式です。この中でも立っているなんて」

 サムエルの駆る機体に続いて、スライムのような物体に飲み込まれた機体に搭乗している男が言う。

「油断するな。次が来るぞ」

「次? ですか?」

 サムエルの言葉に男が応じた途端に、スライムのような物体が大波が引くような勢いで後退を始める。

「こいつ、何をするつもりだ?」

 男が言った。

「俺が前にこいつと戦った時と同じ事をするつもりなら、内部に取り込んで押し潰そうとするはずだ。10式の中にいれば問題はないと思うが、念の為だ。倒されたりしないように」

「機体の、足の、バランスが」

 サムエルの言葉の途中で男が声を上げ、男の駆る10式が両足を背後から蹴り上げられたような格好になりながら、後方に向かって倒れる。

「駄目だ。引きずられる」

 男が言い、サムエルの駆る10式の横を男の駆る10式が滑って行こうとする。

「腕を伸ばせ」

 サムエルは叫び、男の駆る10式が伸ばした片腕を、自身の駆る10式の片手で掴む。

「放して下さい。このままだと、二人とも引きずり込まれます」

「そんな事を言っている暇があったら、10式を立たせる事に意識を集中しろ」

 サムエルは言うと、10式に片膝を突かせ、男の駆る10式の腕を掴んでいる10式の手を強く自機の方に引くように動かす。二つの機体に搭載されている発動機が唸りを上げ、スライムのような物体の力に抗うように、各部の部品が軋みながらゆっくりと力強く駆動する。

「よし。そのまま立たせろ」

 男の駆る機体が横に回転し、仰向けの状態からうつ伏せの状態になったのを見たサムエルは言う。

「はい」

 サムエルの言葉に男が応じ、男の駆る機体がゆっくりと立ち上がった。

「やりました。反撃しますか?」

 男が言い終えたのとほぼ同時に、スライムのような物体が二機の10式から離れ、研究室の中へと戻って行く。

「中の様子を探る。俺が先に行く」

 サムエルは言うと、10式を立たせ、前進させる。

「こちらに現れていたスライム状の物体の姿が消えました。元の場所に戻ったのではないかと思われます」

 退路確保の為に残っていた、二機のうちの一機の10式の搭乗員の男から通信が入った。

「了解した。済まないがそのまま待機していてくれ」

 サムエルは言い、10式を研究室の中へと入れた。サムエルの駆る10式の正面には、スライムのような物体によって作られた壁のような物があり、床から二メートルくらいの高さの所に、その壁の中に埋まるようにして、サムエルから見て右側から、三博士、麗子、ニヤという順番で顔が並んでいる。

「なんだこれは」

 サムエルは目を閉じて眠っているように見える麗子の顔を、メインモニター越しに見つつ声を上げる。

「どうしたんですか?」

 男が言う。

「悪いが、部屋の外の警戒をしていてくれ。中は俺だけでいい」

 こんな麗子の姿は誰にも見せたくない。と思いながらサムエルは言った。

「大丈夫ですか?」

 サムエルの声から何かを察したらしく、男がそう言う。くっそう。なんだってこんな。どうすれば助けられる? サムエルはそう思いつつ、分からない。だが、なんとかする。と男の言葉への返事を口にした。

「サムエル君か?」

 不意にスライムのような物体の作る壁のような物に埋まっている三博士が、閉じていた目を開き、言葉を出す。

「話ができるのか? これは、何があったんだ?」

 サムエルは言った。

「生まれた赤ん坊を使って色々な実験をしている最中に、赤ん坊が暴れ出し、わしらは赤ん坊の体内に取り込まれてしまったのだ。麗子君と赤ん坊の親のこれはもう駄目だろう。だが、わしは平気だ。サムエル君。わしをこの中から出してくれ。見えている顔とその下の部分を適当に切り取ればいい」

「駄目だと? それはどういう意味だ?」

 三博士の言葉を聞いたサムエルは言う。

「言葉通りの意味だ。もう助からない」

 そう言った三博士の顔をサムエルは睨む。

「なんとかならないのか?」

「ならない」

 サムエルの言葉を聞いた三博士が言う。サムエルは三博士の顔から麗子の顔に視線を移す。

「急いでくれ。このままではわしも駄目になる」

 三博士が言った。

「分かった」

 サムエルは呟くように言い、10式に背中のガンラックから鎖鋸刀を取らせる。三博士に10式を近付け、鎖鋸刀の刃部分を三博士の顔に向けると、それを見た三博士が、何をする気だ? と言った。

