夏を染めて

文字数 1,997文字

 (まる)刷毛(ばけ)に青の染料をとる。
 刷毛にたっぷりはぜったいだめ。
 パレットに刷毛をこすりつけ、水分を落としていく。
 一度に色をとる量は、少なすぎるくらいがちょうどいい。

 大きく深呼吸してから、わたしは白生地の上に刷毛をのせた。
 型紙のベースラインにそって、刷毛をくるくる回しながら、染料を()りこんでいく。
 何度も刷毛をすべらせるうちに、淡水色がふんわり重なっていく。
 刷毛を置き、息をとめて型紙を両手ではずすと、白地にちっちゃな鈴の模様が生まれていた。


 英会話、水泳、ダンス、プログラミング。
 ママはたくさん習い事をさせてくれたけど、どれも長くつづかない。
 でも、ばばちゃんから教わった手しごとだけは、時間をわすれて夢中になった。

 目を悪くして引退するまで、ばばちゃんは()友禅(ゆうぜん)師だった。
 パパはシステムエンジニアで、ばばちゃんの工房はパパの二つ下の妹の(あかね)おばさんが継いだ。

 摺り友禅は、模様を彫った型紙を使って、染料を丸刷毛で摺りこむように染める。
 中学一年の夏休みに、ばばちゃんが丸刷毛の持ち方から染料のつけ具合、染めの力加減を教えてくれた。
 小学六年の図画工作で習ったステンシル版画と似ていた。
 着物や帯は数百枚もの型紙を使って染めるらしい。

 色を濃くしたり、薄くしたり、ぼかしたり。
 もう無言で、刷毛をくるくる動かしていた。
 最初は、りんごの柄のコースター。
 次の年は、ハンカチにひまわりの柄を染めた。

 今年、ばばちゃんが準備してくれたのは長さ百センチ、幅二十センチほどの白生地。
 型紙は、自分で鈴の模様を選んだ。
 型紙を斜めに置いたり、わざとはみだしたり。
 色ごとに型紙と刷毛を変えながら、青い鈴と緑の鈴を染めていく。

 色を塗るではなく、ぼかすこと。
 ときどき、ばばちゃんの声が頭のなかでリフレインする。

 夕方、陽が落ちる前に完成した。
 大小さまざまな青と緑の鈴がちらばっている。
 今まででいちばんの仕上がりに、思わず笑みがこぼれる。

 ばばちゃんを呼びに行って、色止めの加工をしてもらおう。
 その前に、まずは写真を撮らなきゃ。
 作業台に白生地を置いたまま、スマホを取りに行った。

 和室へ戻ると、染めあがったばかりの生地が畳の上に落ちている。
 急いで作品を手に取ると、小さな足跡がにじんでいた。

 こみつちゃん!?

 作業台の向こうに、茜おばさんの二歳の娘のこみつちゃんがいた。
 こみつちゃんの大きな丸い目が、わたしを見つめる。
 いちばん満足のいく出来だったのに。
 わたしの目がにじんだ。

 涙がこぼれる直前、ばばちゃんが和室へ戻ってきた。
 こみつちゃんを抱き上げ、ばばちゃんはわたしが染めた白生地をじっと見つめた。
「はるかちゃん、去年よりぼかしが上手だよ。よく練習した」と言って、微笑んだ。
 わたしは下を向いて、ぎゅっと目を閉じる。

「この布、何に使うものか分かる?」ばばちゃんは白生地を指さして、たずねた。
 わたしは顔を上げた。
「これはね、半衿(はんえり)」ばばちゃんは自分の首元にちらっと見える白い衿をつまんで、
襦袢(じゅばん)に縫いつけて使うの」とおだやかに言った。


 仕事を終えた茜おばさんにこみつちゃんを預けて、ばばちゃんはわたしを私室へ呼んだ。
「はるかちゃんが染めた半衿をかけてみようね」
 一枚の襦袢を取り、後ろ襟の真ん中に半衿の中心を合わせ、襦袢の襟の上に半衿を重ねる。
 半衿が動かないよう、ところどころをピンで留めて、ばばちゃんはわたしに襦袢を着せた。
「鏡を見てごらん」
 姿見の前に立って、「あ」とわたしは驚いた。

 ばばちゃんはもう一枚、わたしの肩にかけて、前衿を合わせる。
「茜が高校生のときに着てた浴衣、はるかちゃんにぴったり」
「鈴の柄、なくなっちゃった」わたしは小さく叫んだ。
「そう、着たときに見えるよう柄を配置しないと、商品にはならない」
 ばばちゃんはうなずいて言った。
 白生地の中央にちらばせた鈴の柄は後ろ襟にまわり、前からは見えなかった。
「襦袢はただの下着じゃなくてコーディネートのベースになるもの。半衿はお顔のいちばん近くだから、大切なアイテムなの」

 茜おばさんの浴衣は、青地に薄紅色の芙蓉(ふよう)の柄が染められていた。
「大正時代に流行した柄を復刻した、友禅染浴衣だよ」
「浴衣にもじゅばんって着るの?」
 ばばちゃんはうなずいて、「この浴衣は綿絽(めんろ)なの。絽は透けるよう織られたものだからね」
 襦袢と浴衣の色が溶けあい、夏空のようなグラデーションに見えた。

 この浴衣に鈴の柄って合う?
 青と緑の鈴じゃなくて、花の色をとったら。
 そもそも、わたしの顔に似合うかな。

 頭のなかで、どんどんイメージが広がっていく。
「今年の花火大会、この浴衣に襦袢と足袋(たび)を着て、おとなのコーディネートで行こう」
 ばばちゃんはやさしくわたしを見て、両手をぽんと打ち鳴らした。

「明日も半衿の染め、練習する!」
 わたしは笑いながら答えた。
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