一話読み切り
文字数 1,998文字
渋沢栄一には五つ年上の姉がいた。名前は
父市郎右衛門 は渋沢家の家運を回復させた優秀な男で、百姓にしては珍しく学があり、子どもの教育に熱心だった。
栄一は父の教えを次々と吸収していき、父は息子の優秀さを大いに喜んだ。
血は争えない、とでも言うべきであろう。が、一緒に勉強していた姉の
栄一と違って物覚えの悪い
「あんたができ過ぎるから、かえって私が叱られるのよ!」
とはいえ勉強以外の時は、二人の仲は良好だった。
ところがこの話に親戚から横槍が入った。特に伯母 がこの縁談に反対した。
この伯母は信心の強い人で「狐 憑 きの家系だ」と言い張って反対したのだ。
市郎右衛門は迷信を信じない性格だったのでそれに反発したが、伯母の影響もあって結局この縁談は破談となった。
そのため縁談に乗り気だった鬱病 となり、気がふれてしまった。
ちなみに栄一も父譲りで迷信を信じない性格だった。それで姉の病気の原因となった迷信を強く憎んだ。
そして栄一は率先して姉の看護をし、姉がふらっと外へ出て行くと必ずそれに付き添って姉を見守った。
渋沢家からちょっと下ったところに池があり、青淵 の号を名乗るが、その由来はこの池から来ている。
ある日、市郎右衛門は
その留守中、例の伯母が栄一の家へやって来た。そして
「あの娘の具合が悪いのはこの家が祟 られているからよ。祈祷師 に頼んでお祓 いをしてもらいましょう」
と栄一の母に勧めた。
迷信嫌いの栄一はそれに反対した。けれども「子どものクセに何を言うの」と伯母に叱られ、結局伯母の勧めのまま修験者を家に呼ぶことになった。
修験者が家にやって来ると、お祓いをするためには神様を憑依 させる媒介 が必要との事で、渋沢家の下女にその役目を命じた。
しめ縄を張った座敷の中央で目隠しされた下女が御幣 を持って座った。そして下女の前で修験者が呪文を唱え始めた。
すると下女はしばらく眠ったように静かにしていたが、突然、持っていた御幣を振り回し始めた。
それで修験者は下女の目隠しを取り、平身低頭して尋ねた。
「いずれの神様にてござ候 や。当家の病人は何の祟りによるものか、何卒 お教え下さりませ」
すると下女が無表情で答えた。
「この家の無縁仏が祟りをなしているのだ」
これを受けて脇で儀式を見ていた人々は驚いて顔を見合わせた。そして伯母が得意げな表情で言った。
「ほら御覧なさい。やはり祟りのせいだったでしょ。そう言えば私が子どもの頃、この家から伊勢神宮へ行ってそのまま帰ってこなかった人がいた、と聞いたわ。無縁仏というのはきっとその人のことよ。ああ恐ろしい。神様は何でもご存知なのよ。それで、どうしたらこの祟りを清められるでしょうか?」
「近くに祠 を建ててお祀 りせよ」
と下女が答えた。
このお告げに対し一同は深々と頭を下げた。が、栄一は一人頭を下げず、修験者に質問した。
「その無縁仏の人が亡くなったのは何年前の事でしょうか?祠を建てて供養するなら何年に亡くなったのか分からないと困ります」
それで修験者が下女に尋ねると、下女は答えた。
「およそ五、六十年前である」
ところが栄一は更に追い打ちをかけて質問した。
「何という年号の何年の事か?」
「……天保三年である」
「天保三年というと二十数年前の事ではないか。神様であれば年号ぐらいはご存知のはずだ。年号を間違えるようでは信用できない」
この栄一の詰問 によって修験者が慌て出した。そこで伯母が
「そのようなことを申しては罰 が当たりますよ!」
と栄一を叱った。が、一同も騒ぎ出し、修験者に色々と詰問し始めた。すると修験者も苦しまぎれに弁解した。
「今回下女にとりついたのは野狐か何かだったようだ。だから年号を間違えたのだろう」
これに栄一が答えた。
「へえ~。野狐の仕業 であれば別に祠を建てる必要もありませんね」
それで結局、祠を建てるという話はボツになり、修験者はほうほうの体 で渋沢家から去って行った。
市郎右衛門が上州から帰ってきて妻からこの話を聞くと
「栄一のやりそうな事だ」
と笑って答えた。
そして