「あんたは嘘を吐いている」

 サムエルは言って、鎖鋸刀の刃部分を回転させる。

「何を言っている?」

「あんたの力がどういう物か、俺は知っている」

 三博士の言葉にサムエルはそう答え、鎖鋸刀を動かす。

「本気なのか? 本気でわしを脅す気か?」

 三博士が言った。サムエルは何も答えずに、鎖鋸刀の刃を三博士の顔に当てる。血肉が回転する刃から迸る。

「今すぐにやめろ。後悔する事になるぞ」

 三博士の言葉を聞いたサムエルは鎖鋸刀をぐっと三博士の顔に押し込む。

「待て。やめてくれ。脳髄を破壊されたらどうなってしまうか分からない」

 三博士が言う。

「それは大変だな」

 サムエルは言って更に深く鎖鋸刀を押し込む。

「助ける。麗子君を助ける。だからやめてくれ」

「本当だな?」

 三博士の言葉を聞いたサムエルは言う。

「本当だ。だから、もうやめてくれ」

 三博士が言った。

「どうやってやる?」

 サムエルは言い、鎖鋸刀を三博士の顔から引き抜く。

「まずはわしをここから出してくれ。その次にわしが麗子君の脳髄を取り出す。それをわしが体に取り込めば、ここでできる事は終わりだ。後は、麗子君がわしの中で育つの待つ」

 三博士が言う。サムエルは麗子の顔に視線を移す。麗子。済まない。こんな方法で君を生かそうとするのは間違っているだろう。だが、俺は、君の事を思っていた以上に愛してしまっていたらしい。サムエルはそう思いながら、三博士の方に視線を戻す。

「麗子があんたの体から離れられるようになるまで、あんたの事は拘束させてもらう。おかしな事は考えるな。もしも麗子に何かあったら、その時は、あんたを殺す」

 サムエルは言い終えると、三博士の言葉を待たずに、三博士をスライムのような物体の中から取り出す。

「わしの顔をこいつに当ててくれ。こいつを食って体を再生させる」

 三博士の言葉を聞いたサムエルは三博士の顔を無造作にスライムのような物体に押し付ける。三博士がスライムのような物体を食べ始めると、三博士の体が再生を始める。

「やめて。痛がってる」

 ニヤが目を開き、口を動かした。

「黙っていろ」

 三博士が言う。

「麗子はどうして何も言わない?」

 サムエルは言った。

「麗子君は普通の人間だ。我々よりも弱い」

 三博士が言って、再生した片手を自分の後頭部を掴んでいる10式の手に当てる。

「もういい。放してくれ。自分で立てる」

 三博士の言葉を聞いたサムエルは10式の手を操作し、三博士の後頭部を放す。

「次は麗子君の番だ」

 完全に体の再生が終わると、三博士が言い、片手で手刀を作り、それを使って麗子の頭部をスライムのような物体の中から取り出した。

「どうやって取り込む?」

「こうする」

 サムエルの言葉を聞いた三博士が言って、麗子の額の辺りに歯を立てる。

「何をするんだ?」

 サムエルは声を上げる。

「取り込む為に必要な事だ。心配ない。麗子君は必ず助ける」

 三博士が言うと、麗子の額の肉を齧り取り、咀嚼し始める。サムエルは無残な姿になった麗子の顔を見ていられず、メインモニターから顔を背けた。

「終わった。これからどうする?」

 酷く長く感じられていた時間が三博士の言葉で終わる。

「早速拘束させてもらう。俺がいいと言うまで、あんたは何もせずにじっとしていろ」

 サムエルは言い、10式の腕を動かすと、三博士の体を掴んで持ち上げた。

「麗子達を救出した。これから外に出る」

 サムエルは部屋の外で待っている警備部の男に向かって言う。

「柳田先生は無事なんですか?」

 男の言葉が返って来る。

「ああ。なんとかな。後の処理はすべて任せていいか? 俺は早く麗子と三博士を医療棟に連れて行きたい」

「実験体二体は焼却処分でいいですか?」

 サムエルの言葉を聞いた男が言う。

「手に余るようだったらそうしてくれ。何も抵抗しないようだったら、檻の中に入れておけばいい」

「了解です」

 サムエルは自分の言葉を聞いた男がそう言ったのを聞くと、1〇式を移動させ始める。

「外に出てから米軍を呼ぶか。三博士がいればすぐに動いてくれるだろう」

 サムエルは小さな声で呟き、10式の歩行速度を上げた。

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