03 早くも退任の危機です!

文字数 7,406文字

 魔界の最深部。死霊の丘を越え、鮮血の沼を進み、瘴気の谷を抜けた先に存在する、巨大な魔王城。魔王の間での騒動から一夜明け、ルナはガゼルに案内された豪勢な寝室内に設置されたベッドで横になっていた。ガゼル曰く、今後はこの部屋を自室にしても構わないとのことであったが・・・・いささか、広すぎるようであった。バスケットボールのコートが軽く収まる程度のサイズと言えば、分かりやすいかもしれない。
「うーん。昨日は疲れていたのでぐっすりでしたけど、やっぱり少し、落ち着かないですね」
 ごろごろと寝返りをうちながら、欠伸を噛み殺す。ルナが目覚めてから既に二時間が経過していた。窓の外はまだ暗い。起床したばかりの頃はびくびくと怯えながら部屋を散策していたのだが、罠らしきものは一切見当たらず、その内に警戒心も解けて、備付けのシャワールームでリフレッシュした後に、こうしてのんびりとくつろいでいた。いくら何でも、見知らぬ土地で不用心が過ぎるのではないかという程のだらけ具合である。彼女の適応力、いや、神経の図太さか、ただ単に能天気なだけか。その点に限っては、敵う者はいないだろう。そう、前魔王でさえも。
「私が、魔王ですかぁ・・・・」
 仰向けの体勢で天井を見上げ、右手を顔の前に持ち上げる。そして、「ナビゲーターさん、ステータス表示をお願いします」と、一言。
《はい。ルナ様。一応言っておきますが、何度見ても内容は変化しませんよ》
 ぶんっと眼前に緑色の画面が出現する。そこに表示されていく白い文字列。ルナはそれを目で追っていった。
『名前:ルナ。種族:兎人族。職業:魔王。ステータスレベル拾参。装備:純白の胸部さらし、高価なバスローブ。保有ノーマルスキル:穴掘り名人、発情期、寂しがり屋、抜け毛。保有エクストラスキル:なし。保有ユニークスキル:脱兎、死神王の太鼓判』
 ステータスレベルが上昇しているのは、間接的にではあれ、前魔王を倒したからであろう。無言のまま、人差し指で画面をタッチした。すると、ばっと表示が切り替わり、ステータスの詳細が広がった。深い深いため息を吐く。
「これって、決して強い部類には入らないですよね」
《はい。ルナ様の仰る通り、強くはありません。控えめに言っても、『雑魚』です。野生のスライムの方が強いかと》
「うぅ・・・・」
 ナビゲーターの冷徹な言霊がルナの心を抉る。言い返せないのは、図星だからだろう。
『HP:二十三。MP:四十六。物理攻撃力:一。物理防御力:三。魔法攻撃力:一。魔法防御力:二。素早さ:百二十三。回避力:三百八十二。運:十八』
 まさに、逃げるためだけに割り振られたと言っても過言ではない能力値だった。
《ちなみに、これは平常時でのステータスになります。ユニークスキル『脱兎』発動時には、素早さ及び回避力に五倍の補正がかかります。また、ユニークスキル『死神王の太鼓判』発動時には、状況に応じて、運に二倍から五十倍の補正がかかります》
 ユニークスキル『脱兎』は、攻撃回避時のみ素早さと回避力に固定値の補正がかかるというものであり、『死神王の太鼓判』は、危険を感じた際に限り運に流動値の補正が付与されるという補助スキルだ。
「逃げ足の速さだけが取り柄の魔王って、どうなんですかね・・・・」
《前代未聞でしょうね。吉と出るか凶と出るかは、貴方次第です。私は、後者の確率が非常に高いと思慮しますが》
「ナビゲーターさんは、少しも優しい言葉をかけてくれませんよね」
《そうでしょうか? 十分に慈しみの心を持って接しているつもりですよ》
「私にとっては、鞭と鞭と鞭と鞭にしか感じられません! あと、鞭です!」
 頬を膨らませ、ぷいっとそっぽを向く。
《存在しない慣用句を創造しないでください。あと、『あと』の使用方法が誤っています》
「わざとです!」
《はぁ。そうですか。何か意図があってのことなのですね》
「はい。伝わってないみたいですけど・・・・」
《いいえ。きちんと承りました。今後は善処させていただきます》
「ナビゲーターさん・・・・」
《・・・・まだ鞭が足りないとのことですので》
「もう!!」
 がばっと上半身を勢いよく起こす。同時に、画面がぶぅんっとノイズを起こし消失した。
「あ、そういえば。ナビゲーターさん?」
 何かを思い出したかのように、ぽんっと手を叩くルナ。
《何でしょうか?》
「ナビゲーターさんって、長いので、ナビさんって呼んでも良いですか?」
