※EP 法螺吹き男と一千夜 6

文字数 3,619文字


あーあ。なんだかなぁ。

私の人生、逃げてばっかだ。


硬い布団の上で目を閉じながら、男はため息をついた。


深夜に出発すると決めたのだから、今のうちに少しは寝ておかないと。

そう思って横になったはずなのに、どうして昔のことなんか思い出すんだろう。


 


「寺で暮らしていたことがある」と誰かに話したことがある。あれは嘘ではない。自分はもともとみなしごで、寺の和尚に拾われ面倒を見てもらっていたのだ。読み書きを教えてくれたのもこの和尚だった。胡散臭い経なんてものはもちろん習っていないが。


今思うと、この和尚は善意の人で、見ず知らずの孤児にも惜しみなく情を注いでくれた。


反面、自分は幼い頃からしょうもない子供だったので、寺での厳しい修行暮らしにすぐに根を上げた。


そしてある日、とうとう嫌気が差して逃げ出してしまった。


山をうろうろし、町をうろうろし、3日ほど寺に帰らなかった。


でも内心は、和尚様が心配して迎えにきてくれるんじゃないかと期待していた。


もし迎えにきてくれたらうんと叱られる覚悟をしていた。頭の中でちゃんと謝る練習もしていた。そうしたら和尚様、おかえりって抱きしめてくれるかな。夜に好物の団子汁、作ってくれるかな。


そんなことを夢想しながらまた2日ほど過ごしたが、迎えが来ることはなかった。


不安になってこっそり寺まで戻ってみると、そこにはにこやかに微笑む和尚と、その視線の先にいる見知らぬ子供の姿があった。


この和尚は善意の人であり、博愛の人でもあった。世の中には哀れな孤児がたくさんいて、できるだけ多くの子を救ってやりたいと考える人だった。


もう大丈夫だって思われたんだろう、自分は。身体もしっかりしてきたし、読み書きもできるようになった。ひとりでもやっていけるって思われたんだろう。


だから次は別の幼子(おさなご)を育てることにしたのだ。自分の時と同じように読み書きを教えて、飯を食わせ、仏の心を教えようと。哀れな子供達のひとりでも多くが、健やかに生きていけるように……


そういう人だった。優しい人だが、親になってくれる人ではなかった。そうだったんだと初めて実感したのがその時で、それまでずっと勘違いしていた。その勘違いが惨めで泣いた。泣きながら寺に背を向け走り出し、そのまま二度と戻ることはなかった。

 


・・・

 

ようやく眠れたと思いきや、気づけば男は見知らぬ場所にいた。


珍妙なことだ。星空が目の前にある。今まで頭上にあるのを見たことしかなかった満天の星々が四方、足元にまで広がっている。己が夜空に浮かんでいるような、そんな感覚に陥った。


ふと古びた青銅色の扉が目に入る。果てなく広がる星空の景色に唐突に表れたそれはなんとも異質だった。


「おや、お気づきかな」


その前に立っている人物も、これまた異質だった。


不思議な青年だ。淡い色をした異国の服を身にまとい、手には大きな鍵を持っている。……どこかで聞いたような容姿だ。


「……夢?」

「話が早いね。そうとも。ここは夢の世界さ。けれど現実とつながっている。夢も現もすべての世界がそうだ。君にもこの扉が見えるだろう?」

「じゃあ君が、和邇(わに)様にヨグとかいう錠前(じょうまえ)を渡した人か」

「……ヨグ。ああ、なるほど。あの子の……」

「何者なんだ?」

「悪いけどあまり時間がないんだ。まずは私の話を聞いてもらいたいのだけど、いいかな」

「話?」

「突然だけど、君の生きている世界はまもなく消失しようとしている」

「は?」


青年の口から出た言葉の意味が分からず、つい間の抜けた声をあげてしまった。


「消失するということは、文字通り消えてなくなるということだ。どういう形で消えてしまうのかはわからないけど、君を取り巻いていた、人間も動物も植物も大地も何もかも消えてしまう。もちろん君自身もね」

「……はあ」

「おっと信じていないなその反応。『わけわかんないけど、どうせ夢だしどうでもいいわー変な夢見るなー俺』とか思ってるんだろう」

「思っ……てる、けど」

「まあ無理もないけどね。しかし君の他にヨグの錠に触れた者がいる。ただの夢ではないことは理解してほしいな」

「……仮に君の言ってることが本当だとして、じゃあどうしろっていうんだ? 心の準備をしとけって言いにきたのかい?」

「そんな残酷なことはしないよ。一縷(いちる)の望みがあるからこうして君とコンタクトをとっている。そうして消失が事前に予知できるのは、本当に稀有(けう)なことなんだ。ほとんどの世界は何の予兆もなく消えてしまうから。できることなら、この世界を救いたい」


