05 腕力のゴルダン 筋肉魔人と邂逅です。

文字数 7,009文字

「なぁ、ガゼル君」
「気持ち悪い喋り方だな。まだ元に戻らないのか」
 ルナ達は、次なる四天王に会うため、『権力の間』を後にしていた。目の前にあるのは、何の変哲もない木製の扉。上部には『腕力の間』と記されている。
「あの子は、いったいどこへ?」
 寂しそうな表情を浮かべて、ルナが尋ねた。
「はぁ。そんなことを俺に聞くな。まったく、誰のせいで、あんな事態になったと思っているのだ。嫌でも財政が厳しいというのに、どこかで修繕費を確保しなければ・・・・暫くは徹夜だな」
 ぼろぼりに破け、擦り切れ、取り返しがつかない程に汚れてしまったお気に入りのタキシード。その襟を軽く正そうとするが、指で挟んだ瞬間にびりっと音を立てて本体と乖離した。掌に残った暗黒の布を哀愁に満ちた瞳で見つめ、込み上げてくる涙の感覚を塞き止めようと、目を閉じて鼻根を摘まんだ。
 心身ともに疲労困憊のようであった。しかし、魔王軍で一番の社畜と名高い彼に休んでいる暇はない。
「よし、入るぞ。お前はもう下手なことはするな。絶対にだ。俺の傍で、じっとしておけ」と、一応釘を刺しておいて、扉に手を伸ばした。