《・・・・はぁ。構いませんが》
「わーい。ありがとうございます。ナビさん」
 ルナは両手を挙げて喜びを表現した。
《本当に、貴方みたいな方が魔王になるとは・・・・》
 ナビゲーター改め、ナビはさすがに呆れているようであったが、どこか嬉しそうでもあった。
 そこで、扉をノックする音が響いた。
「私です。入室の許可を」
 低く落ち着いた声色。どうやらガゼルのようだ。ルナは、「どうぞー」と、気の抜けた声で招いた。がちゃりと、ベッドの傍の扉が開き、タキシードの魔人が一礼をして入ってくる。そのまま洗練された所作で扉を閉めると、「ジャミング」と、短く唱えた。
 ルナは、その動作にぴくりと反応する。
「その、今のは?」
 ガゼルは、きょとんとしたような表情を浮かべた。
「防音魔法だが?」
「えっと、どうして?」
「どうしてって。他の奴に聞かれたらまずいだろう?」
「まずいって、一体何を? それに、その喋り方は? まさか、また私に乱暴する気じゃ・・・・」
 さあっとルナの顔が青ざめる。両手をクロスして、自らの体を隠すようにして縮まった。
その様子を見て、ガゼルは合点がいったようであった。右手で額を抑え、首を横に振ると、かつかつとルナの元へ歩み寄る。
「ひぃぃっ」と、引きつった悲鳴をあげるが、構わずベッドの手前まで移動した。そして、右手の人差し指をすーっと円を描くように動かす。と同時に、数メートル先に置かれた木製の椅子が、ガゼルの背後までスライドした。それに、無言で腰を下ろし、貞操の危機を感じてぶるぶると震えるルナを見る。
「お前が、魔王の器ではないことは、承知しているぞ?」
「へ?」
 思いもかけない一言に、間抜けな音が喉から漏れた。ガゼルは真剣な表情で続ける。
「それに、俺はお前のような餓鬼の体に、全くもって、微塵も、毛ほどの興味もない」


――――

「貧弱だな。HPが二十三。攻撃と防御に至っては一桁か・・・・素早さと回避力だけがずば抜けて高いが、何か特殊なスキルでも所持しているのか? この数値では、あの異常な回避能力の説明がつかん」
 ガゼルが、じろしろと舐め回すように観察しながら呟く。ルナは、少しでも距離を取ろうとベッドの端っこまで後退していた。
「どうして、それを?」
 震える声で尋ねる。
「俺は『知力』を冠する上位魔人だ。この瞳は、対象のステータスを観測することができる」
 そう告げて、こんこんと、右手の人差し指で自らのこめかみを突いてみせた。
「そんなぁ」
 魔王として、今後どうやって日々の業務をやり過ごそうかと考えていた矢先の出来事に、ルナは落胆した。魔王業二日目にして、早くも解雇の予感が漂う。職を失うこと、居場所を無くすことに恐怖する彼女の脳内に、前世で経験したケーキ屋でのアルバイトの記憶が蘇る。
(あの時は何をやらかしたんだっけ? 確か、手を滑らせて常連さんの頭にケーキを落としてしまったり、躓いた拍子にショーケースへ突撃して破壊してしまったり、レジで返した千円札のおつりの中に誤って一万円札を混入させてしまったり・・・・記録は、三日だったかな。店長から、「このままだと店が潰れてしまう。頼むから退職してくれ」って懇願されたんだよね。今回は二日か。また、記録更新だよ・・・・)
 自分の不甲斐なさに、しゅんと耳が垂れ下がった。ちらっとガゼルの顔色を伺う。何かを言いたそうな表情だ。きっと、解雇通告だろう。もしかしたら、『一身上の都合』で辞表を強制してくるかもしれない。退職したら、たった一人でこの世界をどうやって生きていこう・・・・ルナは、視界が真っ暗になるように感じた。
 だが、彼の対応は良い意味で予想を裏切るものだった。
「何を勘違いしているのか知らないが、このことは他の奴には秘密にするつもりだ。だから、防音魔法を使用したのだぞ?」
 ぴんっとルナの耳が立ち上がった。
「え? どういうこと、ですか?」
「どうもこうもない。お前には、このまま魔王を続けてもらう。何の為に、昨日必死で英雄になるのを阻止したと思っているのだ」
「それってつまり、私をまだ必要としてくれているという、そういう事でしょうか?」
 おずおずといった感じだ。ぴくぴくと耳が痙攣しているのは、次に来るのであろう言葉を期待しての反応だと思われた。ガゼルは、特に表情を変えることもなく頷いた。
「・・・・まぁ、そういうことだな」
 ルナの瞳に光が宿る。
「こんな、私でも?」
「あぁ。そうだな」