余談だが福沢諭吉にも子どもの頃、神様の名前を書いた御札をわざと踏みつけ、御神体として祀られていた石を密かに別の石と取り替えておいたが別に罰は当たらなかった、といった迷信打破に関する逸話がある。
栄一も福沢も一万円札の顔になるだけあって、即物的な性格だった。
なか
という。父
栄一は父の教えを次々と吸収していき、父は息子の優秀さを大いに喜んだ。
血は争えない、とでも言うべきであろう。が、一緒に勉強していた姉の
なか
はその例から外れていた。栄一と違って物覚えの悪い
なか
はよく父に叱られた。それで勉強の後、いつも栄一は姉から怒られた。「あんたができ過ぎるから、かえって私が叱られるのよ!」
とはいえ勉強以外の時は、二人の仲は良好だった。
なか
が二十歳になった時、縁談が持ち上がった。ところがこの話に親戚から横槍が入った。特に
この伯母は信心の強い人で「
なか
が嫁ぐ家は市郎右衛門は迷信を信じない性格だったのでそれに反発したが、伯母の影響もあって結局この縁談は破談となった。
そのため縁談に乗り気だった
なか
はショックを受けてちなみに栄一も父譲りで迷信を信じない性格だった。それで姉の病気の原因となった迷信を強く憎んだ。
そして栄一は率先して姉の看護をし、姉がふらっと外へ出て行くと必ずそれに付き添って姉を見守った。
渋沢家からちょっと下ったところに池があり、
なか
は毎朝その池を眺めに行く習慣があった。栄一は、なか
が池に落ちないようにいつも付き添っていた。余談ながら後に栄一はある日、市郎右衛門は
なか
に転地療養をさせるため彼女と一緒に上州へ行った。その留守中、例の伯母が栄一の家へやって来た。そして
「あの娘の具合が悪いのはこの家が
と栄一の母に勧めた。
迷信嫌いの栄一はそれに反対した。けれども「子どものクセに何を言うの」と伯母に叱られ、結局伯母の勧めのまま修験者を家に呼ぶことになった。
修験者が家にやって来ると、お祓いをするためには神様を
しめ縄を張った座敷の中央で目隠しされた下女が
すると下女はしばらく眠ったように静かにしていたが、突然、持っていた御幣を振り回し始めた。
それで修験者は下女の目隠しを取り、平身低頭して尋ねた。
「いずれの神様にてござ
すると下女が無表情で答えた。
「この家の無縁仏が祟りをなしているのだ」
これを受けて脇で儀式を見ていた人々は驚いて顔を見合わせた。そして伯母が得意げな表情で言った。
「ほら御覧なさい。やはり祟りのせいだったでしょ。そう言えば私が子どもの頃、この家から伊勢神宮へ行ってそのまま帰ってこなかった人がいた、と聞いたわ。無縁仏というのはきっとその人のことよ。ああ恐ろしい。神様は何でもご存知なのよ。それで、どうしたらこの祟りを清められるでしょうか?」
「近くに
と下女が答えた。
このお告げに対し一同は深々と頭を下げた。が、栄一は一人頭を下げず、修験者に質問した。
「その無縁仏の人が亡くなったのは何年前の事でしょうか?祠を建てて供養するなら何年に亡くなったのか分からないと困ります」
それで修験者が下女に尋ねると、下女は答えた。
「およそ五、六十年前である」
ところが栄一は更に追い打ちをかけて質問した。
「何という年号の何年の事か?」
「……天保三年である」
「天保三年というと二十数年前の事ではないか。神様であれば年号ぐらいはご存知のはずだ。年号を間違えるようでは信用できない」
この栄一の
「そのようなことを申しては
と栄一を叱った。が、一同も騒ぎ出し、修験者に色々と詰問し始めた。すると修験者も苦しまぎれに弁解した。
「今回下女にとりついたのは野狐か何かだったようだ。だから年号を間違えたのだろう」
これに栄一が答えた。
「へえ~。野狐の
それで結局、祠を建てるという話はボツになり、修験者はほうほうの
市郎右衛門が上州から帰ってきて妻からこの話を聞くと
「栄一のやりそうな事だ」
と笑って答えた。
そして
なか
は後に回復して、吉岡という人の家へ嫁いでいった。余談だが福沢諭吉にも子どもの頃、神様の名前を書いた御札をわざと踏みつけ、御神体として祀られていた石を密かに別の石と取り替えておいたが別に罰は当たらなかった、といった迷信打破に関する逸話がある。
栄一も福沢も一万円札の顔になるだけあって、即物的な性格だった。