――――――――


 『腕力の間』の内部は、先程とは打って変わって煌々とし、眩しいくらいであった。床一面には、衝撃緩衝マットのようなものが敷かれており、独特のゴムっぽい弾力が足裏に広がる。その上に所狭しと並べられているのは、懸垂マシンに、ダンベル、エアロバイク、その他、使用方法も名称も分からないような専門的な器具の山。てっぺんからつま先まで筋力トレーニングに使用する装置なのだろうが、その光景は一般的な『異世界』とのイメージからは余りにかけ離れたものであった。
「ここは、トレーニングジムかな」と、ルナが率直な感想を呟く。
「いや、あくまでゴルダンの自室だ。奴は、三度の飯より鍛錬を好む正真正銘の脳筋だからな。当初は生活用に提供したのだが、いつの間にか、こんなことになっていた訳だ」
 そう言ってガゼルは、部屋の真ん中で黙々とベンチプレスに勤しむ巨体を指さした。サイドに鬼盛りされたプレートの重さはどれ程のものなのか。頑丈そうなバーベルシャフトが、ほぼ九十度にしなり悲鳴をあげていた。隆々とした筋肉が、汗を弾いて輝く。ルナ達には、まだ気付いていないようで「一万三千六十、一万三千六十一、一万三千六十二」と、脇目もふらず途方もない桁数のカウントをしていた。
「ふふ、なかなか面白そうな魔人だね」
「頼むから、これ以上面倒なことは起こさないでくれ」
「分かっているよ」
 にやにやと笑うルナを一瞥し、得も言われぬ不安に苛まれるガゼル。
(本当にこいつは、どこまで正気なのだろうか。こうなってしまったのは、グリムのチャームがきっかけではあるようだが、以前の性格の方が幾分も扱いやすかった・・・・)
「ゴルダン。御取込み中の所すまないが、こっちに来てくれないか」
 ルナの気味悪い精神状態が早急に回復することを願いながら、とりあえずは自らの職務に専念する。
「んあ? ガゼルか? どうした?」
 ゴルダンは、ひょいっとバーベルを脇に下ろして立ちあがると、言われるがままに二人の元へと移動を始めた。身長は四メートル近くあり、ガゼルよりも遥かに高い。ルナとは、まぁ、あえて比べる必要もないだろう。トレーニングウェアのような真っ黒の長ズボンを履き、上半身は何も着用していない。代わりに纏っているのは、筋肉の鎧だった。『ばきばき』という表現では足りない程に、細部まで創りこまれた一級芸術品。無駄な肉は微塵も存在せず、浮き出た血管は今にも破裂してしまいそうだ。山脈を連想させる屈強な体躯は、それだけで対峙する者に何かしらの衝戟を与え、委縮させてしまうだろう。重量感のある大きな足を下すたびに、ずしずしとその振動が響く。岩石のように角ばった顔面の額中心から生えるのは、魔人の証、威厳を放つ立派な一本角であった。
「ん? 獣人族? 見ない顔だな」
 約二メートル手前で立ち止まり、ルナを見下ろす。ルナは、目をきらきらと輝かせながら、立ちはだかる生きた大壁を見上げた。
「立派だ・・・・素晴らしい肉体美だね。惚れ惚れするよ」
 ゴルダンが、目を大きく見開いた。わなわなと小刻みに震える。そして、
「お前、良い奴だな! 筋肉の美しさ、分かる。ラットプルダウンするか? それとも、アームカールするか?」
 自慢のボディを賞賛され気を良くしたのか、ゴルダンは顔をほころばせ、次から次へと筋トレマシーンの利用を勧め始めた。だが、「いや、今は遠慮しておくよ」と、丁重にお断りを入れる。
 ガゼルは、こほんっと咳払いをしてから、そんなやり取りをする両者の間に割って入った。
「えー、実はな。今お前の目の前におられるこの御方なのだが、つい昨日、前魔王を正式なる決闘において倒され、新たな魔王の座に就かれた我等の君主である。名をルナ様と言われる。四天王として、忠義を尽くすように」
「魔王、倒した?」
 それを聞いたゴルダンの体がぴくりと反応する。
「こいつが?」
「あぁ。そうだ」
「強いのか?」
「無論だ。ルナ様の実力は前魔王を遥かに凌ぐ」
「そうか・・・・」
 何かを言いたそうにじいっとルナを見つめるゴルダン。ガゼルは、彼が次に口にするであろう言葉を予め予測していた。毎日鍛錬に明け暮れ、ことあるごとに修行の旅に出ては、己を磨く。そんな彼が、新魔王に最初に投げかける言葉はこれしか考えられない。
「俺、こいつと戦いたい」
 顔を伏せ、にやりとガゼルが笑った。
「急に何を言い出すのだ。不敬だぞ」
 さっと笑みを消し、演技がかった動きでゴルダンに詰め寄る。
「こいつ、魔王倒した。俺は、一度も倒せなかった。こいつ、魔王よりも強い。俺、こいつと戦う。そして、こいつを倒す。俺、こいつより強い! 俺、魔王よりも強い!! だから、俺と戦え!!!」
(なんと、単純明快な思考回路なのだ。こういう奴が一番扱いやすい)
 ガゼルはこぼれそうになる笑声を、何とか押し込め、努めて平静を装う。
 今のルナでは、この筋肉魔人に敵わないことは百も承知だ。当然、真正面から堂々と相手にするべきではない。となると、この後は、『新魔王就任式』やその他の行事を理由にたちまちの決闘は断り、先にグリムに真実を告げ協力を得る必要がある。研究資金の増額を取引材料とすれば、すんなり快諾することだろう。そして後日、決闘会場に前もって設置式の魔法トラップを仕掛けておいて、あたかもルナの魔法でゴルダンを倒したかのように見せかければ良い。魔法の知識に乏しいゴルダンの事だ。まずバレることはないだろう。観戦者共も、まさかグリムが設けたものだとは思いもすまい。前魔王に続き四天王一番の武闘派であるゴルダンも倒したとなれば、誰もがルナを新魔王としてふさわしい存在であると認めるはずだ。イカサマではないかと言われれば、反論のしようがないが、転生者としての力に目覚め、真にゴルダンを超える強さを手に入れた際に、改めて決闘をさせれば問題ない。――――と、ここまでが、ガゼルの計画であった。新生魔王軍の土台を盤石なものとするための、完璧で抜け穴など一つもない、渾身の智謀だ。さぁ、『これから新任魔王の業務で多忙を極めるので、日程を調整させてほしい』と提案するだけである。しばらくは、大好きな修行の旅にでも出てくると良い。

「よし、受けてたとうか、ゴルダン君。僕はいつでも良いよ」
「感謝する。二時間後、地下闘技場で待つ」

 ふふふと、抑えきれずに声を漏らすガゼル。愚者共め、全ては俺の手の内なのだ!! と、叫びたくなる気持ちを抑え・・・・
「え?」
 思わず、二度見、いや三度見と、挙動不審にルナを振り返る。まるで、信じられないものでも見るかのように何度も何度も。衝撃が強すぎて、思考が置いてきぼりを食らう。そして、徐々に状況を把握していった。
(こいつ、やりやがったな。あれだけ何もするなと言いつけておいたというのに)
 最大の敵は身内にあり、真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である、なるほど、どれだけ知略を巡らせても上手くいかない訳だ。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!」と、背中を向けて筋トレを再開するゴルダンに駆け寄るが、既に頭の中は戦いのことで埋め尽くされているのだろう、ばしばしと肩をどついても、眼前で忙しく手を振っても、その声が届くことはなかった。
「勝つ。勝つ。勝つ・・・・」と、トレーニングの手を休めることなく、瞳に危険な色を浮かべながら独り言を連ねている。