「店長!! 私、頑張ります!!」
 その言葉を聞くや否や、自慢の脚でガゼルの眼前まで跳躍し、腕組をしている彼の腕を無理矢理に引き抜いて、両手でしっかりと握りしめた。きらきらと目を輝かせる。そこには、痛い程のやる気が漲っていた。先程までの警戒心は一体どこへ行ってしまったのだろうか。バカンスで海外にでも旅立ってしまったのか。予想外のリストラ回避に興奮しきっているようではあるが、彼が止めなければ今頃『英雄』になれていたという事実は、その狭すぎる思考からは除外されているようであった。
「俺は、店長ではない。むしろ、お前の方が俺の雇用主だろう? 本当に、お前と接していると調子が狂う」
 ぶんぶんと右腕を振り回され、無垢な笑顔を容赦なく浴びせられる。明らかに困惑しているようであった。
「して、私は一体何をすればいいのでしょうか?」
 ぴたりと両手の動きを止めるルナ。
「そのことなのだが」
 ガゼルは、好機とばかりに覆いかぶさるふかふかの両手を払いのけ、解放された腕を所定の位置に戻した。その拍子に一本の白い毛が抜けて宙を漂う。それは、互いの視界をゆっくりと横切っていった。十分な溜を作った後、ガゼルが口を開く。
「お前、転生者だろう?」
「ふぇ? どうしてそれを?」
 ルナは、ぱちくりと瞼を瞬かせる。
「やはりそうか」
「もしかして、貴方も?」
「まさか。転生者は稀な存在だ。そんな、ほいほいといるものではないさ。昔、世話になった奴が詳しくてな」
「そうなんですか・・・・あの、可能であれば教えて欲しいです。恥ずかしながら、自分が何を分かっていないのかでさえ、分かっていない状況でして」
「もちろんそのつもりだが? お前には、魔王として俺達を導いてもらわなければならないのだからな」
「ガゼルさん・・・・もっと、怖い人だと思っていました。意外に優しいんですね」
 そう言って尊敬の眼差しを向ける。しかし、当のガゼルはそれほど嬉しそうではなかった。
「つい昨日は、変態と罵っていたというのにな。あと、他の連中がいる時には『さん』付けで呼ぶのは止めておけ。魔王としての威厳に関わる」
「はい、すみましぇん」
「はぁ。先が思いやられるな・・・・そうだな。まずは我々のいる魔界についてなのだが、各世界へのポータルとなっている。魔界を通じてのみ、各世界間を行き来することが可能だ」
「はい。先生。すみません。いきなり意味が分かりません」
「・・・・魔人の話は最後まで聞きなさい。ひまわりの花を想像してみろ。真ん中の丸い部分を魔界だとすると、外側の花びらが各世界だ。全ては魔界を中心として繋がっているのだ。そして、各世界にはそれぞれ勇者が存在している。もちろん、勇者毎にその強さは異なる。昨日お前が見たのは、ちょうど中間位の部類だな。中には、前魔王でさえ手も足も出ないような化物も存在する。特に、お前のような転生者が勇者となっている場合はかなり危険だ。転生者は、総じて強力な力を持っているからな。お前は、もしかしたら例外なのかもしれないが・・・・ちなみに、複数の世界が存在するという真実を知っているのは魔界の住人だけだ。だから、太刀打ちできないことが明白な世界には今まで少しもちょっかいを出してこなかった。触らぬ神になんたらと言うやつだな。下手に手を出さない限りは、向こうもこちらの存在に気付かないようだから、あえて火中に飛び込むこともないだろう」
「ちょっと待ってください。ということは、私の居た世界にも行けるってことですか!?」
 先ほど注意を受けたばかりだというのに、途中で割り込んでいく。魔界と様々な世界が繋がっている。それは、ルナにとって一滴の希望に感じられたからだ。元の生活に戻ることは不可能でも、母や友人の元気な姿を見に行く。それだけでも十分であった。
 ガゼルは、話を遮られて事に対して眉を顰めはするが、何回も文句を言うつもりはないらしい。
「それは無理だ。転生者の元居た世界には、そもそも勇者や魔王という概念が存在しない。つまりは、全く別次元の世界だ。残念だが、魔界と繋がることは絶対にない」
 その代わりに、ルナの希望を秒で砕いた。
「そうですよね。そんなに上手い話なんてないですよね。とほほ」
 不可能は承知でのことだったようだが、あからさまに肩を落とす。ガゼルは、構わずに続けた。
