00 世界が恐怖に飲み込まれました。

文字数 2,221文字

――その日、大陸に生きる全ての人々が恐怖に飲み込まれた。

 三日前、聖剣に選ばれし伝説の勇者一行が、始まりの国、ガンジバゼル王国に『魔王討伐』の吉報を届けた。長い長い、五百年にも及ぶ魔王軍との戦争。その終結を終始劣勢であった人類が、『勝利』の二文字で飾ったのだ。朗報は、瞬く間に世界中に広まり各地で祝宴の準備が進められた。明日を生きられる確証も得られぬまま毎日を過ごし、絶望に蝕まれ心身ともに疲弊しきった人々も、一変して活気づいた。人類が勝ったのだ。これで、平和が訪れる。もう、苦しまなくても良い。皆がそう思っていた。
 しかし、勇者一行が浮かべる表情は決して晴々としたものではなかった。追加の知らせを聞いた国王の顔も険しい。人々が知らされたのは福音のみ。勇者の後述が伝えられることはなかった。いや、伝えることが出来なかった。数え切れないほどの犠牲を払い、人類の持てる術全てを注ぎ込んで強大な魔王を討伐したのだ。勇者の手元には、もう伝説の聖剣は存在しない。戦える兵士も当時の半数以下である。それも、女子供を含めた人数だ。純粋な兵力を考えたら、半分以下なんてものではない。
 こんな、仕打ちがあって良いものなのか。魔王は確かに滅した。混沌の元凶はもう存在しない。だが、まさかこんな結末になろうと、誰が予想できただろう。あぁ神よ。貴方は、我々を見捨てたというのか。
 国王は、両手で頭を抱えた。勇者も、唇を噛みしめてただ黙することしかできない。

「親愛なる人類よ。本日は、隣人である諸君等に報告しなければならないことがある」
 
 その声は大陸中の全ての地域に漏らすところなく届いた。星一つ見えない闇黒の空。強力な伝達魔法により、そこに映し出される光景。誰もが動きを止め、言葉を失い、その映像にくぎ付けとなった。世界が静寂に包まれた。
 そこに映っていたのは夥しい程の異形の化物であった。蛇の下半身に人間の上半身を持つ妖艶な美女、岩石で形成された体を持つ巨人、何本もの腕を持つ毛むくじゃらな老人、宙を浮遊する蛙のような醜い赤子、巨大な蠅の怪人・・・・・・
 それらの全てがにやにやと不気味に笑みを浮かべながら、空に浮かぶ巨大なスクリーン越しに人々を眺めていた。まるで、自らの獲物を品定めするかのように。
そんな魑魅魍魎の群衆中においても、一線を画す程の存在感を放つ者たちがいた。人々が見上げる画面のちょうど中心。豪勢な漆黒の玉座に深々と腰を埋め、退屈そうに頬杖をつく黒い影。シルエットは決して大柄という訳ではなく、むしろ小さい。だが、秘めたる威圧感は並のものではなかった。その玉座を囲むように三体、人型の魔物が立っていた。それぞれが纏う邪悪な気配が、彼らの地位や身分を表しているようであった。その姿を見て、一般市民だけでなく、国王、勇者でさえも息を呑んだ。彼らはあまりにも危険だ。と、誰もが本能的に理解した。
すると、その内の一体が口を開いた。

「と、その前に自己紹介がまだであったな。いくら、我々が優等種であったとしても礼儀を忘れてはそこいらの獣と同じ。無礼を詫びさせてほしい。申し訳なかった」
 
 そう言って深々と頭を下げるタキシードに身を包んだ男。人間と見間違うほどにその身には異形の影は存在しないが、頭部から生えた二本の捻じれた角と、指先から伸びた長く鋭利な爪がまぎれもなく魔人であることを物語っていた。人間でいうと三十歳くらいか、癖の少ない端正な顔立ちをしており、右側の角は途中で折れ先がなかった。
「私は、四天王の一人。知力のガゼル」
 顔をあげたタキシードの魔人がにやりと口の端を吊り上げる。
「同じく、腕力のゴルダン」
 続けて、強靭な体躯を誇る魔人が名乗る。
「権力のグリム」
 最後に、不機嫌そうにそっぽを向いたまま幼女にしか見えない程に小さな魔人が短く呟く。
 そして、ガゼルはばぁっと大きく両手を広げた。
「先日の勇者との戦闘により、一時的に四天王の一席が空いてしまってはいるが気にしないでくれ。そんなことは、さして重要なことではない。なぜなら」
 ガゼルが、自信に満ち足りた表情で玉座に座る存在を見る。

「我らの新たな魔王が即位されたのだから!」

 どさっどさっと、人々が手に持っていた物を片っ端から落とした。祝宴会場の設営用工具、アルコールの詰められた木箱、調理用の食材・・・。その表情には、驚愕、畏怖、失意など、あらゆる負の感情が渦巻いていた。やっとで訪れた平和への兆しは、ただのまやかしだったのだ。がくりと次々に膝をつき、涙を流す。各地で悲痛な嗚咽が漏れ、再び絶望の風が吹き荒れた。
 それとは対称的に上空に広がる空間では、「新魔王様万歳!」と、化物たちの咆哮が轟いていた。ガゼルは、魔王の耳元で何かを囁く。魔王がこくりと頷くのを確認すると、すっと手をあげた。同時に静まり返る魔物たち。魔王は、頬杖をつくのをやめて、軽く姿勢を正すと人差し指を天に向けた。その後、おもむろに指先を画面の先の人類へと移して、にやりと笑った。

「我が野望の為に、進軍開始! 我が名は――」

 その夜、新たな魔王が世界を恐怖に陥れた。歴代の魔王とは全く異質な存在であり、対峙した者は皆、口を揃えてこう言った。
「誰も、あの御方を倒すことはできない。どんな猛者であれ、その崇高なる御身に触れることさえ敵わないのだから」と。
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