『新生魔王軍一夜にして壊滅』

 そんな恐ろしい単語が頭をよぎった。現在、魔王の器に足る人物なぞ存在しない。ルナが死ねば、間違いなく魔王軍は機能しなくなる。それだけは、どうしても避けなければならなかった。息を荒くしながら、頭脳をフル回転させて打開策を捻り出そうとする。そんなガゼルの背中をぽんぽんと優しく叩き、ルナが一言。
「何をそんなに苛立っているんだい? おっかないなぁ。もっと、余裕を持っていこうよ」
「くそがぁーーーーー!!」
 我慢できずに、喉の奥から溜まりに溜まった怒りの言霊を吐き出し、呪い殺すように鋭く邪悪な視線で諸悪の根源を睨みつけた。


――――――――

「わわわわわわ、私は、なななな何てことをしてしまったのでしょう」
 自室に戻り、我に返ったルナは、事の顛末をガゼルから聞き震えあがった。当該期間の記憶は曖昧なのだが、「ルナ様とゴルダン様が決闘されるそうよ」とか、「前魔王様を倒されたルナ様が負ける訳ないわよね」とか、「もしかしたら、ゴルダン様が勝つかもよ」とか、廊下から聞こえるメイド達の楽しそうな話声が、これが現実であるということを裏付けていた。
《グリム様のチャームによる精神侵食を確認しましたので、対抗手段としてノーマルスキル『発情期』を発動させ、強制的に錯乱状態に致しました。錯乱状態時は、精神が混濁するため、あらゆる精神干渉系魔法の効果を受けませんが、自身の制御が効かなくなります。そのためでしょう》
「『発情期』・・・・ありましたね、そういえば。何てありがた迷惑なスキルなんでしょうか・・・・」
《本来は、性行為を盛り上げるために使用される非戦闘用のスキルなのですが、今回は緊急事態と判断したため、常用外の使用を致しました》
「せ、『性行為』用ですか!? そんなスキルまで存在するんですね・・・・『性行為』って、つまり、え、エッチって、ことですよね・・・・」
 ナビの解説を聞き、自分もいつか本来の目的でこのスキルを使用する時が来るのだろうかと、うっすら妄想をして頬を赤く染めた。最後の方は自分で言っていて恥ずかしくなったのかごにょごにょと口ごもる。
「お前は、さっきから誰と話しているのだ?」
 ガゼルが、心許なげな表情を浮かべていた。彼からしたら、ルナがずっと独り言を呟いているように見えるのだから、心配にもなるのだろう。
「誰って、ナビさんですけど?」
「誰だよ?」
「うーんと、私の『保護者』? でもないですし、『知り合い』? だと何か遠すぎる気がしますし、『運命共同体』? いや、違いますね。そう、私の『友達』です!」
「友達・・・・そ、そうなのか・・・・」
 可哀想なものを見るような瞳をするガゼル。聞いてはいけないことだったのかと悟り、肯定も否定もせず、この質問事態を無かったことにする、大人の対応である。
《ルナ様。失礼ですが、ガゼル様は貴方が『痛い子』であると、勘違いされておられるようです》
「痛い? どこも怪我していませんが?」
 《はぁ。まぁ、良いです。私の声はルナ様にしか聞こえておりませんので、以後ご注意を。あと、ナビゲーターが就いているのも貴方だけです。貴方以外に、私の存在を知っている方はいないと思慮されます》
「え? そうなんですか? それは、私が『転生者』だからですか?」
《いいえ、違います。ルナ様を誤って転生させてしまった際に、『生者転生の大罪』に問われ、その責任を取る形で『転生補助業務』の任を辞職しました。そのまま、ニートになる訳にもいかないので、こうしてルナ様のサポート役をしています》
「え? 何かすみません・・・・」
 想像もしていなかった真実に、心を痛めた。
《気にしないでください。全ては私の責任です》
「でも・・・・」
《しつこいですね。そんなことよりも、今自分の置かれている状況を打開する方策を考えるのが優先ではないですか?》
 ナビに言われて、ルナははっとした。
「そういえばそうでした。もうあと三十分ほどで、ゴルダンと決闘しなければなりません・・・・私は一体、どうすれば・・・・」
 萎萎と耳を垂らして途方に暮れる。魔王としての重圧。きっと、沢山の部下が『新魔王の勝利』を期待しているのだろう。負ければ、その期待を裏切ることになる。