「そして、ここからが本題だ。各世界には、『生命の容量』というものが存在するのと同時に、その調整機能が備わっている。転生者もその機能の一つとされているが、他には天災や疫病、強力な魔物の出現等が挙げられる。これらは、生命が多くなり過ぎた際等に、バランスを取る為に働く機能で、基本的にはこれに任せておけば問題は生じないのだが、たった一つだけ、これが想定していない生命増加の原因があってな。それが、魔界を通じての生命の世界間移動だ。一人や二人なら、気に掛けるほどの事ではないのだが、これが数千、数万単位でのものになるとどうなるか? 単純な話だ。大きくなり過ぎた花弁はその重量に負けて剥がれ落ちる。容量を超えた世界は自然に消滅してしまうのだ。問題はそれだけではない。滅んだ世界を起点にして『歪み』が広がり、隣接する世界、そして我らが魔界でさえも消滅する可能性だって考えられる。道連れを食らうかもしれないのだ。ここまで話したら、もうお前の果たすべき使命は理解できるだろう? 歴代最強と謳われた前魔王のいない今、お前は俺の影成る指導のもと、立派な魔王として、軍隊を率い、魔界の秘密を守り抜くことで、世界の均衡を保つのだ!」
 そしてガゼルが、芝居がかった仕草でばっと両手を広げる。呆けた表情で話を聞くルナの額を、ぶわっと力強い風が撫でた。前髪が揺れる。
「私が、世界を・・・・」
「そうだ・・・・そもそもこの魔界に転生者が現れること自体が未曽有の出来事だ。しかも、それが魔王になるなど、何の奇跡だろうか。もはや、運命としか考えられない」
 そこで、静かに目を瞑り、天を仰ぐ。しばらくそのままの格好で何かを思考し、うんうんと頷くと、勢いよく目を見開きルナをまっすぐと見つめた。
「お前は、魔界が生んだ唯一無二の転生者だ。宿命により、なるべくして魔王となった。この偉大なる魔界に選定された魔王なのだ!」
 そこまで興奮気味にまくし立ててから、広げた腕をゆっくりとたたむと、少し恥ずかしそうにタキシードの襟を正した。わざと視線を外し、ぼそりと呟く。
「二度と口にすることはないと思うが、正直、転生者であるお前にはかなり期待をしている。例えまぐれであったとしても、前魔王を倒した張本人だ。きっと、見た目からは計り知れない程の力を秘めているのだろう」
 褒めることに慣れていないのか、ばつが悪そうに顔を赤くして、折れた角の先端をいじる。ルナは、一人で勝手に盛り上がる彼を見て、引きつった笑みを浮かべた。
(うわぁ。何か、盛大に勘違いをされている気がします。ここに転生したのだって、たまたまのことで、もとはといえばナビさんの不注意によるものですし、秘めたる力と言われても、確か攻撃系のスキルや魔法はもう覚えられないらしいので、期待にそえるかどうか・・・・)
 じんわりと変な汗が噴き出す。居心地の悪さにもじもじと体を揺すった。
(まぁ、言えないですけどね)
「ま、任せてくだしゃい」と、どぎまぎしながら決意表明をした。大事な場面で噛んでしまったことについては、自分でも気づいたのだが、言い直すような心の余裕は持ち合わせていなかった。
(いつボロが出るか分からないので、魔王業を務めながら、別の仕事もこっそり探そう・・・・)
 意外にも堅実的な将来設計を考慮したルナは、ガゼルに聞こえないように小さくため息を吐き、腹を括った。少なくとも今は、ドジで役立たずの自分が必要とされているのだ。できる限りのことはやろう。一生懸命頑張って、魔界の皆の為になるように努めよう――――と。
 ガゼルは、とても上機嫌のようであった。にこりと満面の笑顔である。うん、似合わない。ルナはそう感じた。
「まぁ、現在我らが魔王軍に切迫した脅威は確認されていない。当面の間は、お前の好きなようにすると良い。と、その前に、私以外の四天王とも一度会っておいた方が良いだろうな」
「四天王?」
「あぁ。魔王直轄の精鋭だ。勇者との戦いの際に一人欠けてしまったが、俺の他に『権力』のグリムと、『腕力』のゴルダンがいる。昨日、グリムは自室にこもっていたし、ゴルダンは武者修行に出かけていたから、まだ面識がないはずだ」
(えぇー・・・・勇者さんが攻めてきていたのに、自由過ぎないですか? ド〇クエだったら、一大イベントですよ。四天王総出でお出迎えしないと)
「すぐに召使いに衣服を準備させよう。お前の身仕度が整い次第、奴らの元へ案内してやる」
 そう言って、ガゼルは立ち上がり、扉の方へと歩いていった。ルナは一抹の不安を覚えながら、その背中を見送るのであった。 
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