青年が言うことには、どうやら『世界』はここから見える星の数ほどあって、男が住んでいる世界はそのうちのひとつにすぎないらしい。そして他の世界は今、何らかの理由によって続々と消失し続けているらしい。そしてこの世界もまた、今にも消えようとしているのだと。


「時に、長良継平(ながらつぐひら)くんといったかな。君は世界を救う英雄の物語を書いている、そうだよね?」

「……御伽噺さ。それが何か?」

「君もなってみないかい? 世界を救う英雄に」


どういうことだ? そう尋ねる前に、青年が続ける。


「そう難しいことではないよ。君の作りだした物語はすでに『世界』として認められた。あとはそれが『夢想』か『現実』か……だがその境界は実に曖昧だ。裏と表は簡単にひっくり返る。『扉』の蝶番(ちょうつがい)を付け替えればね」

「悪いが君が何を言いたいのか全然わからない。わかるように説明してくれ」

「ごめんごめん。つまり、君の作った物語の世界と現実の世界を入れ替えるんだ。そうすることで物語の世界が身代わりになって消失し、現実世界は守られる」

「……そんなことができるのか?」

「できる。もちろん失敗するかもしれないが、何もしないことに比べればリスクの内にも入らない。ただひとつ条件がある。蝶番(ちょうつがい)を付け替えて、夢想の世界を現実の世界に偽装するためには、君に物語の世界へ入ってもらわなくてはならない。これは世界の創造者である君にしかできないことだ」

「ん? ま、待って、それって、身代わりになって消える世界の中に入るってことだろう? そうしたら私はどうなるんだ?」

「当然、物語の世界と一緒に消失することになる」

「ふざけるなよ! じゃあどっちにしたって消えるってことじゃないか!」

「そうだよ。君の運命はふたつにひとつ。自らが作り出した世界とともに消えるか。現実にとどまってみんなと一緒に消えるか」

「な、なんだよそれ……」

「だから君が選択すべきは君以外についてだ。君以外のすべてを救うか否かだ。でも悩む必要はあるかな? どちらにしても消える運命なら、他のみんなを守って消える道を選んだほうが、君自身が満足して終われるんじゃない?」

「……そんな、勝手な」

「まあ、君が全員道連れに消えてやると思うくらいに現実世界を憎んでいるなら、そういう選択も咎めはしないけどね」


あっけらかんとした青年の言葉に、男はめまいを禁じえなかった。

意地の悪い言葉だと感じてしまいそうになるが、この青年にそういう意図はないことは穏やかな声音からわかる。ただしどこまでも他人事だった。


「……別に、憎んでなんかいないさ」


沈黙の末絞り出した声は、思いのほか落ち着いていた。


「ああいいよ、わかったよ。どうせ私なんか、世界が続いていたって、殺されるか、逃げ続けるしみったれた人生を送るかどっちかしかないんだ。あの物語だって、もういっそ全部放り投げていいならそうしたい。結末も結局全然思い浮かばないままだし。ほんとはずっと重荷だったんだ。何もかもがなかったことになるなら、気が楽だよ」

「それは、世界を守る選択する、ということでいいのかな」

「……そうだな。行くよ。こっちの世界で幸せになってほしい子もいるからね」

「よろしい」


青年が、手にした鍵で足元をこつんと叩く。


戸界師(とかいし)の権限をもって宣言し、ロッキード・コードの名において開く。来たれ、九八七五一五六の扉よ」


鍵が触れた青年の靴先あたりから、光の波が立ち始めた。耳鳴りのような高い鐘の音が響き出し、青銅の扉の後ろに、新たな扉が現れる。


「ちょっと待って、今すぐってこと!?」

「そうとも。荷造りなんて必要ない。どうせ何も持っては行けないのだから」


鐘の音がやかましくなる。祝福のような温かな音色が場違いだった。扉がゆっくりと開き、夜空に強烈な光が差し込む。その光の眩しさに比例するように、男の身体は不思議な引力に逆らえなくなった。


「せせせせめて心の準備ってものが!」

「言っただろう。心の準備の時間なんてものほど、残酷なものはない」

「そうだけども!」

「ああそうだ長良継平(ながらつぐひら)くん。君の決断に、とても人間を感じたよ。悪い意味じゃない方でね」


意識が扉に吸い込まれる直前、青年が大きく鍵をかざしたのが見えた。


「――さあ、行きたまえ」



・・・・・・


 

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