 それを見かねたガゼルが、口を開いた。
「まったくお前という奴は・・・・それで、勝算はあるのか?」
 ルナは今にも泣きだしそうな顔でガゼルの方を向き、ぶんぶんと首を振った。ガゼルは、「だろうな・・・・」とあきれ果てた様子で肩をすくめる。
「で、でも、約束を破る訳にはいきましぇん。『風格』は、着飾るものではなく纏うもの。ずっとダメダメだった私ですが、魔王として精一杯頑張ると決めたんです。例え負けると分かっていても、誠意を見せなければ・・・・だって、私は魔王だから!!」
「気合が入っているところ申し訳ないのだが、まず、お前の防御力では、ゴルダンの一撃が掠っただけでも即死だろうから、負けるなんてことは絶対に許されないぞ。敗北は『死』を意味する。さすがに、今お前に死なれたら、魔界は終わりだ」
「うぐっ。私もさすがにまだ死にたくないです・・・・」
 再び俯きしょぼんとするルナ。ガゼルは、とびきり大きなため息を吐いて、彼女の座るベッドの端に腰を下ろした。
「まぁ、作戦が無い訳ではない」
 それを聞いて、ルナが待ってました! と言わんばかりに、しゅばっと勢いよく顔を上げる。
「本当ですか!?」
「あくまで、即席のものだ。そんなに期待はするなよ」
「はい。聞かせてください。名参謀ガゼル」
 藁にもすがる思いであった。魔の頂点に立つものとは到底思えない低姿勢で、ガゼルの肩を揉み始める。
「やめろ。鬱陶しい。俺は、他人に体を触られるのが大嫌いなのだ。離れろ。しっしっ」
「うぅ・・・・すみません・・・・」
「で、その作戦なのだが。簡潔に言うと、ゴルダンにギブアップをさせる、というものだ」
「ギブアップ?」
「あぁ。狙うは奴のスタミナ切れだ。無理に勝とうとする必要は無いのだ。お前はただひたすらに奴の猛攻を避けていれば良い。得意だろ? 前魔王の攻撃も全て回避しきったお前なら、不可能ではないはずだ。まぁ、勝利した際のインパクトはかなり薄いだろうが、『魔王として、部下には絶対に手を出さない』と心に誓っていることにすれば、多少は盛れるだろう。心優しき魔王が、大切な部下を傷つけることなく倒したという筋書きだな。ゴルダンの自尊心はズタボロになるだろうが、お前の底知れぬ力は誇示できる」
「また、変な設定が増えてしまうような気がします・・・・」
「仕方ないだろ。グリムに観覧席から堂々と魔法を使わせる訳にもいかないし、あいにく俺も遠距離から隠れて支援できるような便利な魔法は持ち合わせていない。逆に聞くが、これ以上の妙案がお前に思いつくのか?」
「うぅ。それを言われると・・・・」
「なら、つべこべ言わずに従え。後、考慮すべきはゴルダンの心がいつ折れるのかという点だろう。奴は、戦うために生きている生粋の戦闘狂だ。下手をしたら、数時間、いや、数日間もの間、ひたすら試合を継続する必要があるかもしれん。途中、見飽きた部下共から野次が飛ぶかもしれんが、お前の忍耐力が試されるな」
「・・・・かなりしんどそうですね。先に私の心が折れてしまうかもです」
「もし、そうなったら、お前は死ぬだけだ。そして、新魔王となったゴルダンの脳筋統治で魔界は滅ぶ」
「責任重大過ぎます。まだ、魔王初心者なのに・・・・」
 と、丁度その時、ぶおーっという角笛に似た音が魔王城内に響いた。
「くそ。もう時間だな。地下へ降りるぞルナ。準備しろ」
 そそくさと立ち上がり、廊下へ続く扉へと向かうガゼル。ルナは、着々と迫りくる無情な現実に打ちのめされていた。
「えぇー! もうですか!? まだ、気持ちの整理が・・・・うぅ、天国のパパ。現世のママ。どうか私に力を貸してください・・・・まだ、死にたくないですぅ」
「何をぶつぶつ言っているのだ? ここまで来たら、もうやるしかないだろう。頼んだぞ。お前を信用しているからな」
「はい。そうですね・・・・とりあえず、やってみます」
 がくぶるがくぶると、笑い転げる膝を力いっぱいに叩き、何とかベッドから立ち上がる。そして、弱弱しくガッツポーズを決めた。
「ス、シュマイリュで、い、行きましょう!」

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